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2000年4月23日にNHKスペシャルの「世紀を越えて」というプログラムの中で、「いのち・生老病死の未来」というテーマをやっていました。
カツレイを受けた赤ん坊の包皮を培養して作った長さ300メートルもの人工皮膚が火傷や潰瘍の患者さん達に向けて98年からすでに売り出されています。人の皮膚の大量生産を行っているのはアメリカのロサチューセッチューにあるバイオの企業、オリガノジェネシス社というところです。
また一方ではカリフォルニアのエートンバイオサイエンス社では神経細胞の培養に成功し、パーキンソン病の治療に大きな成果が見られたということを発表しています。
ボストンのネクストラン社では人の遺伝子を導入した臓器移植用のブタをすでに作りはじめています。
このように爆発的な進歩を遂げたバイオテクノロジーは今、新しいクローンから作った臓器産業を生み出そうとしています。そしてこれらの臓器産業はそれを待ち望んで死の床にある人、その臓器さえ自分の手に入り、それがアレルギーを起こさないとなれば、多くの難病気と言われているものから健康体に戻り、日常生活の中でまったく新しいピンピンとした幸せな生活を送れるという事で、世界中では多くの人達がこの臓器産業からつくり出される新しい臓器を待ち望んでいるのです。
こうしたニードにこたえるようにとどまる事をしらないバイオテクノロジーの企業体の進化は人間にとってどういうふうな世界をつくり出しているのか。また、世界はどこまでこれを許してしまってもいいのか。この事は大変大きなテーマです。しかも、アメリカを中心として、人体の改造計画を民間企業がやっているという事。そしてニードがある限り、ビジネスとしてそれらは容認されていくという事。この事は大変、危険をはらみつつ、ますますさかんになろうとしてるのです。
背中に人間の耳が生えているネズミ |
しかし、実際にある人が交通事故で耳を失った場合、その人の耳の細胞から遺伝子発現させるようにノックアウトマウスに埋め込めば、耳が再生され、人工の耳をつけるのではなく、自分の耳と同じものをもう一度、自分の耳があった場所につけられるとなれば、そのおぞましくも気味の悪い吐き気をもよおすようなこのノックアウトマウスの背中についた耳は役立つのだという理論が成り立つわけです。
このように、21世紀はバイオテクノロジーの時代と呼ばれ、核兵器以上のパワーをもたらすようになってきています。テクノロジーの制限は今のところ、人間のニードや欲によってすべて曖昧にされ、市場のニードがすべてを決定していくような方向になってきています。
そしてこれらはすでに、国家の規制を受ける事なく、ばく進中なのです。イギリスやフランス等でも受精卵の研究の緩和がもたらされ、日本でもES細胞、つまり臓器移植用の細胞の研究予算がおりはじめています。
生命を作り替えるこうしたテクノロジーの時代がはじまっているのに、もっと世界規模で議論をつくし、そして制限していくという事を早いうちにしっかりとやらなければ、とんでもない時代になっていく事ははっきりわかっているのです。
しかし、こうしたプラス面。交通事故や臓器移植を受けなければ死んでしまう人のニード。というものと一方ではそれをビジネスにして人間や動物の間の子をどんどん作ってしまっていいのか?という問題。
この事は宗教家も含めた大きなテーマであることは間違いありません。むしろ私はこの問題というのは、人間の欲望に対して、宗教がどこまで毅然とした態度でやっていいことと悪いことのけじめをつけるかという事ではないかという気がします。世界の宗教家こそ今、大声で発言して欲しいものです。