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http://www.mskj.or.jp/kyodo/20hollandrep01.html
GDPのたった1%ぐらいの経常収支にこだわって、円安介入するよりも
国内経済の資産流動性を形成することの方が重要である。
T オランダの奇跡
80年代初頭のオランダ経済は最悪の状態にあった。マイナス成長(実質経済成長率−1.2% 82年)、街には失業者があふれ(失業率12.0% 82年)、こうした失業対策と肥大化した福祉により財政赤字が山のように累積していた(GDP比6.6% 82年)。この様子を指して『オランダ病』という呼び名さえ定着していたほどだ。
ところが、このオランダが今世界中のリーダーの関心を集めている。いまだ二桁の失業率に悩む欧州諸国の閉塞状況を、イギリスともにいち早く打ち破ったからだ。いまやオランダ企業の活躍は目覚しく、95年に英のベアリングズを買い取ったING銀行、ABNアムロと2つも世界で10指に入る金融機関が育ち、また英調査機関のEIUの2000年までのビジネス環境評価でも一位を獲得している。先ほどあげた3つの指標も、98年には実質経済成長率3.8%、財政赤字GDP比1.4%、失業率4.0%と驚くほどの回復を示している。『オランダ病』から『オランダの奇跡』へ、この華麗なる変貌の秘訣は何なのか、本研究を通じて探ってみた。
U ユーロペシミズムとグローバリゼーション
70年代後半から80年代全般において、欧州経済はユーロペシミズムといわれる停滞に直面した。低成長・高福祉のもとで財政肥大化、生産性は低迷したままで、ついには失業率が上昇するといった状態だ。その最たる例が『オランダ病』であった。
私はこのユーロペシミズムの原因を同時期に世界経済に起きた変化に求めることができるのではないかと考えている。欧州経済が停滞し始めた70年代というのはちょうど世界経済全体における貿易取引量が急拡大した時期に重なっている。つまり世界経済のグローバリゼーションが進み、より賃金コスト等のかからない安価な商品との競争にさらされるようになってくる中で、欧州の伝統的な高福祉の社会モデルが不利に働くようになってきたのではないかということが推察できる。
もっともこの時期の欧州各国が競争力強化に無関心だったわけではない。ニクソンショック後、欧州各国はお互いに為替切下げに乗り出し、自国産業の競争力を引き上げようと努めた。しかし、こうした方策は結果的には失敗だったようだ。貿易取引量の急拡大によって世界全体のパイが拡大している時期に、欧州各国は自国の通貨価値を不安定にしたため、かえってグローバリゼーションの恩恵にあずかることができなかった。本来は為替切り下げを避け、通貨価値を安定させたまま、真の競争力強化を図るために自国の高コスト体質の改善に取り組むべきであったと思う。
V 安易な不況対策と決別したリーダーシップ
『オランダの奇跡』は実は上記2で述べた、通貨価値を安定させたまま、自国の高コスト体質の改善に取り組むという方法に、忠実に取り組んだ結果と評価することができよう。
オランダは自発的に為替の切り下げを放棄した国である。自国通貨ギルダーを強いドイツマルクにペッグした(上下1.5%以内)1983年以降、ほとんど為替切り下げを行っていない。競争力を高めるためには自国の高コスト体質を改善するよりほかない、とは分かっていても抵抗が大きくなかなか実行できないものである。しかしオランダは自らギルダーを強く安定した通貨マルクにペッグするという制約を課すことで、10数年にわたる構造改革に後戻りはできないという一本の柱を通すことに成功したのだ。
またオランダはその構造改革の手法も、無血革命として注目を集めている。ここでよく用いられるのがイギリスとの比較である。イギリスもまたユーロペシミズムからいち早く脱却した国であるが、これはサッチャー女史が徹底的に労組をつぶし、一方的な効率化を図っていく中で成し遂げられたものだ。その結果、イギリスの成長率、失業率は好転したが、貧富の差は拡大してしまい、「ゆりかごから墓場まで」と言われた高福祉はいまやみるかげもない流血の革命であった。これに対しオランダは無血革命をしたといわれる。賃金格差もイギリスがこの20年で約2.5倍から約3.3倍に拡大したのに比べ、オランダは約2.5倍前後のまま安定している。この違いはどこから生まれたのだろうか。
オランダの構造改革の眼目は、パートタイム、そしてコンセンサスを積み重ねる政治的リーダーシップにあると言える。1982年ワッセナウの合意として後に有名になった、オランダの労組、経営者、政府の3者の会合が行われた。そこで決まったのが、実質賃金の据え置き、時短推進、パートタイム労働の拡大の3つである。
時短、パートタイムを増やすことでより多くの人に雇用機会を拡大し、失業を緩和することに成功した。一方で賃金据え置きによる労働コスト抑制で、強いギルダーを維持したまま、国際競争力を回復した。その結果オランダはある程度の雇用と福祉を維持しながら、構造改革を成し遂げ、成長を取り戻して行ったのである。
80年代前半には週40時間だったものが現在は週平均35時間労働が一般化しており、パート労働者の比率も21%から35%へ拡大した。また女性の市場参入を推し進め、83年にはわずか35%だった労働人口に占める女性の割合は98年には62.9%になった。83年以降のオランダにおける雇用創出のうち3/4はパート労働者に負うものである。
もっともこの時短、パートタイム労働者拡大によるワークシェアリングという発想を他国が全く持たなかったわけではない。フランスでも雇用対策の意味を込めた大幅な時短を求める動きは70年代からあり、78年総選挙ではミッテラン率いる左翼連合の共同綱領にも週35時間制がうたわれていた。しかし81年に政権についたミッテランは、所得増大、企業投資の促進といった従来型の景気対策を重視し、82年の法改正ではわずか1時間の時短、39時間制にとどまった。結果、購買力上昇は国内産業の活性化ではなく、インフレと輸入の増大を招き、企業投資は雇用拡大ではなく、省力化に集中した。この失敗の後、ミッテラン政権は時短を放棄してしまった。
この点でVNO NCW(オランダの経団連)、リンツアブマ氏の言葉が印象的だった。「『オランダの奇跡』は奇跡ではありません。どの国のリーダーも似たような政策は考えたはずです。むしろ誇るべきは、考えはしてもなかなかできないその政策を実行することを可能にした、オランダの政労使のコンセンサスとリーダーシップです。」
W 日本への示唆
グローバリゼーションへの対応では、政府は自国通貨価値の安定をはかることと、自国産業が真の競争力を持つように高コスト体質を是正していくことが必要である。以上で述べてきたように、70年代後半から欧州がユーロペシミズムに陥ったことも、『オランダ病』もこの原則を踏み外したためであり、逆に『オランダの奇跡』もこの原則を忠実に実行していった結果であると位置付けられる。
現在は70年代の貿易取引の拡大とは違った、金融取引の急速な拡大による新たなグローバリゼーションの時代である。ひるがえって現在の日本を考えた時、そこには、実効為替レートは激しく上下を繰り返し不安定なままであり、もはや効果が疑問視されている減税と公共事業による安易な景気拡大策から抜け出せない、なにかユーロペシミズムに陥った70年代欧州を彷彿とさせるような日本の姿がある。
オランダは自国のGDPの50%を輸出に頼ったオープンエコノミーの貿易立国である。その国が自国通貨のギルダーを安くして輸出促進を図るよりも、逆に強いドイツマルクにペッグして通貨の安定させることを選んだことの意味にもっと注目しても良いと思う。グローバリゼーションが進展した世界ではまず自国通貨が強く安定していることが大前提なのだ。オランダは自発的に強いギルダーを選択して、自らの真の構造改革、高コスト体質の改善に踏み切った。日本は円安にこだわることで、自らの構造改革を先延ばしにし続けているのではないだろうか。
今、ユーロ導入によりオランダのみならず欧州全体がユーロペシミズムの永い眠りから覚めようとしている。ユーロという単一通貨を採用したことで、各国の中央銀行は実質上競争力強化の手段としての為替切り下げを失った。また各国の財政赤字にも規律が加わったため、安易な景気刺激策も取れなくなってきた。こうして自らの手足を縛った欧州は、かつてのオランダのように、真の競争力強化、高コスト体質の改善に乗り出してきているのだ。日本もまた自らの社会のあり方を厳しく問い直していかねばならない。