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供給される財の適否はそれほど問題ではありません。
間違った財の供給を行っても、そのための供給活動にはお金が投じられているわけですから、それが需要になり、間違った財はデッドストックになるとしても、他の財が“高く”売れるので需要減やデフレにはなりません。
国民経済の循環においては供給に投じられるお金が需要になるという、「供給額→需要」の論理を今一度お考えいただければと思います。
【質問】
国民経済の循環に日本の特殊要因である。
不良債権の存在と、BIS規制をかけられた銀行、公的投資の乗数効果の減少、第3次産業構造の重複(大企業(民間投資)と中小規模(公的投資)、不良債権の処理(持続不能な企業の処理にともなう投資(直接金融より間接金融のほうが処理額が増える)のための銀行救済処置という面の低利率の維持と量的拡大という要因を加えても、その理論は成り立つものなのでしょうか?
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これまでの日本の大きなあやまりは、「供給額を増やせば、需要が増加すると勘違い」していることではなく、その論理を理解しないまま、「赤字財政支出で需要を増加させれば供給側が活発化する(景気が良くなる)」という政策を採り続けたことです。
そのために、膨大な政府債務が積み上がり、建設関連など特定業種という偏った需要増加しか達成できませんでした。そして、政府債務の膨らみが国民負担の増大として跳ね返るなかで、供給額(給与)から需要に回る金額が減少するという悲劇を招いています。
確かにそうですね。
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不良債権処理は、国費を使って(=銀行の国有化)一気に行うべきだと考えています。
ダラダラとデフレ不況が続き、ダラダラと赤字財政支出を続けるより、40兆円ほど一気に投入して処理したほうが、総額での国民負担も少なくて済み、経済状況も早く回復します。
いわゆる“ゾンビ企業”をどうするかは、そこから考えるべき課題だと思っています。
デフレにおいては膨大な設備を抱える企業は徐々にであれ財務状況を劣化させていきます。そのような状況で“ゾンビ企業”と認定して破綻させていけば、その余波(供給額減少=需要減少)を受けて健全な企業まで“ゾンビ企業”に近づいていくことになります。
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過程や想像にすぎませんが。
国有化は、この国で果たして有効でしょうか?
国が、株主となりそして監督責任者でもある。
その状態になった時点で、機能が止まりそうな気がします。
ただでさえ、収益率の低い日本の銀行の大半が国有化におかれた状況になると
不良債権の処理は、政治色の強いものになり「ゾンビ企業」延命策に翻弄されるような
気がします。
まして、ゾンビ企業に危機感はなくなり、リストラクチャリングをおこない収益力を高めるという処置をしなくてもという雰囲気が立ってくるのではないでしょうか?
株主にたいして、ROEの提示をするとかコミットメントするとか
そのような企業文化をもたない日本の経営者(特に内需関連企業)がどこまでそのような、自律ある行動ができるでしょうか?
ソニーでさえ、外国企業からみると経営者の責任を放棄しているような面があります。
目標が明確でなく、どこでコア収益源とするか明確ではないからです。
また、どこまでが経営責任という明確な目標もだしていません。
もし、大企業がそのようなことを前面に押し出すと困る企業経営者が多いという
状況も日本の現状のような気がします。