現在地 HOME > 掲示板 > 国家破産35 > 485.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
『現代社会の理論』-情報化・消費化社会の現在と未来-
見田宗介 岩波新書 '96.10.21
--------------------------------------------------------------------------------
発表・ノート作成:政策・メディア研究科M1浅川泰宏
--------------------------------------------------------------------------------
著者について
見田宗介(みた むねすけ)
東京大学大学院総合文化研究科教授。現代社会論、時間論、自我論などを研究してきた社会学者。著書に『時間の比較社会学(真木悠介)』、『自我の起源(真木悠介)』『現代日本の感覚と思想』など。1937年生まれ。
--------------------------------------------------------------------------------
本書の構成とあらすじ
[章立て]
I .情報化/消費化社会の展開 -自立システムの形成-
II .環境の臨界/資源の臨界 -現代社会の「限界問題」I-
III.南の貧困/北の貧困 -現代社会の「限界問題」II-
IV .情報化/消費化社会の転回 -自立システムの透徹-
見田によれば、現代社会は自由主義に基づく「豊かな」、「魅力あふれる」『情報化/消費化社会』である。これは古典的資本制システムの欠陥を乗り越えた発展形態として、うまく機能してきたが、現在新たな危機的状況に直面しているという。
この危機を再び克服し、新たな繁栄を見込める社会システムを再構築するために、「情報化/消費化社会システム」の歴史的分析、現状分析を通して(第一章)、限界問題の構造を探る(第二章、第三章)。その上で、 <自由な社会>の可能性は情報と消費の概念の透徹によって開けてくると主張する(第四章)。
--------------------------------------------------------------------------------
[「はじめに」における著者の要点整理]
現代社会の諸問題
環境公害問題
資源エネルギー問題
貧困と飢餓問題
[光]
現代社会の歴史上の相対的優位性と魅力と可能性
[闇]
「豊かな社会」、情報化・消費化社会と呼ばれる現代の社会システムが自身のダイナミズムの帰結として、システムの外部との臨界面に生成し続けた問題群
[抱負]
現代社会の全体理論は、この情報化/消費化社会のシステムの基本的な構造とダイナミズムと、矛盾とその克服の基本的な方向を、一貫した理論の展開として、太い線で把握するものでなければならないだろう。
--------------------------------------------------------------------------------
第一章 情報化/消費化社会の展開
----------------------------------------
Keyword:
欲望・消費・情報というアクセレーター
システム外部というバッファの必要性
現代社会(「ゆたかな」社会、消費化社会、管理化社会、脱産業化社会、情報化社会) は50年代のアメリカから始まった。(リースマン、ミルズ、ガルブレイズ) ----------------------------------------
1.[管理のシステム/消費のシステム]
1-1.「資本制システムの基本的矛盾」の理論
拡大し続けることでしか持続し得ない資本主義的な生産力は、市場の有限性の前に破綻するほか無く、その結果、定期的な戦争や恐慌が必然的におこる。
1-2.その克服の試み
ケインズ流の管理された資本主義(公共投資や金利政策)
1958年、国家財政の10%もの大幅減税個人の購買力を上げ、自由な欲望を機能させることで需要を調達。
「管理化」と「消費化」は相互補完しあい、社会主義との20世紀末の競り勝ちにいたる資本制システムの持続する繁栄を保証してきた。
1-3.軍事需要に頼らない繁栄のキーワード…消費化社会
現代社会の理論として確認しておくべきことは、この社会の主要なしるしとして語られる、「ゆたかな」社会、消費化社会、管理化社会、システム化社会といった特質が、互いに関連し互換し、相補する全体としてあの古典的な「資本主義の矛盾」をのりこえる活路をこの社会が見出したこと ―恐慌/戦争を必然に帰結してきた「基本的矛盾」に関する限り…(後略)(P16-17)
--------------------------------------------------------------------------------
2.[情報化としての消費化]
1927年 機能化、企画化、画一化のフォードのコンセプトが
デザインと広告とクレジットのGMに破れる
情報による消費の創出を常態とする時代(内田隆三『消費社会と権力』)
ロラン・バルトの「モード」による説明。
「デザインと広告」という「情報」が消費とその社会の繁栄のaccelerator
--------------------------------------------------------------------------------
3.[欲望の空虚な形式]
欲望の空虚な形式=欲望のデカルト空間 消費の運動の自由を保障する欲望の離陸システムの自己準拠化
「近代」という社会のあり方がその基底として形成してきた、「世界の見え方」の枠組みとしての、自由な空虚な無限性の形式としての空間は、空間を語る人たちの間で、「デカルト空間」の名で呼ばれてきた。情報の解き放つ欲望のデカルト空間というべき形式の自由な世界が「消費社会」の運動を保証する空間であり、運動を保証する空間として消費社会が自分で生成しつづける世界の形式である。(P27)
--------------------------------------------------------------------------------
第二章 限界問題I(公害・環境、資源・エネルギー)
----------------------------------------
Keyword:
「どこかで閉じてる(有限)」という本質的循環系システム的限界が 引き起こす資源環境問題
インプット・アウトプットの不可視化(外部意識)
----------------------------------------
1. 環境:
《消費のための消費》によって起きたアメリカ「繁栄の50年代」の農薬公害
大衆消費社会の形成の局面としての農業の近代化と地域工業開発の 論理(都市労働力を作る)で貫かれた「水俣病」の悲劇
(水俣病の悲劇は)人間と自然に対する正負の寄与よりも、システムが自分で定義する指標で測られる利益のための効率を自己目的化する、<構造のテレオノミー(目的指向)的な転倒>
「情報化/消費化社会」の根底を支える「電子産業」の急激な拡大が 生んだ「フロン」という落し子。
以上はいずれも「情報化/消費化社会」がその展開のなかで必然的にもたらしたもの。
--------------------------------------------------------------------------------
2. 資源:
情報化/消費化社会は「市場の有限」を克服したが、「資源の有限」という新たな臨界と遭遇した。 ※消費されるべき生産物は、物理的な有限のマテリアルを必要とするため。
--------------------------------------------------------------------------------
3. ブームタウンの限界
「伐採の町や鉱山の町は、安定したコミュニティにはならない傾向がある」『地球白書』'95-'96
上の例は生物資源・無生物資源の大量開発/採取に依存する現・社会システム全体にも応用できる。(産業革命以降の人口爆発、エネルギー消費量はまさにブーム)
--------------------------------------------------------------------------------
4.まとめ;P71より
情報化/消費化社会は、資本制システムの「自己準拠化」として登場した。古典的な資本制システムの「不回避の矛盾」であった恐慌を回避・克服するため、システムは自ら市場を作り出す。すなわち、人間たちの「必要」に制約されない無限定の消費に向かう欲望を、情報を通して自ら再生産する。システムはこうして市場と人間の欲望を内部のものとする。
しかし、無限化された消費と生産のシステムは新たな臨界問題をかかえるはめになる。古典的資本システムは市場が「意のままにならない」といった意味で他者であり、外部的な制約であったのと全く同じ構図で資源(含むエネルギー)と環境が外部的な制約が登場した。
限界問題は欲望をシステムが内部化する「自己準拠化」の核心を通して、新しく現実的に切迫した外部として立ち現れた。
--------------------------------------------------------------------------------
第三章 限界問題II(貧困、飢餓、人口)
----------------------------------------
Keyword:
二重の搾取
経済的豊かさの使用の欺瞞
外部意識
幻想された 「大量生産→大量消費」 とう図式の実態は、「大量採取→大量生産→大量消費→大量廃棄」であったという事実。
その両端が「外部」に置かれ、間接化、不可視化されてきた。
----------------------------------------
A 外部意識と臨界
1.大気・海洋(つまり自然)の無限幻想が壊れた。(「濃度」と「新しい化学物質」)
ブーメラン効果によりもはや直視せざるを得ない「環境」
2.「NIMBY(Not in my backyard)症候群」
社会間(具体的には国家間)のダブル・スタンダードの合理的な悪用
--------------------------------------------------------------------------------
B.「豊かな社会」がつくりだす飢え
「南」…絶対的な貧困
「北」…相対的な貧困
1.「南」の飢え
・フィクションとしての飢餓
カロリーベースでは世界中で食料は十分足りている。つまりは分配の不平等。
ex.飢えたアフリカは「豊かな社会」への食料輸出国という事実セネガルの食糧需要は飢えたまま減少している。
・フィクションとしての人口問題
人口問題は貧困の原因である以上に結果である。社会的な構造の一契機であり、歴史的に過渡的なものである
背景:
共同体の解体、土地・血縁・地縁のネットワークから引き離される
その代補システムたる市民社会的なシステムが実現していない。
社会保障の未整備
経済的な機会と分配の平等化の未達成
ジェンダーの平等化の未達成
2.「北」の飢え
貨幣への疎外は北にも当てはまる
巨大な第一次的な剥奪と、必要のラインを定義する貨幣の量も巨大
現代の情報消費社会は原的な必要の上に間接化された充足の様式の上に、必要の水準を更新する。しかし、これは「必要」に対応するシステムではない。(需要にしか対応しない)
「それはシステムの排出物である。つまりシステムの内部に生成されながら外部化されるものである」P112
福祉:
現代の情報消費社会システムの原理上の矛盾を補完するものが「福祉」しかしそのプロセスは、一旦外部化され、排出された矛盾の、第二次的な「手当」。福祉は消極的で不安定な定義に過ぎない
--------------------------------------------------------------------------------
C.貧困というコンセプト『二重の剥奪』
二重の剥奪
「貨幣からの疎外」 金銭を必要とする社会で、金銭を持たない貧困
「貨幣への疎外」 金銭を必要としない社会から、必要とする社会への移行
に伴う貧困
ex:
IBRDのいう貧困は一日あたりの生活費が1ドル
極貧は一日あたりの生活費が75セント
しかし、
先進国の都会では一日1ドルでは生活できない。
………………ロサンジェルスの生活保護者
途上国の農村では一日75セント以下でも生活可。
………………中国瑶(yao)族(百歳を越えて元気)
GNPが低いから貧困なのではなく、GNPを必要とするシステムに投げ込まれたうえで GNPが低いから貧困なのである。
exドミニカの農民。外貨を得る政策のため、生活作物が不十分なのにあえて輸出用の商品作物を作らざるを得ない。
統計上の所得向上は生活の向上を意味しない。
--------------------------------------------------------------------------------
D.情報化と外部
新たな限界に対し、情報化/消費化システムは外部の社会への転移によって遠方化され、不可視化される。更に外部は情報化/消費化システムとの関係の中で自然的、共同体的基盤を解体され、貨幣を媒介としてしか生きられない社会に編入されていく。この原的な解体と剥奪によって初めて、生存と幸福の前提として貨幣の一定量に対する「必要」が形成される。(P117-118一部削除)
--------------------------------------------------------------------------------
E.まとめ
南も北も同一の貧困原因
原的な剥奪と解体
貨幣的必要の絶対への従属
「必要」がシステムによって原理的に離陸されてある。
(システムが必要に無関心
--------------------------------------------------------------------------------
第四章情報化/消費化社会の展開
<序:それでも魅力的な社会>
「冷戦の勝利」
「自由世界」の情報と消費の水準と魅力性
「それでも世界で一番魅力的なシステム」
自由の魅力を保持したまま、情報化・消費化社会がその限界を乗り越える試み。
「果たして『限界』は不回避か」
P124 「それはおそらく、情報について、消費についての原的な考察を通して、それがわれわれに魅力のあるものであることの根拠、不回避の未来であることの根拠と、現在あるような情報化・消費化社会のシステムの原理との位相差を切開することをとおして、情報・消費のシステムの全く新しい形態を構築することをとおして可能となるだろう」
--------------------------------------------------------------------------------
<1:消費のコンセプトの二つの位相>
バタイユの消費社会論 (La spci\'{e}te\'{e} de consumation)
<充溢し燃焼しきる消尽>→効用に回収されることのない生命の充溢と燃焼を
解放する社会の経済 <消費>
ボードリヤールの消費社会論 (La spci\'{e}te\'{e} de consommation)
<商品の購買による消費>→商品の大量の消費を前提とする社会の形態 「消費」
「生産に対する消費の本原性の転倒」
ボードリヤールは社会形態の定義として「消費」を置き、これが生産を要請する。しかし、これは元々は大量生産が呼び起こした、大量消費であった。
「根本的な要素−有用性の彼方の<消費>の概念を純化抽出」
その消費の概念はどんな効用にも先立つ<生の充溢と歓喜の直接的な享受>
消費社会の理論として重要なこと 消費のコンセプトを明確化
消費のコンセプトの内側にある二重化された焦点を分離
それぞれに洗練し、定義
現代の矛盾と困難を切開し出口を構想する思想の方法の基軸として始動
--------------------------------------------------------------------------------
<2:消費の二つのコンセプトと「限界問題」>
現在、消費化・情報化社会が直面している「限界問題」は社会システムの展開の結果、必然的にもたらされたものであるが、これは「消費社会」一般の帰結ではない。 (展開の仕方によっては無かったかもしれない) したがって限界問題は「消費社会」の存在とは無関係であり、よって今後の<転回>によっては「限界問題」の無い社会も可能である。
例えば、バタイユ的な消費の概念からは、豊かさあるいは満足は <他の何ものの手段でもなく、それ自体として生の悦びであるもの> と定義されるので、システム外部からの搾取(原料)の程度とは無関係に悦びが得られる。
またボードリヤール的な、消費社会でも、「消費」を一度原義に戻って再転回するならば、乗り越える可能性がある。 (「方法としての消費社会」の模索、あるいはこれが現在の臨界問題を回避する為に必要な、解き放たれた新たな空間を獲得する為の基底条件になるだろう)
--------------------------------------------------------------------------------
<3:無限空間の再定位。離陸と着陸>
原義としての<消費>を豊かなものとしていくことに基軸をおいた、「方法としての消費社会」という「見通し」には二つの側からの反論が予想される。
反論1「消費社会擁護論」
現在の自己準拠型消費社会の繁栄は、市場での商品消費需要を推進力にしている。従って、この「消費」が原義的な<消費>に替わってしまっては、肝心の繁栄効果を支えるものとしての、消費市場の無限空間は失われてしまうのではないか
反論2「消費社会廃絶論」
市場システム自体、あるいは(堕落した)現代的な市場システムは、定義上商品の大量消費の社会なのだから、限界問題は解決できないのではないか
反論1に対して
重要なのは「需要空間の無限性」である。これは欲望の文化的な恣意ともいえる「必要の大地」からの離陸を前提としたが、別に「必要の大地」の大地から離れなくても、「需要空間の無限性」は獲得可能である。そして「歓喜と欲望は、必要よりも本原的」である。したがって例えば、(バタイユ的に)<生きることの歓び>の地平への着地は、社会システムのテレオノミーをいっそう原的な地平に着地する仕方だけれども、それはこの社会の活力の運動する空間の開放性を、有限なものの内部に閉ざすとこはない。
--------------------------------------------------------------------------------
<4:「ココア・パフ」>
「豊かな」社会の食料需要システムは量的な限界を迎えている。従って、「贅沢化(高価格化)」でしか食料企業の発展はあり得ず、これが途上国の土地利用形態を変え、商品作物の生存食物への優位を促し、単なる生物的なカロリー格差を越えた貧富差を促進している。
ex.ゼネラルミルズ社の「ココア・パフ」
$2.95のトウモロコシを$75.04の「ココア・パフ」として販売
※ゼネラル・ミルズ社
General Mills,Inc
従業員 29859人
売上高 79億ドル 純利益 4億ドル
米国で2位の朝食用シリアル食品メーカー。
日本では、ヨープレートを売る。
サントリーとハーゲンダッツを展開。
株価 General Mills Inc (GIS)47.25ドル
http://finance.yahoo.com/q/bc?s=GIS&t=my
ゼネラルミルズ社ホームページ
http://www.generalmills.com/corporate/
ハーゲンダッツジャパン
http://haagen-dazs.joints.ne.jp/
ココアと砂糖と塩による食品デザインのマージナルな差異化
「パフ」というネーミングの想起させるイメージ「トウモロコシ」の栄養よりも、「パフ」の楽しさ、「美味しいもの」のイメージを買う
この小さな工夫により、同社はトウモロコシの消費量を増やすことなく、 25倍の利益(満足)をあげることに成功した。
需要創出のための「情報集約的な方法」と「資源集約的な方法」。両者は代替的。
<情報化>は現代の「消費社会」が収奪的でない方法で需要の無限空間を見いだすことを可能にする。
ex.アメリカ、日本のマテリアル消費量は「エネルギー危機」以来、長期的には増加していない。(人口は増加しているのに)
反論2に対して
(以上のような理由から)自由な市場システムを通してでも、自然収奪的でなく、他社会収奪的でない仕方で、情報化/消費化社会を永続することは可能なはずである。 P151
--------------------------------------------------------------------------------
<5:情報化と「外部問題」。方法としての情報化>
情報は有限な物質世界を生きる人間に、「幸福の形の創造の無限空間」を開く。 (マテリーは有限だが、イデーは無限)
1.認識・認知情報(知識としての情報)
全地球的に拡大した人々の生の客観的な関係の連鎖と、反対に限定されている人々の主観的な司会の直接性とのギャップが「環境・公害問題」「資源・エネルギー問題」「(必ずしも悪意のない)他社会からの収奪問題」を生んでいる現代社会において、この認識情報の技術を充実することは究めて重要であり、また不可能ではないだろう。
2.行動・指令情報(プログラムとしての情報)
市場システムを前提とする以上、デザイン情報の価値に対する考え方とルールを変える必要があるし、変えることが可能である。
ex.社会的費用、フルコスト・プライシング…カップ、宇沢弘文
ペーパーレス化、交通の通信化
1,2は「手段」「効用」としての情報
--------------------------------------------------------------------------------
<6:情報のコンセプトの二つの位相>
現代社会の情報社会論
脱産業社会論ベース
高度産業社会論ベース
広義の情報コンセプト:
情報は物質(エネルギーの時間的・空間的、定性的・定量的なパターン) の対概念である。そしてその「物質-エネルギー」とならぶ自然現象 (社会現象や言語現象を含む)の根本カテゴリー。(吉田民人『自己組織性の情報科学』)
3.美としての情報(充足情報、歓びとしての情報)
それ自体としての歓びであるような非物質的なものの様相を含むコンセプト。
ex.「環境危機の唯一の解決策は、」環境破壊的でない生活の仕方を通して「自分たちは今よりも幸せになるのだという洞察を、人々がわけ持つことである」イヴァン・イリイチ
洞察の為の経験をどう得るかが問題。「見えないもの・かけがえのないもの」への視力。
非物質的なものの空間への視界の開放という、情報化社会の理論の最も大きい射程を徹底して展開するなら、この情報のコンセプトの核心にあって、コンセプトを反転するもの、知と感受性と魂の深さの領域に向かって、白日のように経験されているものでありながら名を与えられることのないものの領域に向かって、情報というコンセプト自体が自分を踏み抜いていくほかはないだろう。P165
--------------------------------------------------------------------------------
<7:<単純な至福>。離陸と着陸>
情報化/消費化社会は未来に向かって開かれている。
1.
消費の社会という側面から見れば、
生産の自己目的化という、「産業主義的な狂気」からの脱出
情報化社会という側面から見れば、
「物質主義的」な、従って外部収奪的であるほかのない価値観
と幸福のイメージからの脱出
2.
「消費」というコンセプトの可能性の核にありながらこの観念自体を踏み抜いてしまう原義のごときものとしての、 <性の直接的な充溢と歓喜>ともいうべきもののコンセプト
「情報」というコンセプトの可能性の核にありながらこの観念自体を踏み抜いてしまう原的な領野のごときものとして、マテリアルな消費に依存することのない知と感受性と魂の深度のごとき空間の広がり。
3.
このような可能性の追求によって我々が見いだすであろうもの。バタイユのいう<至高なもの>(La souverainet\'{e})
「たとえばそれは、ごく単純にある春の朝、貧相な街の通りの光景を不思議に一変させる太陽の燦然たる輝きにほかならないこともある」バタイユ『至高性』
4.
「われわれの情報と消費の社会は、本当に生産の彼方にあるもの、マテリアルな消費に依存する幸福の彼方にあるものを、不羈(ふき)の仕方で追求するなら、それはこれほどに多くの外部を(自然と他者とを)、収奪し解体することを必要としてはいないのだということを見いだすはずである。ほんとうはこのような自然と他者との、存在だけを不可欠のものとして必要としていることを、他者が他者であり、自然が自然であるという仕方で存在することだけを必要としているのだということを、見いだすはずである」P168
--------------------------------------------------------------------------------
<結:情報化・消費化社会の展開>
我々は情報化/消費化の過渡的な矛盾に満ちた入り口に立っている。其れが故に現在のシステム破綻としての様々な「限界問題」が生じているのである。従ってこれを克服するには、消費化/情報化をその原義に帰って純化し、略奪的でない「生存の美学」を繁栄の推進力とする再展開が必要である。そしてそれは決して不可能ではない。
--------------------------------------------------------------------------------
以上、文章責任:浅川泰宏(taihan@sfc.keio.ac.jp)
--------------------------------------------------------------------------------
Navigate to:
Yasuhiro Asakawa's HomePage
--------------------------------------------------------------------------------