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『開かれた社会とその敵 第二部予言の大潮 ヘーゲル、マルクスとその余波』
(カール・R・ポパー著:小河原誠―内田詔夫訳:未来社刊:4200円+税)
「第二四章 神託的哲学と理性への反逆」より:
「人を愛するとは人を幸福にしたいという意味である(ついでながら、これはトマス・アクィナスの愛の定義であった)。しかし、すべての政治的諸理想のうちでも、人々を幸福にしようとする理想は、おそらく、最も危険な思想である。それは、われわれの「より高級な」価値尺度を他人に押し付け、そして彼らにわれわれにとって最大に意義を持っているものを彼らの幸福だと思わせ、そしていわば彼の魂を救済するという企てを不可避的に招くのである。それはユートピア主義とロマンチシズムとに至る。われわれのうちの誰れにせよ、あらゆる人がわれわれの夢の美しい完璧な共同体で幸福になるだろう、と確信しているのである。そして、疑いもなく、われわれのすべてが相互に愛しあえるならば、地上に天国が出現することになろう。だが、私が先に(第九章で)述べたように、地上に天国を作ろうとする企ては不可避的に地獄を産み出す。その企ては不寛容を導く。その企ては宗教戦争に至り、そして、魂の救済を異端審問を通じて行うに至る。そして、私見によれば、その企ては、われわれの道徳的義務の完全な誤解に基づいているのだ。われわれの義務はわれわれの救助を必要とする人々を助けることであって、他人を幸福にしようとすることはわれわれの義務ではありえない。なぜなら、他人を幸福にすることはわれわれには依存しないし、それはまたしばしば、われわれがそのような心やさしい意図を向ける人々のプライバシーを侵害することでしかないであろうからである。」(P.218)