現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用9 > 238.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: そうですか? 投稿者 みずーみ 日時 2004 年 5 月 05 日 12:03:32)
> 単純に言って伝統的に左派の人は論戦となったら出て来るんですよ。
じゃあ「論戦」での「左派」の相手は何なのか、「左派」同士で論「戦」する
のか、そもそもこの国の首相らに「論戦」する能力があるのか、というような
茶々はさておき、一般に「左派」というのが現体制・政策に批判的な人々を
指すとすれば、批判する上で議論をしなければ始まらないので、議論好き
が多いのは仕方のないことでしょう。
現状に批判的でない人々は、そもそも議論する必要も考える必要もありません。
一方で、ネットウヨと称される人々もいますが。
> 考えてないから、溜め込んだ知識がだ〜っと出て来る。
然るべき知識を然るべきときに援用するには、考える必要がありますよ。
> 右派でも左派でもなく考えようとする人はお手本がないからそんなに簡単に言葉は
> でない、ただそういうことだと思います。
これから、にわかに考えようとする人はそうでしょうが、当該問題に関して
普段から考えている人やすでに結論を得ている人は、直ちに言葉が出る
でしょう。
> でもって、左派の人は自分で考えたことではなくて、自分で苦労して記憶したことを
> 否定されるから腹が立つんじゃないですかね。
> 自分が自分としてあるために権威が必要で、その権威が否定されるから存在自体が
> 危うくなってわ〜っと言論でそれを回避しようとする。
主義・主張によらずそういう人はいるでしょう。
別に「左派」の人に固有のことでも、有意に多いわけでもありません。
また学術上の「権威」に関して言えば、通常は検証に耐えて生き残った結果
生じるものなので、それを根拠とすることは、議論の繁雑さを避ける上で有益
な場合があります。
もちろん必要に応じて、その「権威」の再論・再検証が可能でなければなり
ませんが。
ところで、言論以外で「回避」(対応)する方法って何ですか?
暴力?
> 一方、自分で判断したり考えたりする人は、別の意見が出ると自己の見解の修正
> の役に立つわけですから感謝こそすれ、拒否反応はないのとちがいましょうか。
その「別の意見」というのが、すでに考慮の上で棄却したものであれば、
改めて取り上げても時間の無駄なので、冷淡に扱う・相手にしないという場合
もありますよ。
「別の意見」を持つ人から見れば拒否されたと感じるのも無理はありませんが。