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(回答先: Re: なるほど、お見事 投稿者 リーマン 日時 2004 年 5 月 06 日 03:09:32)
リーマンさん、
どうも、おひさしぶりでございます。
お話できる機会に恵まれましたこと喜んでおります。
具体的に、というアイデアは、多分現実からそれないためにとても有効なんですよね(あたりまえか(^.^;;)。で、どう有効かといえば、論文の文章は基本的にはユニバーサルなつもりで書くのが伝統のようなところがありますから、どうしても系の内側の整合性の方にバリューが置かれてしまう(学会なんてところがあってサーキットが閉じていればさらにこの傾向に加速度がつく)、それに対して、具体例とは対話者が共通だと理解できるマテリアルなわけで、ここで論旨が落ちる、地に落ちる、みたいな有効性を持っているんだと思うんです。しかも、その「時」、その「場」(たとえば、2004年に東京で暮らしている二人にとって)有効な具体例しか具体例にならないわけですから、ある意味で、ユニバーサルなモデルに対して、時空間を捨象しないサンプルでもって保証をしている、ということなのかな、なんて思います。
多分これは、経験論的と言ってもいいだろうし、もう少し詳しくみれば、仮説演繹的とでもいうのかなって思います。
またいい加減なこと言ってますが、もう少し考えてからまたお話させてください。
いい加減をさらに加えるのなら、プラグマティズムはこの傾向とは異質だろうと私は考えます。似てる人たち(イギリス→アメリカ)が取り扱ったもので似たものだと了解されている感じがないでもないですし、やっかいで難解なものを現実的にと人口に膾炙されているうちはいいことだらけみたいですが、これをドグマにしたら世の中はワヤにしかならないのではないでしょうか。つまり、考えることと対極にあるような「教え」だろうと。実際、プラグラマティズムを広めるのに最も功のあった人は他の何よりも宗教的でした。
このあたりはもっとていねいにいつか書いてみたいものだと思ってますが、まずは再度お話できたことのお礼まで。(お礼になってない?)