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自らの「断片性」のみに執着するクエスチョンの頭脳構造には、「読書している」といいながら全体的には何も理解できない哀れな姿しか見て取れないけれど、断片的に物を言うということはそれが適正であれば、俳句や短歌のごとく的を射て象徴的表現にすらなるはずである。しかるにクエスチョンの場合は、くだらない視点からくだらない論理を基礎付けるためにこそ「断片性」でロム者の視点をごまかそうという下劣な下心で細工をするものだから、ボロが出てしまう。
ある事実について理解することとは、その事実の背景について考慮すること、誰がその事実によって利益を得るのか、今なぜそういわれるのか、など、阿修羅の基本原則が投稿する場合通底していなければならない。
このような原則が常に念頭に置かれているからこそ、投稿内容も吟味される。
ならば、この判断基準は何か。
阿修羅に於いてもすでに限界を指摘され「死」を宣告されている日本のマスコミの論調(判断基準)にわざわざ依拠して「内ゲバ」論を標榜するのは何ゆえか。
「内ゲバ」は存在したのか?
1970年代のほんの数年は内ゲバはあったし私も現認している。
しかしその後のいわゆる「内ゲバ」は、特殊な殺人訓練を受けたものでしかできない特殊な殺し方が主流であり、しかもそれは必殺である。
わかるか、クエスチョン。
お前が「内ゲバ」をマスコミに依拠して語るということは、その内実を知っているお前の正体を隠しているだけのことだよ。
日本三大謀略が史実としてあったのか否か。これすらまともに答えられないのではないのか。
マスコミと同一の「内ゲバ」論を振りかざすことは、鉄の六角錘となったマスコミと同一のレベルで物事を見る「権力の論理」でしかない。
それにしては「陰謀論」をふりかざすおまえ(あっしら)の論理では、この日本においては存在しないというのか?
そして周到にスパイ通信「SENKI」を突如引用しながら「左翼は信用できない」などとほざくからくりが披瀝される。
ちょっと考えれば、誰が敵であり誰が味方であるか、労働者なら直感できるものなんだよ。