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(回答先: 「すべての実存」と「自然」との関係 (「単一実存」の問題)[愚民党さんへ、如往さんへ] 投稿者 乃依 日時 2004 年 6 月 04 日 09:12:52)
この手の話は、言葉の定義をよほど厳格に行わないと、お互いに別のことを反している、ということになりかねませんが・・。
たけ(tk)は
実存というのは、意思の無原因性に対する強い執着から生じた思いこみである。
意思の原因と思われる要素を徹底的に排除して残ったものを実存という。
と理解しております。
従って、実存には何も残っていない。実存にはモラルも倫理も正義も何も残っていない。もしも、それらが残っているなら、実存的意欲の不徹底によって、意思の原因として排除されるべきものが残っていたというに過ぎない。
たけ(tk)としては端的に、意思や意欲に原因を認めてしまうことが必要ではないかと考えている。(ブッダの12因縁をそう理解している)。思いこみは個体内で循環しており、認識する意欲でさえ、その循環の一部分でしかない。
主観の側から表現するなら、主観の背後者(背後霊?、ではなく身体内の思いこみの循環)を認めてしまうという立場です。
なんとなく、乃依さんの言っている「実存」とは意味が違うかもしれません。