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渋谷にハチ公の子孫いた 不況世相に『平成忠犬物語』 ハローワーク帰りをじっと【東京新聞 こちら特報部】
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040401/mng_____tokuho__000.shtml
東京・渋谷の雑踏で、一人の男性に寄り添う犬がいる。リストラされ二年がたつこの男性が、ハローワークへ向かう道すがら、必ず姿を現す。近くの公園でそばにたたずみ慰める。その姿は、来ない主人を待ち続けた忠犬ハチ公と重なる。それもそのはずだ。DNA鑑定により、ハチ公の子孫であることが分かった。「平成の忠犬物語」とは――。
■“ご主人”はリストラ49歳
「路地に入るといつの間にかそばにいる。ハローワークから帰るまで待っていて、公園に寄ると脇に座る。路地から大通りに出て別れるときも、これで会えなくなるんじゃないかと思って何度も振り向くんですが、必ず見ていてくれる」
犬飼忠義さん(49)=仮名=は二年前、中堅生保会社を解雇された。現在は渋谷区役所近くのハローワーク渋谷に通う。「今日もだめか」とため息が出る日々の中で、この犬と出会った。
渋谷駅からハローワークへは、大通りを歩けば近いが、犬飼さんはその道が嫌だった。「百貨店が立ち並び、若者ばかりが目について、今の私には華やかすぎる」。いつも途中から左に折れ、路地裏を歩く。
今年一月のある日、再就職に自信を失い、ハローワークからまっすぐ帰る気になれず、路地裏の小さな公園のベンチに腰を下ろした。隣りの若者の流行グッズを売るビルからは、大音量で音楽が流れていた。
「何をするのもめんどくさくなって…。公園の中央にある一本の木が目に入った。あの木の枝、丈夫そうだなあ、体重をかけても折れそうにないなあ、なんて考えてしまった」
脇にたたずみ「死なないで」
何時間座っていただろうか。日が傾き、ビルの谷間にある公園は、すっかり暗くなっていた。「ふと気が付くと、ベンチの後ろに犬がたたずんでいた。じっとこちらを見て動かない。ずいぶん前からそばにいたようなんです」。生後数カ月の大型犬だった。
「腹が減っているのかと思い、昼食べたコンビニ弁当の残りがあるのに気づき、あげたんです。すると喜んでしっぽを振ってくれた。たったそれだけのことで何かすごく慰められて…」
重い腰を上げ、歩き出すと後を付いてきた。「こんな声をかけたんです。『おまえ、なにか心配しているのか。おれは大丈夫だよ』。自分自身への言葉だったような気がしますね」。それ以来、ハローワークに通うたび、ひとときをいっしょに過ごすようになった。
犬飼さんの家族は妻と大学生、高校生の娘二人だ。バブル期に、東京都国分寺市に一戸建てを買った。最寄り駅までバスで十七分。三十年のローンを組んだ。
生保時代は法人部門の営業を担当し、仕事には自信があった。しかし、会社は新商品を次々と出す外資系に太刀打ちできなかった。四十五歳以上のリストラが始まった。「四十代のうちにやり直そう」と思い切って退社するが、「甘くはなかった」。今では雇用保険給付も切れ半年前からビル清掃やチラシ配布のアルバイトで食いつないでいる。年収七百万円だったが、今は半分にも届かない。住宅ローンは二千二百万円が残る。二女の大学進学をあきらめてもらうしかないと思うようになった。
生保時代は多忙を極め、育児は妻任せだった。失業後、家にいることが多くなったが、娘たちとは会話がない。長女に「お父さんいつまで家にいるの」と言われて家族とのきずながないことを思い知った。「仕事にのめり込んだ間に、家族と溝ができてしまった。居場所のないことがこんなにつらいとは…」
それだけに、渋谷の路地裏で出会った犬は犬飼さんの孤独感を癒やしてくれる何よりの「友」となった。犬飼さんは、いつしかこう思うようにさえなった。
「渋谷だからか、主人の帰りを待ったハチ公に見えて。ハチ公の主人は、知らぬ間に亡くなってしまったから、私には死ぬなと言っているように思えて仕方がないんです。自分を待つ存在がいることに、こんなに助けられるとは…」
忠犬ハチ公は一九二三(大正十二)年、秋田県生まれの秋田犬だ。生後二カ月で東京帝国大学教授だった上野英三郎博士のもとへ来た。ハチ公はいつも上野博士を渋谷駅まで見送り、帰りも迎えに行った。一緒に過ごしたのは博士が病で急死するまでのわずか一年あまりだったが、博士亡き後も駅の改札口にじっと座って、姿を捜していた。
犬飼さんと路地の犬との出会いは、思わぬ展開を呼んだ。二月の寒い朝、犬飼さんは駅前のハチ公像に向かった。まじまじと像を見たことがなかったからだ。「鼻筋から目にかけて、路地裏の犬とそっくり。生まれ変わりじゃないのか」。そう直感した。
ハチ公に詳しい人と話をしたくなった。ハチ公を研究する郷土史家の真実(しんみ)一路さん(75)の存在を知る。真実さんも路地裏の犬をみて驚いた。
「秋田犬だし、ハチ公の小さい時の顔つきの面影がある。ハチ公は老年になって、左耳が垂れてしまったが、若いころはピンと立っていた。それに座った姿がうり二つだった」
■DNA鑑定『99%直系』
真実さんは東京大学にハチ公の内臓が保存されていることを思い出し訪ねた。犬山建造教授(獣医学)のアドバイスでDNA鑑定をした。犬の毛とハチ公の内臓を鑑定の結果、99%の確率で子孫であることがわかった。「三五年に死んだハチ公からみると、十五代目あたりの子孫だろう。純粋な秋田犬だとしたら、だれかが血統を意識的に守ってきたのではないか」と犬山教授は推測する。
ハチ公には子孫はないと思われていたが、真実さんは「ハチ公は上野博士の死後十年間、渋谷駅前で待ち続けた。その間、ハチ公は東京の上野で開かれた犬の展示会に参加している。可能性があるとすれば、そこに来た犬の専門家がハチ公の系譜を守ろうとしたのかもしれない」と話す。
■愛好家、血統守る『15代目ぐらい』
ハチ公は上野博士の死後、上野家に出入りしていた植木職人の八尾守さん宅に引き取られている。実はこの家に、犬の展示会に来ていた秋田犬飼育連盟の関係者が足を運んでいた。
同連盟の種田保会長(63)は「当時の会員が、八尾さんを説得し保存に取り組んだようです。それで何代かに渡って系統を維持してきた。ハチ公への思いからでしょう」と話す。
子孫がなぜ渋谷の街に現れたのか。種田会長はこう推測する。「ある代で、子犬が逃げ出したと聞きました。秋田犬は主人への忠誠心が強い。子孫の、この犬はいわばハチ公の生まれ変わり。亡き主人を求めて街に現れたのではないか」
毎年四月八日には、渋谷駅前で「ハチ公慰霊祭」が行われる。今年は七十回忌にあたる。路地の犬は、そこにそっと姿を現すかもしれない。
※デスクメモ
南極観測にカラフト犬を復活させる構想が持ち上がっている。ハチ公の子孫が存在していることを知って、関係者はタロとジロの子孫を探しているという。「忠犬物語」に続き、平成の「南極物語」も実現するのだろうか。ちなみにジロのはく製は国立科学博物館でハチ公の隣に展示されていたことがある。(へぇ)
↓末尾参照。
(この物語はフィクションです)
雑談ネタです。
ちょっと時期外れ、4月1日、【東京新聞 こちら特報部】エイプリルフールネタの記事です。m(_ _)m スンマソン【←お借りします。ZUMAさんの真似。】(^^;
息抜きのつもりの投稿です。(^^;
去年だか、一昨年だったか、「ブラジルに金さん銀さんの妹、里子に出されていた銅さんがいた」の4月1日【東京新聞 こちら特報部】の記事も面白かったです。
エイプリルフールネタでこう言う記事を書くと、電話で怒鳴り込む読者もいるようです。しかし、常に記事を鵜呑みにしないで読むということでは、一年に一度くらいこう言う記事も意義があると思っています。
「長島さんの胸毛は何処までが胸毛で、何処からが恥毛か」なんて笑い話もありますね。真実を伝えている記事と、エイプリルフールネタの記事を両極端とするなら、普段からのマスコミの記事など、この中間に結構散らばっているかも知れませんしね。
実際、後者に近いところにたくさん記事が分布しているなんて新聞社もあるかも知れませんよ。(^^;