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週刊エコノミスト[9月21日号]
http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/economist/040921/
BSEの“戦犯”たち優雅な「天下り生活」と農水省の「焼け太り」
警告を軽視し続けて国民の牛肉への不安を高め、業界との癒着までも明らかとなりながら、責任は曖昧なまま。監督官庁が「焼け太り」状態の摩訶不思議。
日本でBSE(牛海綿状脳症)が初めて確認された衝撃の日から、9月10日で3年になる。牛肉への不安が一挙に高まり、畜産農家や焼き肉店は合計3000億円もの損害を強いられ、納税者は4000億円もの対策費を負担させられた。
にもかかわらず、BSEの国内侵入を許した責任官庁である農林水産省は、責任を曖昧にしたまま、逆に組織や予算を拡大させた。技官としての責任者である歴代の畜産部衛生課長たちも天下り先で何不自由ない第二の人生を送っている。
BSEの日本上陸をなぜ防げなかったか、を検証した農水相と厚生労働相の諮問機関「BSE問題に関する調査検討委員会」は2002年4月の報告書で、警告は少なくとも3度あったが、すべてなおざりにされたとし、農水省には「重大な失政があった」と結論づけている。
その責任は歴代の大臣と事務方トップの事務次官、そして畜産局長(後に組織が変わり生産局畜産部長)が負うべきだ。ところが、事件から4カ月後の02年1月に辞任したのは当時の熊沢英昭事務次官と永村武美畜産部長だけ。熊沢氏は過去に務めた畜産局長としての責任もあったが、形式的には通常の人事異動だとされ、退職金も8874万円の満額支給された(2人は後に、現役時代の給料の一部、合計218万円を返納)。いま永村氏は、農水省所轄の家畜改良事業団の参与としてしっかり給与をもらっている。
その他の幹部への処分は調査検討委員会の報告書発表を機に行われたが、世論や野党から辞任要求の強かった当時の武部勤農水相も、大臣としての給与6カ月分の一部(約200万円)を返納しただけだった。事務方については、渡辺好明次官ら現役幹部12人を減給などにしただけでお茶を濁した。
警告を軽視し続けた歴代衛生課長
見逃せないのは、技官集団の責任が不問にされたことだ。農水省で技官の力は強い。技術的な問題は事務官である上司には「上げるな」という不文律があるほどで、BSEのような問題では事務次官らは技官集団が出した結論を鵜呑みにしていたといってもよい。その意味で現場を取り仕切った技官である歴代衛生課長はA級の"戦犯"である。
しかし、彼らには天下り先がきちんと用意された(表)。このうち石井氏は、在任中の90年に英国政府から「肉骨粉を牛に与えることを禁じた」との連絡を受けたにもかかわらず、日本では禁止しなかった。
第二の警告を軽視したのが青沼氏だ。「牛からつくった肉骨粉を牛に与えないように」と、1996年にWHO(世界保健機関)から勧告されたが、課長通達で指導するにとどめた。結果、現場では肉骨粉が使われ続けた。
そして00年11月。EU(欧州連合)による危険度評価で日本は「国産牛がBSEに感染している可能性が高いが、確認されていない国」とされた。しかし当時衛生課長だった松原氏はEUに異議を唱え、後任の宮島氏は01年6月にEUの危険度評価そのものを中断させている。
立って歩けない牛が千葉県内で見つかり大騒ぎになったのは、その約2カ月後のことである。その後の混乱ぶりは記憶に新しい。
これら“戦犯”の中にはBSE関係の審議会のメンバーに名を連ねているものさえいる。その代表が藤田氏である。失政の一部を担う身でありながら、あろうことかBSE問題に関する調査検討委員会の委員になっていた。この委員会は「政府関係者を含まない」ことが謳い文句だったが、看板に偽りありだったのだ。藤田氏はさらに、BSEの原因究明のための技術検討委員会の委員にも就いている。これでは、泥棒に縄をなってもらっているようなものだ。
「ハンナン事件」で明らかになった癒着
それにしても、なぜこんなことになったのだろうか。まず、この国では失政の責任はうやむやにするのが当たり前という政治風土がある。
それに加え、BSE問題の場合、「畜産一家」の結束がある。関係業界と畜産局がいかに深く癒着しているか。その一端が大手食肉卸「ハンナン」元会長、浅田満被告らによる偽装牛肉事件で明らかになった。50億円にも上る助成金をだまし取った詐欺事件で、農水省の外郭団体はどの肉を検査するかを、事前に浅田被告に伝えていたのだ。
深い関係は農水省人事にも及んでいる。課長補佐級以上の異動は、業界と族議員をバックにしたOBと相談のうえ行われていたという。業界や族議員の気に入らない官僚は昇進で不利になるが、逆にお墨付きを得た官僚は退職後の天下り先も保証されるわけだ。
が、「そもそもBSE事件は、農水省という組織にマイナスどころかプラスをもたらした」とある農水省OBはみる。事件をきっかけに、食品のリスク評価を担当する「食品安全委員会」が内閣府にできたが、その準備室で中心的な役割を担い、初代の事務局長になったのは、畜産部長から転じた梅津準士氏だった。同安全委の事務局員54人のうち25人までを農水省からの出向者が占めた。梅津氏は今年7月、齊藤登・農水省官房参事官にその座を譲って水資源機構理事に就任している。
農水省内では食糧庁が廃止され消費・安全局が新設された。これも、すでに役割を終えていた食糧庁を体よく処理したにすぎない。予算についていえば、01年度以来累計4000億円もの対策費が支出され、そのほとんどが農畜産業振興事業団を経由して使われた。ここでもOBの天下り先が潤った。組織でも予算でも農水省は「焼け太った」のだ。
歴代衛生課長とその後のポスト
氏名 退官後
石井 達郎(87年6月〜92年8月)
(財)競走馬理化学研究所理事を経て(財)畜産物科学安全研究所理事長
藤田 陽偉(92年8月〜94年7月)
(社)全国家畜畜産物衛生指導協会常務理事を経て(社)畜産技術協会常務理事とOIE(国際獣疫事務局)アジア太平洋地域代表の二役
青沼 明徳(94年7月〜97年5月)
全国酪農農業協同組合連合会代表理事専務
矢ヶ崎 忠夫(97年6月〜99年8月)
(財)競走馬理化学研究所理事を経て(社)日本動物用医薬品協会専務理事
松原 謙一(99年8月〜01年4月)
(独)肥飼料検査所理事長
宮島 成朗(01年4月〜02年1月)
(財)競走馬理化学研究所理事