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http://koho.osaka-cu.ac.jp/vuniv1999/konagaya/03.html
アジア大都市論
経済研究所:小長谷 一之助教授
第3回講義:これまでのアジア大都市像−過剰都市化モデル(続)
前回は、第二次大戦後から1980年代までの発展途上国(アジアも含まれる)の大都市、特に、急速に成長した首位都市(そのほとんどが首都)の状況をよく説明し、発展途上国の都市を説明する最初の代表的モデルとなった「過剰都市化モデルOver-Urbanization Model」を説明した。
そして、
都市の三面「職・住・人口」、すなわち、
<1>人口の側面、<2>職場としての側面、<3>住む場所としての側面、
のうち、<1>の都市規模・人口の面からこれをとらえ、「連鎖人口移動によるプッシュ型の急速流入」が重要であること、すなわち、過剰都市化都市を形成してきたのは、人類の歴史上まれにみる急速な人口流入であり、そのメカニズムは、プッシュ型の連鎖人口移動によるものであることを説明した。今回は、<2>と<3>の面からどのような特徴をもっているかをみてみよう。
(2)都市経済・就業面=インフォーマルセクター(伝統的都市雑業部門)
先進国の大都市は、だいたい産業革命以降三世代100年以上かけて現在の数百万の大中心都市(第1回講義参照、ロンドンや東京、大阪などが代表)を形成してきた。その際、プッシュよりもプルが強かったということは、都市の経済基盤をまじめに、しっかりつくってきたということを意味しているのである。すなわち、産業革命と、戦後の高度成長期に、都市の産業が巨大な量の雇用を必要とするようになったため、多くの働き手を農村部から吸引(プル)して大都市が成長してきた。高度成長期には、大都市の企業の担当者が、地方の中学校・高等学校に出向いて「リクルート」を行い、卒業期には、つめ入り姿の中卒・高卒の若者が、地方から「国鉄」にのって大挙して大都市に向かい、就職していく姿が名物となり、「金の卵」という独特の流行語が生まれたのを覚えている世代も多いと思われる。このように、先進国の大都市では、まず、都市での産業基盤の拡大という現象が最初にあり、そのために働き手が足りなくなって、他地方から人を集め、大都市が拡大した、と順序正しく、一つ一つ手順をふまえて、「むりなく」大都市が成長したのである。したがって都市の過密にともなう、公害、混雑などは発生したが、都市経済・就業面に関しては最初から確保されていたといってよい。そしてそのころの日本企業の多くは、独身寮や社宅を用意しようとしたので、住宅・居住面についてもとりあえずは問題ない場合が多かった。我々の中でも、現在の大都市の住民のほとんどは、こうして父母や祖父母の代に東京・大阪に出てきた二世、三世であり、昔からの都市民は少ないはずである。
ところで、1980年代までの過剰都市化都市ではどうであろうか。まず注目に値するのがそのスピードである。先進国では、もっとも長いのが最初の(近代的)先進国となったイギリスで、17〜8世紀に産業革命が起こり、20世紀前半までにロンドンが人口的にピークをむかえるまで200年以上はかかっている。これをフランス、ドイツが追い、さらにアメリカ、日本、ロシアが追うのであるが、後続隊でも産業化して大都市を形成するのに100年はかかっている。ところが、前回もお話したように、ジャカルタでは、1961年に約300万人であった人口が1995年には約900万人と3倍に膨れ上がっている。すなわち、過剰都市化都市は、わずか1世代2,30年という短い期間である。これは、実は世界史上前例のないスピードの都市成長(膨張)なのである。わずか一世代に数百万の人間が動くということは、過去の例を凌ぐ民族大移動なのである。ただ、だれもそれを民族大移動といわなかったにすぎない。
このように、先進国をはるかに凌ぐスピードで大都市がつくられたということは、「もし、健全な都市経済のルールが成り立っているとすると」、先進国を超えるような「超産業革命」が起こったのか?という見方が成り立つ。ところで、戦後この方、新聞で、「発展途上国(第三世界)都市において超産業革命が勃発!」などというニュースを眼にしたことがあるだろうか?そんなことは見たことがないはずである。実際、そんなことは一度も起こっていないのである。このことは、都市で確実な経済基盤が形成されていないにもかかわらず、いわば食い扶持がちゃんと作られていないにもかかわらず、とにかく大都市に出てていけばなんとかなるだろうと、後先の見通しはともかく都市に出てきた人々が多数を占めていることを意味する。これがプッシュ要因が強いということの意味である。過剰都市化都市が、
「産業化なき都市化」
ともいわれている所以である。
ところで、これが正しいとすると、戦後の何百万という、過剰都市化都市への流入人口の多くから、膨大な数の失業者が生じなければならない。その規模は、暴動が起こり国家が転覆するほどのものであろう。ところが、意外にそのようなこともおこっていないのである。そこで、第三世界都市の研究者が調べてわかったのは、先進国の近代的な「産業」という概念に当てはまらないような「いうにいわれぬ産業」、実に多様で主種雑多な「インフォーマルセクター informal sector」といわれる伝統的都市雑業部門が、大都市の中におびただしく叢生し、それが盲目的な流入人口の一時的な働き口となって、いわば「雇用の安全弁」として働いているというメカニズムであった。このインフォーマルセクターには、多くの部門があるが、例として、インドネシアでは、ベチャ(輪タク)、露天商、バザールの売り子など、交通・商業などを中心としたサービスがあげられる。
インフォーマルセクターに対して、大企業、デパート、ホテルなどのオフィスワーカーはむろんのこと、そこで働くサービス的職業の人々は、すべてフォーマルセクター(近代的部門)である。このことから、経済の二重構造、二重回路などと呼ばれている。
インフォーマルセクターは、一面で過剰都市化都市の雇用の安全弁として積極的に評価する立場もあるが、内外の経済変動の影響を受けやすい脆弱的性格を持つ部門であることは確かであり、その経営基盤の強化や他の雇用の創出と再就職の促進などの方策が長期的には求められる。
(3)都市居住・住宅面=スクオッター(不法占拠)住宅ないしカンポン(不良住宅)
つぎに都市の居住面をみてみよう。食うや食わずで都市に出てきた人々が、最初から正規のルートで正規の土地を購入し、正規の住宅を建てるだけの所得を有しているとは考えにくい。またそもそも都市の土地のほとんどが、所有権の概念すら曖昧なことが多い(その事例についてはくわしく述べられないが、参考テキストの9章に詳しい)。したがって、所有権の曖昧な住宅、これが明らかに不法な場合を「スクオッター(不法占拠)」住宅という、あるいは、ジャカルタなどで多いケースであるが、都市の発展の過程で周りの村落的住居を飲み込んだケース、都市の発展の過程で周辺に村落的住居を自然につくっていったケースなどがあり、村落と同じ様な伝統的独自住居が市街地の多数を形成していることになる。このような不良住宅のことを、そのものズバリ「村」という意味で「カンポンkampung」という(マレー系諸国、インドネシアとマレーシアの場合)。「都市の中のむら」とは、なんとも言い様のない呼び名であろう。インドネシアでは、旧植民地のオランダ法で認められた土地権が、いろいろなプロセスを経て現国家に亘っているが、都市の土地のかなりの部分は所有権が曖昧である。したがって、大規模な再開発となると雀の涙ほどの値段で追い出されるというケースもあり、土地紛争が多発する一因となっている(前出と同じくテキスト9章)。
いずれにしても、不法占拠住宅=スクオッターや、都市発展のプロセスで作られた伝統的住居の老朽化した部分=カンポンなどが、ジャカルタなどのマレー系都市で多数見られ、一時は都市の面積の半分以上、人口の6、7割に達していた。
一方、都市の中の衰退・荒廃地域という意味で「スラム」という言葉も存在する。この概念には犯罪や悪徳が付随し、しかも欧米先進国の都市内でも使われるので、若干意味が異なる。
したがって、カンポン、スクオッター、スラムは似たような状況を示すが、すべて少しずつ異なる概念であるので注意がいる。インドネシアの大都市を考える上でもっとも重要なのは、もちろんカンポンである(純粋スクオッターは多い時でも1割程度)。「カンポン必ずしも不法(スクオッター)ならず」であり、「カンポン必ずしも貧し(スラム)からず」である。またスクオッターも必ずしもカンポンでなく、スラムでない場合があるのでややこしい。
一般論として河川敷は常に変化するので、所有権が曖昧か公的管理である(わが国も同じ)。したがってスクオッターのもっとも集中しやすいところとなる。このようなところで洪水がおきるとたいへんである。
中南米やフィリピンなどラテンアメリカ系諸国では、スクオッターに既得居住権の追認をすることが、政治的道具となり、利用される。新任の大統領が人気取りに利用する場合もある。そのような時は、パフォーマンスとしてパレードなどが行われる。(注)中南米都市における2回目、3回目の問題に関しては、大阪市立大学経済研究所編/東京大学出版会『世界の大都市』シリーズの第3巻「メキシコシティ」(既刊)に詳しく書かれています。
#(本講義テキスト)「アジアの大都市[2]ジャカルタ」日本評論社(宮本・小長谷編)