現在地 HOME > 掲示板 > 国家破産35 > 404.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
http://www.incunabula.co.jp/dtp-s/midareuchi/14.html
竹村健一著 株式会社クレスト社 1,400円(税別) 四六版上製
1997年11月19日初版 ISBN4-87712-063-7 C0033
そうかビックバンというのは、そういうことだったのかと、感得させてくる一冊だった。いかにもノウハウ本のようなタイトルがついているが、なかなかどうして「ビックバン」の本質を見事に抉りだし、私たちにわかりやすく教えてくれる。さすがは竹村健一である。
「ビックバン」という言葉は最近マスコミを賑わすようになったが、具体的にどのように変化が起こるのかは実にわかりにくい部分がある。一言で言うと金融の自由化を行なうことなのだが、金融の自由化を行なうと世の中はどのように変わっていくのかは、やって見ないとわからない。
しかし既に金融の自由化を行ない、そのことによって経済が活性化したアメリカやイギリスの状況を見れば、だいたいの予想はつくだろう。そういうことをつぶさに見ていくと、「ビックバン」の大きな意味が見えてくる。この本にはその実体が具体的に示されているのである。
たとえばいままで私はアメリカの経済は、大丈夫なのであろうか、と常々疑問を感じていた。先頃調整曲面を迎えたいうものの、ダウ平均株価はうなぎのぼりになっている。しかし一般の労働者の賃金は下がったままだし、貧富の差はさらに拡がっている。だから今の高い株価というのは、バブルと同じマネーゲームであって、いつかは崩壊するのではないか、いまはアメリカの金融市場にお金がどんどんと集まってきているので、好調に推移しているものの、いつかは脆く崩れさってしまうのではないか、と。
ところが、アメリカの経済が好調なのは、単なるマネーゲームではなく、お金の流れる仕組みが変わってしまったものに因るということが大きいらしい。というのは、今まで企業の資金の調達は、銀行や証券会社などの金融機関が、蛇口を握っていたわけである。こういう金融機関は、いたって保守的でお金のあるところ、担保のあるところにはお金を貸すが、そうでないところには、一切見向きもしないという方法を取ってきた。銀行などは利鞘で利益を計上するので、ハイリスク・ハイリターンであることより、ローリスク・ローリターンであることを選択する。現実に業績を着実に上げるためには、当然そういう方法論を取らざるを得ない。もちろん彼らはバブルのときに、本来の理念を忘れ、不動産投資に傾注し、それがハイリターンでハイリスクであることを知らずに、莫大な不良債権を作ってしまったが、基本は薄利多売の利鞘商売なのである。
本来金融機関は、お金の流れを握っているので、ここで蛇口を閉められると、経済はうまくいかなくなる。経済が好調であるというのは、平たくいえばお金がどんどん流れるということである。いままで日本は国策で経済を進行し、官僚が指導することで、このお金の流れをコントロールしてきた。日本には資源もお金もなかったから、大企業に銀行や郵便局で集めたお金を集中していくほうが、効率的であったからである。
でその結果どうなったかというと、新しいビジネスが生まれなくなった。新しいビジネスは銀行などから資金を用立てなくともやっていける大資本が、参入するだけになってしまった。こうなるとお金はないがアイディアはあるという人がいても、新しい事業を起こすことは現実には不可能だ。誰かが投資してくれるわけでもなく、銀行などの金融機関はそんなどこの馬の骨かもわからないアイディアに融資してくれるわけはないので、どのように素晴らしいアイディアであっても、お蔵入りするしかない。
金融を自由化したアメリカがこれに対しておこなったことが、株式市場を本来の投資家の為に機能させようとしたことだった。もともと株式会社というのは、多くの人がハイリスクの事業にのために、分散してリスクを負うことによって、資金を調達しようとしたことに始まる。つまりこれから伸びる企業に対して、多くの人が投資を行ない、その企業が伸びたときにリターンを各々が受け取るわけだ。その投資を行なっているのが、ウォール街のファンド・マネージャー達である。
ファンド・マネージャーは投資信託の運用責任者だが、ここで驚いたことに彼らは、株式や債権を売ったり買ったりして利鞘を稼いでいるわけではなく(もちろんそういう部分もあるだろうが)、これから起こる新しい企業や事業を探し見い出し、それらに委託されたお金を投資するのである。
昔、ベンチャーキャピタルというものがあったが、ベンチャーキャピタルはリスクがあまりにも大きく定着しなかった。金を出すほうにすると、ハイリスクであることを知っていながらも、損はしたくないと思うから、口も出すし、条件も厳しくなる。そうなると、本当のベンチャーには投資などできない。
ところが、ファンド・マネージャーの運用はファンド・マネージャーひとりが責任を負えばいいので、実に思い切ったことができるし、運用資金だって、いろんな方法でヘッジがかけられる。彼らの年収は完全な出来高払いになっていて、年収何十億ドルなんていうのもありえるから、リスクヘッジをにらみつつ、最大限のリターンを得ようとする。
金融の世界で、もっともハイリターンなのは、今までにない新しい商品やサービスが彗星のごとく現れて、市場を席巻することである。そういうものは創業時に株を持っていれば、それだけで莫大な富を生むことは珍しくない。だからそういうものを彼らは血眼になって探すことになる。
こうしたファンド・マネージャーの新しいモノやサービスへの投資が、資金のない企業であっても、株式市場からいとも簡単に資金を調達する道を付けたのである。NetscapeやYahooがなぜあんなに短期間に巨大になったのかというと、金融機関に融資して貰わなくとも、見込みのあるビジネスであるとマーケットが判断すれば、目を付けるファンド・マネージャーがたくさんいて、株価はあっというまに吊り上がるから、あとは新株や債券などを発行すれば、資金はいくらでも集めることができるからなのである。
そういう資金の調達を金融機関という保守的な一企業から、本来の投資家が投資するという形に変えたものが、アメリカの金融自由化であった。こうして生まれた新しいビジネスが次々と現れていくことで、アメリカは経済を活性化させ、債権市場を安定させ株価を高騰させた。そして大企業がリストラで首を切った人たちを吸収していったのである。
そう考えると、アメリカの経済が好調な影には、マネーゲーム的な要素はないとはいわないが、それだけでなく、お金の流れ方が変わったことになったことに大きな原因があるといってもよい。
「ビックバン」によって変わることは、投資の在り方といったことだけでなく、これ以外にもたくさんある。もし日本の金融がアメリカやイギリスのようになれば、私たちの生活はもっともっと変わっていくだろう。もちろん自由と責任は裏腹であり、自己責任の原則が貫かれるだろうから、日本に理解されるまでには時間がかかるかも知れない。
また日本から、成功した人を嫉む人たちを駆逐しないと駄目だろう。「ビックバン」で目指すべきところは、成功の善循環であって、その結果金持ちになった人を世間が許さなければ、金持ちは増えないし、金持ちが増えないと、また日本全体もいい循環が起こらないからである。
しかしこんな話なら、「ビックバン」を2001年なとどいわずもっともっと前倒しにして実施して貰いたいものである。いまは新しい革袋に新しい酒を即座に入れていかなければならない激動の時代なのだからである。
(1997/11/18up)