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転載元サイト:趣味の経済学:アマチュアエコノミストのすすめ( http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/ )
インフレ目標の成功例が地域通貨にあった(前)
ヴェルグルの労働証明書
<「エンデの遺言」から>「第1次世界大戦後、レーテ共和国時代のバイエルンにシルビオ・ゲゼルという人物がいて、ゲゼルは『お金は老化しなければならない』というテーゼを述べています。ゲゼルは、お金で買った物は、ジャガイモにせよ靴にせよ消費されます。ジャガイモは食べられ靴は履きつぶされます。しかし、その購入に使ったお金はなくなりません。そこでは、モノとしてのお金と消費物資との間で不当競争が行われている、とゲゼルはいいます。お金自体はモノですね。売買されるのですから。しかし、お金は減ったり滅することがないものなのです。一方、本来の意味でのモノは経済プロセスのなかで消費され、なくなりなす。そこで、ゲゼルは、お金も経済プロセスの終わりにはなくなるべきであると言います。ちょうど血液が骨髄でつくられ、循環して、その役目を果たしたあとに老化して排泄されるように。お金とは経済という、いわば有機的組織を循環する血液のようなものです。
このゲゼルの理論を実践し、成功した例があります。1929年の世界大恐慌後のオーストリアのヴェルグルという町での話です。町は負債を抱え、失業者も多い状態でした。そこでヴェルグルの町長だったウンターグッゲンベルガーは現行の貨幣のほかに、老化するお金のシステムを導入したのです。このシステムは簡単に言えば、1ヶ月ごとに1%ずつ価値が減少するというものでした。町民は毎月1%分のスタンプを買って老化するお金に貼らなくてはならないという仕組みでした。このお金はもっていても増えないばかりか、減るので、皆がそれをすぐに使いました。つまり貯めることなく経済の輪のなかに戻したのです。お金は持ち主を変えれば変えるほど、購買力は大きくなるのです。1日に2度、持ち主を変えるマルクは、1日に1度しか持ち主を変えないマルクより購買力が大きいのです。2年後には失業者の姿が消えたといいます。お金を借りても利子を払う必要がないので、皆がお金を借りて仕事を始めたのです。町の負債もなくなりましたが、オーストリア国家が介入し、このお金は禁止されました。
この話はシルビオ・ゲゼル信奉者からよく例に引かれ、いまあるお金のシステムのなかで、二次的に導入できる証拠としてよく論じられています。このお金は時間とともに目減りするので、誰も受け取らないだろうと最初は思われましたが、皆が喜んで受け取りました」
(「エンデの遺言」根源からお金を問うこと 河邑厚徳+グループ現代著 日本放送協会 2000.2.25 から)
<大恐慌時代の金融政策>1930年代の大恐慌は経済学を趣味とする者には興味ある研究対象だ。しかし今回は大恐慌の事ではなくて、その周辺のことになる。ここではエンデが語った「ヴェルグルでの労働証明書」について各種資料に目を通してまとめてみよう。
1929年10月ニューヨーク株式市場の暴落から始まった恐慌は、その後の対処のまずさもあって世界的規模に広がった。金融恐慌、そのポイントは通貨流通量だった。アメリカで多くの銀行が破綻した。ニューディール政策は必ずしも成功したわけではなかった。資金をなにに使うかではなくて、財源は何か?が問題であった。日本では高橋是清が紙幣を増刷した。これをケインズ政策の先取りと評する人もいるが、ポイントは通貨流通量が増大したということ。それが軍事費に使われたのか、公共投資に回ったのか、工業製品増産に使われたのか?あまり問題ではない。銀行が破綻して信用創造が行われず、通貨流通量が減少してそのままだったのか?あるいは高橋是清のように政府保証で紙幣を増刷して通貨流通量を増大させるか?の違いになる。このように「財政政策」か「金融政策」か?この時代の政策のどの点を重視するか?財政面か金融面か?どの面で効果があったのか?それは当事者がどのように考えていたのか?とは別のことになる。高橋是清の政策は「金融政策」であった。21世紀の現代から見ると元禄時代、荻原重秀の貨幣改鋳と同じ「通貨拡大政策」と同じ「金融政策」であった。
アメリカの取るべき政策は銀行を救済し信用創造がスムーズに行われるようにすること。通貨流通量が拡大すればその使われ方がTVAダムでも失業対策でもよかった。フランスでは人民戦線内閣がもっと早くに通貨切り下げを行っていれば景気回復が早かったろう。そしてレオン・ブルム内閣は人民の高い支持率のもと、共産党も閣内に入れ革命に依らない社会主義実現へ走ったであろう。戦後のイギリスでは通貨安定のための金融政策がとられていれば、低い失業率を維持しながら、ポンドの安定が図られ労働党内閣が長く続き、ここでも革命に依らない社会主義国が生まれていたかもしれない。このように大恐慌時代、先進諸国で「通貨」を重視した金融政策がとられていれば、その後の世界経済はもっと安定したものになっていたに違いない。
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<ヴェルグルの労働証明書> 大恐慌の波はオーストリアの小さな町、ヴェルグル(Worgl)にも押し寄せてきた。1932年この町の町長ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガー(Michael Unterguggenberger)は以前からシルビオ・ゲゼルの信奉者であった。1916年に発刊された、シルビオ・ゲゼル著『自然的経済秩序』を参考に、ロバート・オーウェンが1832年から34年までに行った「労働貨幣(Labour Exchange Notes)」に似た「労働証明書」を発行しようとした。1932年7月町議会が「労働証明書」発行を議決し、1932年の7月31日に最初の1000シリングが職員への給与として支払われ、市場に出回った。これはヴェルグル町が町の資産を担保に発行した地域通貨であった。その後5000人足らずの町で、1500人を公共事業のために雇い、道路整備、橋建設、スキー・ジャンプ台など、観光地ヴェルグルを甦らせるための事業を始めた。その賃金の支払いのために「労働証明書」が発行された。1シリング、5シリング、10シリングの三種類の地域通貨で、これは公共事業の賃金支払いだけではなくて、町長はじめすべての職員も給与の半分はこの「労働証明書」を貨幣として受け取った。ヴェルグル労働証明書は1ヶ月毎にスタンプを貼らなければならない紙幣で、負の利子が付いた貨幣であった。
新しい月になるとその証明書に1%の額のスタンプを買って貼らなければ使えないものだった。例えば7月31日に10シリング札を手に持っていたとしても、明日(8月1日)になると10ペニヒ分のスタンプを買ってこの10シリング証明書に貼らなければ使えない。もし1年間この労働証明書をタンス預金していたら、合計で1.2シリング分のスタンプを買わないとこの証明書は使えず、いいかえれば1年後には実質上8.8シリングの価値しかなくなるものだった。
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<価値が低下する貨幣> この労働証明書の現物は表面に12ヶ月分のスタンプを貼る欄があり、裏面には宣言文が印刷されてあった。宣言文は次の通り。
諸君!貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機に、そして人類を貧困に陥れた。経済において恐ろしい世界の没落が始まっている。いまこそはっきりとした認識と敢然としたした行動とで経済機構の凋落を避けなければならない。そうすれば戦争や経済の荒廃を免れ、人類は救済されるだろう。人間は自分がつくりだした労働を交換することで生活している。緩慢にしか循環しないお金がその労働の交換の大部分を妨げ、何百万という労働しようとしている人々の経済生活の空間を失わせているのだ。労働の交換を高めて、そこから疎外された人々をもう一度呼び戻さなければならない。この目的のためにヴェルグル町の労働証明書はつくられた。困窮を癒し、労働とパンを与えよ。
ヴェルグルの労働証明書はその流通速度を速めるために、時間と共に価値が減価する貨幣を採用した。この「時間と共に貨幣価値が低下する」というのがゲゼルの考えだった。ゲゼルが提案した自由貨幣(消滅貨幣・スタンプ貨幣)とは次のような考えに基づくものだった。
諸商品は老化し、錆びつき、損なわれ、砕ける。われわれが商品について語る欠陥や損失に対応する物理的特製を、貨幣がもつようになるとき、ただそのとき、貨幣は確実で、迅速で安価な交換の用具となろう。なぜなら、いかなる場合にも、どのようなときにも、貨幣が商品よりも選好されることはないだろうからである。
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<「インフレ目標政策」だった> ヴェルグルの労働証明書という地域通貨は翌1933年8月にウィーンの中央政府が「オーストリアにおける通貨発行権を侵害した」と訴訟を起こし、裁判所は政府側の主張を認め、ここに地域通貨の発行は停止した。この1年の間にヴェルグルの経済は活発になった。初めは労働証明書を受け取った人は早く使おうとして町への納税のために使った。町は税金として受け取った労働証明書を公共事業のために使った。このため町の公共事業は盛んになり、これにより失業者も減った。どの程度の雇用効果があったか、ということに関しては、「1年の間に失業者が2/3になった」とか「700人いた卒業者がいなくなった」などど言われている。ヴェルグルの町が豊かになったので、他の自治体も真似をしようと視察に訪れた。政府が禁止したために残念がったが、ヴェルグルでの試みはこれで終わることになった。
毎月1%ずつ貨幣の価値が低下する。1年で12%低下する。つまり12%インフレが進行することだ。このために人々は手持ちの貨幣を使ってしまおうとする。取引が活発になり、消費が伸び、景気を刺激する。「生産量が消費量を決定する」との考えでは理解できないが、「消費量が生産量を決定する」ことを理解すればこの政策=インフレ目標政策の有効性が理解できる。
ここまでは地域通貨を支持する立場から資料を集めてまとめてみた。この立場は「貨幣は交換のためだけに使うべきで、貯蓄や金融商品の売買などのマネーゲームに使うべきでない」との資本主義経済に批判的な立場だ。その反市場経済派の「地域通貨」が今日本で話題になっている「インフレ目標」の成功例と言えそうだとなると、経済学を趣味とするアマチュアエコノミストは黙っていられない。しかし地域通貨派からの「インフレ目標政策」へのエールは送られていない。「インフレ目標政策を支持します」との発言はない。ヴェルグルで成功させながら、現代の問題=インフレ目標には黙っている。そしてまたインフレ目標支持者もヴェルグルの成功例の話は持ち出さない。どちら側も自分の専門分野に閉じこもっていて視野狭窄のようだ。そこで次週はヴェルグルの例を、地域通貨派とは違った立場=「趣味の経済学」の立場から検証してみる事にしよう。現代の経済学のセンスで捉えるとどうなるか?アマチュアエコノミストが挑戦します。ご期待下さい。
( 2003年3月3日 TANAKA1942b )
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インフレ目標の成功例が地域通貨にあった(後)
貨幣数量説を実証
<通貨流通量が増えた> ヴェルグルの労働証明書の発行が景気を浮揚させた。なぜ景気が良くなったのか?その要因を考えてみよう。
先ず第一に考えられるのが通貨流通量が増えたこと。通貨流通量が増えると景気が良くなる、その実例は元禄時代荻原重秀の貨幣改鋳、高橋是清の通貨拡大政策に見られる。1962(昭和37)年、日本銀行は「経済の成長に伴って必要となる現金通貨──成長通貨という──を貸し出しではなく、債権買い入れによって供給する」という「新金融調節方式」を発表。日本の金融政策の基本は、この考えにたっている。
MV=PY ・・・・・・ただし、M=貨幣量 V=貨幣の流通速度 P=物価水準 Y=実質国民所得
YをT(取引量)と置き換えて、MV=PTという恒等式も成り立つ。この貨幣数量説を前提に話を進めよう。
ヴェルグルでは中央政府の通貨も流通していた。労働証明書はそれに加えて流通した。どの程度通貨流通量が増加したかというと、町の公共事業が労働証明書で支払われ、町役場の職員給与の半分が労働証明書だったことから、マネーサプライが2倍になったと考えるのが妥当だろう。
<流通速度が速くなった> 「エンデの遺言」からもう少し引用しよう。
労働証明書は非常な勢いで街をめぐりはじめます。それはこうした原理でした。貨幣にかかる持ち越し費用、つまりスタンプ代は一種の税ですが、これはお金を使ってしまえば回避できるものです。そこでこの紙券を受領した人間はできるだけ早く、そしてオーストリア・シリングよりも先に使おうとします。紙券は猛烈なスピードで循環しはじめ、循環するほどに、取引を成り立たせていきました。町には税金が支払われるようになりました。あまり早く税金の支払いという形で町に労働証明が環流してくるので、町の会計課の役人が、これは誰かが偽札を刷っているに違いない、と叫んだほどです。(中略) 貨幣の流通する速度は12くらいだったといいます。10シリングの労働証明が月に12回流通したわけですから、120シリングの取引を発生させたことになります。町はこの労働証明の発行後、4ヶ月で10万シリング分の公共事業を実施でき、もちろん滞納された税は解消され、なかには税を前納したいと言い出す市民も現れたそうです。町の税収は労働証明書発行前の8倍にも増え、失業はみるみる解消していきました。焦点は繁盛し、ヴェルグルだけが、大不況のなか繁栄する事態となりました。
ヴェルグルでは1月に12回流通した、ということは1年で144となる。日本では2000年のM1の流通速度は2.22。ヴェルグルでいかに労働証明書の流通速度が速かったか、今日これほど流通読度の早い国はないし、どのような状況になるのか予想し難い。第1次大戦後のドイツ経済のようだったかもしれない。つまりヴェルグルの状況は同じ頃のドイツと同じ様だったのだろう。伝え聞く所によると、「朝給料をもらったらその日の内に使ってしまわないと、翌日になるとインフレで貨幣価値が半分になってしまう」状況だったと言われる。
<12%のインフレか?> 毎月1%のスタンプを貼るのだから、1年で12%の貨幣価値の低下となる。つまり12%のインフレ。しかしこれは労働証明のことでオーストリア・シリングは違う。物価がどのように上昇したのか?については記録がない。13ヶ月ではインフレは起きてないかもしれない。上記の恒等式で「P=物価水準」に変化がないとすると、「Y=実質国民所得」が大きいことが予想できる。しかしこれは短期だからで、もっと続けていればインフレになっていたであろう。
<預金することができなかった> 銀行などに預金することができなかったこともポイントの1つだ。「預金できないから使ってしまおう」となった。もし預金できれば流通速度が鈍っていたはずだから、これも大きなポイントの1つになる。もっとも預金できなかったから→銀行に預金が集まることがなかったから→民間からの投資が行われなかったから→長期的な経済成長は望めなかった、と言える。
「金利とは人口の1%の資産家の資産を増やし、一方99%の人たちを合法的に貧しくする制度」との考えがある。このため地域通貨に賛同する人、ヴェルグルでの成功を高く評価する人は「金利はない方がいい」と言う。もしヴェルグルで今日の金融制度のような金利の預金制度があったなら、この「インフレ目標政策」はこれほどの成果はあげられなかったであろう。受け取った労働証明書をすぐ消費に廻すのではなく銀行に預金する。もしインフレが起きればそれに見合う預金金利が設定される。こうしてインフレ期待による消費拡大にブレーキがかかるからだ。
金利のない社会では「資金のない貧乏人は事業を興すことができないので、貧富の階級社会を固定する」とのTANAKA1942b の主張は「地域通貨は金融経済学の最適教材か?」で書いたのでここでは取り扱わないことにする。
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<財政政策の財源はどうする?> 景気が悪いから、と言って補正予算を組んで景気を刺激しようとする。「真水〇〇兆円が必要だ」と主張するエコノミストがテレビに登場する。そうした主張の一方で「財政政策は景気刺激策として有効ではない」「国債を発行しての景気刺激策は、単に所得再配分しているだけで、景気には中立である」との主張もある。こうした議論で中心的な論点はその規模、「何兆円の補正予算を組むか?」になる。それでも少しばかり使い道が議論され、財源は「国債を発行する」で終わる。ところでその国債はどのように消化されるのだろうか?国債がどのように消化されるかによって景気にどのような影響を与えるか、通貨流通量に注目しながら考えてみよう。ヴェルグルでの労働証明書の件、インフレ・ターゲットの有効性に付いて考えるヒントになると思われるからだ。
(1) 10兆円の国債を市中消化する。 補正予算の財源としての国債を民間企業・一般市民が買う。この場合は市場にあった10兆円が政府側に移っただけ、マネーサプライに変化はない。
(2) 10兆円の国債を民間銀行が買う。 民間銀行による10兆円の信用創造。2003年1月のM1(現金通貨)は340兆円。M2+CDは670兆円。これだけの通貨が流通していて10兆円の増加は経済に影響を与えるのだろうか?「通貨流通量」に注目して景気を考えてきた目から見ると、この10兆円はあまりにも小さい。貨幣量という面から見ると「民間銀行による10兆円の信用創造」は経済に影響を与えない。
(3) 10兆円の国債を市場から日銀が買う。 一度市中消化された10兆円の国債を民間銀行が買い、これを日銀が買う。この場合はベースマネー(ハイパワード・マネー)が10兆円増加する。するとどうなるか?準備率を10%として考えると貨幣乗数によりその10倍、すなわち100兆円になる可能性が生まれる。マネーサプライが100兆円増えれば景気を刺激すると考えていい。しかしこれはあくまでも「可能性」。馬を水飲み場まで連れていっても、馬が水を飲むか飲まないかは馬次第。信用創造の乗数効果により通貨流通量が100兆円増えるか、50兆円程度になるか、それとも10兆円で伸び悩むか?それは馬ならぬ、民間銀行とそこから融資を受ける企業次第となる。
(4) 10兆円の景気対策のために他の予算を削って回す。 景気浮揚のための補正予算としてはないだろうが、当初予算としては「今年度は景気対策を重視して予算を組みました」と言うことはある。そして景気対策の内容を説明する。しかしそのために何を削ったかは言わない。税金の使い方で景気刺激かどうか変わる、としよう。それでは補正予算は景気刺激予算と言い切れるだろうか?実際は政・官・業のトライアングル、圧力団体、族議員の意向を無視する訳にはいかない。景気対策の補正予算案と言いながらも、その内訳の何割かは景気対策とは関係ない族議員対策の予算が含まれる。これも財政政策に対する不信感の原因になっている。
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<今日の日本に応用できるのか?> ヴェルグルでの成功とインフレターゲットを関連付けて取り上げたのは「景気」「インフレ」「マネーサプライ」これらの深い関係を明らかにしたかったからだ。「インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である」 との常識が、常識でない人たちがいるために書いてみた。もっともこの常識を十分説明するにはかなりのエネルギーを必要とするので、今回はこのような面から取り上げてみた。
ところで一番の問題、皆が関心を持っているのは「インフレターゲットは景気対策として有効なのか?」。そして「それならヴェルグルでの試みが現代でも生かせるのか?」だろう。ヴェルグルの事例・データはこの程度しかない。エコノミストからの報告がないのでこの程度のデータから判断するしかない。ではどうなのか?ヴェルグルでの事例が現代日本に生かせるのか?インフレターゲットは景気対策になるのか?
インフレターゲットはまだまだ専門家・政策関係者の間で議論されることだろう。ここではヴェルグルでの実験を紹介し、インフレ目標の有効性については皆さんの想像力を邪魔しないように、ここまでで止めておくことにしよう。それでも気になるのは地域通貨運営者から「インフレ目標賛成論」が聞こえてこない。地域通貨とは「豊かな国の豊かな人々(顕示的消費=Conspicuous Consumption をする有閑階級=Leisure Class )の、外部社会に影響を与えずに、自分たちだけで楽しむ趣味の集い」としても、好奇心と遊び心があれば、ヴェルグルでの実験とインフレ目標とを関連づけてみようとの発想が生まれるはずだ。反証不可能な非科学的なこじつけとしても、「地域通貨は金融経済学の最適教材だ」と捉えることにより趣味の経済学が面白くなる。このようにして皆さんにアマチュアエコノミストをおすすめする次第なのであります。
( 2002年3月10日 TANAKA1942b )
http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/chiiki.html#2