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文字化け箇所修正(なるほど)
http://www.iwpr.net/index.pl?archive/bcr3/bcr3_200411_526_1_eng.txt
Bosnians say NATO Bombs Brought “Angel of Death”
ボスニア人らは、NATOの爆弾が「死の天使」をもたらしたという
2004.11.15
多くのボスニア人は、高いガン発生率を、1995年のNATOによる劣化ウラン弾使用のせいだと非難するが、科学者たちは、言われている関係については、割れたままだ。
ハン・ピジェサクとサラエボのエクレム・ティンジャク、ファルク・ボーリック、ヒュー・グリフィスによる。
サラエボ郊外のハドジシで、地域の僧侶のハジム・エフェンディ・エムソは、あふれるばかりの共同墓地を見渡す。このサラエボの薄汚れた産業のある郊外の中部の野に、新しい墓が点在している。
「葬式の数が増えたのは最近になってからだ。ほとんど毎日、葬式がある。」彼は悲しげに語った。
最近の墓石に刻まれた生年月日と死亡年月日は、中年で死んだここに埋葬されている人の数を示している。多くは、グリヴィシのハズィシ地方からのものだ。
「多くのグリヴィシからの人々がガンで死んだが、死んだ人々の記録を取るようになったのは、今年からだ。」と同僧は続けた。
遠くローマニジャ山脈の中、グリヴィシから64kmの、標高1000mでも、別の地域の宗教指導者が、同じ問題に直面していた。
ブランコは、RS,スルプスカ共和国ハン・ピジェサクのセルビア正教会の聖職者だが、主任宣教師事務所の壁の地図を指差した。
「これが、ジャパガ村だ。だいたい100人の人々が住んでいたが、1996年、多くの人がガンで死んだ」と、IWPRに彼は語った。
「最初は、陸軍基地のコックのリエポサヴァさんで、45歳でなくなり、トディックさんも同じように亡くなった。バドミール・ボジャットが60歳で亡くなり、ゴラン・バステは45歳で亡くなり、全てガンによるものだった。」
同僧は、地図から机の上の書類に(指を)移した。「毎年、ジャパガでは、少なくとも一人の若い男がガンで死ぬ」と彼は続けた。「これはこんな小さな村では正常ではない。」
最初ちらりとみた限りでは、ハジシとハン・ピジェサクは、大変違うように見える。一方は、産業地帯の主要にはムスリムの集落であり、一方は、欧州でも、最後に残ったような荒野のセルブ山脈の村のひとつである。
しかし、両方の共同体の住民は、異常な高いガン発生率に苦しんでいると言い、それは1995年9月のNATOによるボスニア空爆の間使われた、劣化ウラン、劣化ウラン弾の結果だと信じている。
DEPLETED URANIUM ? A LEGACY OF BOSNIAN WAR
劣化ウラン-ボスニア戦争の遺産
国連は、劣化ウランを、原子炉や、兵器のために使われる天然ウラン鉱石を濃縮するのに使われる過程の副産物として述べている。それはイオン化する3つのタイプの放射線-α・β・γを排出する「不安定な、放射性の重金属」である。
アメリカは、他のNATO加盟国とともにDUを、戦車と飛行機両方に装甲貫通砲弾として使用している。
NATOは、旧ユーゴ共和国での3年間のひどい紛争を早期終結させようと、DUを、ボスニアのセルビア人軍に1995年8月と9月使用した。
「狙いはボスニアセルビア軍の指揮命令系統を崩壊させ、戦闘能力を低下させることだった」とサラエボのNATO筋は語った。「軍隊を壊そうとはしていなかった。」
NATOによると、1995年9月5日から11日、飛行機が、5800発のDU砲弾を、ハン・ピジェサクとハズシ付近に発射した。空爆の期間中、ボスニアで発射されたそのような弾の90%以上が、この二つの場所に落ちた。
NATOは、総計2400のDU弾が、ジャパガ村の隣のハン・ピジェサクの陸軍基地をねらった。さらに1500発が、グリヴィシに近い、ハジシの戦車修理工場に発射された。
国連環境計画の科学者は、2002年10月、ハズシとハン・ピジェサクで、DUに汚染された、空気・水・土のサンプルを発見した。
「我々は、地面の上で、劣化ウランの弾を見つけ、また、DUのチリを、ハジシで、店に変わりつつあるビルの中で見つけた」とぺコ・ハヴィサトUNEP使節団長はIWPRに語った。「ハジシでは、また、我々は、紛争後8年経って、少量のDUが水に含まれている二つの井戸を発見した。」「ピジェサク陸軍基地では、DUのチリを建物や、戦車や他の装備の中でみつけ、我々は、この装備を使っている徴用兵が影響を受けたかもしれないと考えている。」
しかし、UNEPは、ボスニア人の地域的な病気の高い率が、NATOの爆撃作戦と関係していると言う恐れをこれらの発見が確かにすると言うことには、同意しなかった。
「この使節団によって認定された極端に低い被曝は、DUは、報告されたいかなる健康への影響に関係するという可能性は非常に低い、ということを示している」
NO ONE TAKES UP DECONTAMINATION MONEY
誰も汚染除去のカネを取り上げない
UNEPが、DUに影響された建物や地面は汚染除去されるべきだと勧告したにもかかわらず、IWPRによる初期調査は、ほとんどか、何も起きていないことをしめしている。IWPRが、数年前、NATOに標的にされたRSハン・ピジェサク陸軍基地を訪れたとき、我々は、破壊されたT62戦車が、まだ、境界フェンスに近接して錆びているのを発見した。それ以上我々が行くのをとめた哨兵は、彼らが知る限り、劣化ウラン弾に影響された場所は汚染除去され(てない、と言った)。⊂「我々はしばしば地面を横切って歩き、誰も、危険をしらせたことはない」とひとりの哨兵は困惑したように付け加えた。
連邦でも、文句は似ている。「1997年、爆撃2年後、我々は戻った」とグリヴィシのスルジョ・ドリナは語った。「しかし、地面は、いまだ汚染除去されていなかった。今、父は、咽頭ガンだ。」
2002年、連邦政府は、138000ボスニア兌換マルクをハジシの場所の汚染除去に割り当て、サラエボ州当局も、追加の123000マルクを貢献するよう求められたが、いまだ何も行われていない。
お金は、全然意図された受取人に届いていないようだ。「我々は金がないだけだ。」ムスタファ・コヴァックサラエボ州市民防衛長官は付け加えた。「我々は、放射能を図る装備と、我々のスタッフを守る装備が必要で、スタッフに訓練を施す必要がある。しかし、予算がない。」
UNEPのぺコ・ハヴィサトは、欧州連合は、汚染除去過程にお金を出すことを申し出ているが、地域的には、お金が来ていない、とIWPRに語った。
「UNEPは、スルプスカ共和国と連邦の当局者に、訓練セミナーで、いかなる汚染除去過程の間でも、我々が実地訓練を提供すると言っている。」と彼は言う。「しかし、誰も、申し出ない。」
INFORMATION BLACK HOLE FUELS PUBLIC FEARS
情報のブラックホールが、人々の恐怖を煽る
ボスニアの医師らは、DUの健康の影響についての公的化された研究がないことが、不信の雰囲気をつくっていると語る。
「私を混乱させるのは、UNEPの報告が、ボスニアの汚染地域の放射線レベルは無害だといったことだ」とサラエボの保健大臣のゼーラ・ディズダレヴィック博士は、IWPRに語った。
「しかし、他方で、同じ報告にはその地域が、どのようにして汚染から守られ、浄化され得るかの24の勧告がある。」
「まだ汚染された地域の近くに住んでいるからある人がガンに苦しんでいるかどうか確定するのは難しい。研究がないので、誰もこうした主張を否定することもできない。」
「UNEPの報告は、もっと多くの科学的な仕事が必要で、全ての健康に関する主張は調べられるべきだといっている。だが、これはまだ起きていない。」
サラエボ放射線研究所のレジラ。サラセヴィック博士は、信頼できる情報がないことが深刻な問題であることに同意している。「この問題についての真剣な研究は全くなかった」と彼女は語った。
「連邦政府は、私がメンバーである専門家のワーキンググループを立ち上げているが、出資も、一般的な関心もなく、そのことは、何も行われていないことを意味している。」
RS医師らは、大いに、これらの情報がないことについての懸念を共有している。「戦争以来、ハン・ピジェサクでは、考慮できるガンに関係した病気の増加があるのに、真剣な調査の一貫としての研究がないので、これがDUのせいだとはいえない」とハンピジェサク保健センターの肺病専門家のリューボジェ・サピック博士は言う。
「行われた、ほとんどない研究は、いまだ仮定と推測に基づいている」とサピックは付け加える。「我々は統計と固い事実がほしい」。
実際、IWPRにインタビューされたボスニアの全ての当局者が、統計的データがないことが、NATOの爆撃の影響を受けた地域のガン死亡率を確定するのに最大の障害となっていると語った。そのような統計の不足は、言われている戦後の期間のガンの増加の率を追跡することが困難であることを意味している。
「私は我々のがん患者が増えていることは言えるが、我々は、劣化ウランとの関係は確定も否定も出来ない。」と、ハン・ピジェサクの保健センター所長のボジダール・ドジョキック博士は語る。「我々には比較するための統計がない。」
連邦の同僚もこれに口を揃える。「病気の人々が増えていると我々が言っても、それは何も意味しない。」とサラセヴィック博士は語った。「今、昨年や以前と比べて、どれだけの病気の人がいるか、正確に知らなければ、どうして、増加を測る事ができようか?」
「ハジシに爆撃中に住んでいた人々は、今セルビア人国家に住んでいることも知っている。彼らは、もし我々がその底へ行くことになるのであれば、医学的に検査されるべきだ。」
1995年のデイトンの和平合意がハジシを、連邦に与えた後、ほとんどのそこのセルビア人は、RSに移住することを強いられた。多くは今、ボスニア東部のブラタナックに住んでいる。IWPRは、ブラタナックへ旅した。我々は、ガンの率の増加を確定する公式の統計的データを何も見つけられなかったが、地方の医者たちは、逸話にとんだ証拠を作った。
ブラタナクの保健センターのスヴェトラナ・ジャヴァノヴィック博士によると、ハジシに残った7000あまりのうち約650人が、1996年以来亡くなり、町の、共同墓地に葬られている。
ジャヴァノヴィック博士は、遺体を調べた後、650のうち40人が、ガンか白血病で亡くなっていると信じていると主張している。
「もし、約7000の人がハジシからここに移動したとすると、我々は、悪性腫瘍の率は、この国で総体的に見積もられる死亡率と比べて移譲に高いと見積もることが出来る。」とジャヴァノヴィック博士は語った。
「しかし、我々は、どこからも公式の比較と結論を出すための公式の統計を得られていない。」疑いないことは、ブラタナクの総体としての死亡率がボスニア全体のそれより、高いことである。20002年には、国の死亡率は1000人当り7.9人であった。ブラタナクにおいては、1996年から2003年に掛けれ、は、ボスニアのそれ以外の土地よりブラタナクでは、11.2人多く死んでいる。疑問はなぜだ(ということだ)。
SCEPTICISM OVER DU RISK
DUの危険への懐疑論
2003年のUNEPの報告は、先に我々が言ったように、DUとガンの問題については描かれていない。不十分な情報を引用して、それは以下のように結論している。「十分なガンの登録と報告システムがボスニアに無いために健康に反するDUに由来する影響の率の増加は、実証できなかった。」
世界保健機関(WHO)からの科学者も、DUが、ボスニア人にとって健康についての危険であるかもしれないとの主張については懐疑的だ。
「現在我々が持っている情報からは、我々は、市民が危険にあるとは信じない」とWHOのジュネーヴ放射線計画コーディネーターのマイク・レパコリ博士は語った。
彼はしかし、研究不足が、結論を描くのを困難にしていると認めた。「我々は、健康リスクをよりよく評価するために、どこに焦点を当てた研究が必要なのかの知識が不足している。」と彼は語った。
国際原子力機関(IAEA)も同じ方針を取っている。IAEAの核安全部門のティベリオ・キャビアンカは、ボスニアでの2002年のDUを調べるためのUNEPの10日間の使節の一員だった。
「放射線学的観点から、IAEAは、DUを、ボスニア・ヘルツェコヴィナの人々の健康への脅威を見ていない。」と彼は語った。
「我々のサンプルから、我々は劣化ウラン弾が、地方の水の供給を汚染しており、また、空気中に浮遊するDUのチリの粒子を発見した。しかし、汚染レベルは、大変低く、すぐに健康リスクになることは示していない。」
しかし、UNEPのペッコ・ハヴィサトは、この結論を、汚染が最も高かったNATOの爆撃作戦直後の期間と、科学的研究の時の間に相当の時間的経過があるとして、認めている。
「我々が10日間の調査をした際、我々の専門家は、人間の健康への直接の影響を見つけることは出来なかった。しかし、これは2002年のことであり、それ以前の年に、健康への影響がどうだったかを言うことはできない」と彼は語った。「我々は、爆撃から8年経つまで何のテストもしなかった。」
「UNEPの報告は、DUは、直接汚染域の外に、限定された健康への影響があるという、DUについての、主流の科学的考えに基づいた。もっと低い! DUの放射能でも、もっと大きな影響があると考える科学者のグループもあり、彼らは、我々の報告を批判している。」
DISAGREEMENT OVER MEASURING CONTAMINATION
汚染を測ることへの不同意
しかし、ある科学者たちは、問題は、全て測定の仕組みにあると言う。DUは、今まで知られているよりはるかに危険だと信じている科学者の一人は、英国防省劣化ウラン監視委員会のクリス・ブスビー博士である。
ブスビー博士は、DUが同様に使われたコソヴォで彼の独自の研究をした。「UNEPは、空気中の少量のDUは、害がないとしているが、しかしこれは事実ではない」と以下のように彼の見解から付け加えながら語った。「彼らは、間違ったリスクのモデルを使った。」
「伝統的なリスクモデルは、人体か組織全体対一つのDUの粒子ということに基づいている」と彼は説明した。
「しかし、DU粒子が吸い込まれると起きることは、大変小さな区域の組織が被曝するであろうことだ。DUの影響を測らなければならないのは全身ではなく、影響を受けた少しの細胞である。」
マルコム・フーパーサンダ?ランド大学医化学名誉教授は、これが、汚染の強さを測るより良い方法だと同意する。「劣化ウランは、DUの粒子が最初に水系に流れ込むので、地域の人々にとっての健康の危険となる。そして、太陽が出ると、光と熱が、粒子を刺激し、それらは、空気中に再び浮遊する」と彼はIWPRに語った。
「UNEPの報告は全面的に妥協した。彼らは7年も遅く行き、彼らが行った場所はすっかり変わっている。壊れた自動車も、多くの見える軍用品も、取り除かれてしまっていた。」
最後に、フーパー教授は、ボスニアとコソヴォで従軍した元イタリア軍兵士らを巡る論争を思い出した。最初の、DUとガンの関係の示唆は、そこで従軍していたイタリアの多くの若い兵士の奇怪な死に続いた。
イタリアのテレビはそれをバルカン症候群と称し、外国の報道機関は、この話を取り上げ、メディアを熱狂させた。
ボスニアでのDUへの恐れは2000年12月にわずか24歳のサラヴァトール・カルボナロのガンによる死が報じられて、表面化した。
カルボナロは、ガンで死んだ六人目のバルカン帰還兵で、コソヴォではなく、ボスニアにのみ従軍していたという点で他の五人と違っていた。
それまでは、NATOは、DUをボスニアで使っていたことに同意していなかった。しかし、2000年12月、イタリアの国防省のセルジオ・マッタリラは、ローマは、これを知らされただけと付け加えて、連合軍が(DUを使っていたと)認めた。
マッタリ-ラは、そして、フランコ・マンデリ教授の元でガンの発生とDUの潜在的関係を調べるための調査を命じた。
マンデリのチームのマルチノ・グランドルフォ博士は、IWPRに対し、チームは、白血病の一つの形であるホッジキンズ・リンフォーマの統計的に重要な過剰を発見したと語った。
「ボスニアとコソヴォに従軍したイタリア軍兵士のホッジキンズ・リンフォーマの件数のパーセンテージは、イタリアに留まっている兵士らにおいて発見される量の倍以上である」と彼はIWPRに語った。「しかし、現在、我々は、これがなぜかはわからない。」
「2004年7月までにガンで死んだイタリアのバルカン帰還兵の数は27に上り、従軍者らは、本当の数字はもっと上であるとさえ主張する。
「その数字は、実際は32か33であり、ガンで生きている帰還兵の数は、数百になる。」と、元海軍商工で軍事研究家で、アナヴァファフ帰還兵グループ議長のファルコ・アカムはIWPRに語った。
人々の抗議が、政府をして、さらに調査するためのDU委員会をイタリア上院に設立することを強いた。
しかし、アカムは、一方で、IWPRに対し、死んだ従軍者へ支払われた補償は別として国は、公式には、DUとガンの関係を認識していない、と語った。
「タバコやアスベストへの健康の懸念のようには、我々は、DUが、全ての兵士の死のせいになっているかどうかは、確かではありえない。」アカムは付け加えた。「そのかわり、ここで、我々が扱っているのは、可能性である」
しかし、DUとガンのいかなる関係を認めようとはしない当局の姿勢は、変わりつつあるかもしれない。2004年7月10日の画期的な判決において、ローマの法廷は、イタリア国防省に、2001年にガンで亡くなったバルカン帰還兵のステファノ・メロンの家族に50万ユーロの賠償を支払うよう命じた。
法廷は、メロンは、「放射性で発ガン性の物質への被曝のせいで」亡くなったと断言し、DUをそれらの物質の中に挙げた。
亡くなった兵士の未亡人のパオラ・ウィドウは、法廷は「DUは、発ガン性物質で、それを」彼女の夫の死の「ありうる原因としてあげた」と付け加えながら、IWPRにこれは「歴史的ケースだ」と述べた。
「このケースは先例をつくっており、我々は、棚上げされているケースで、他のなくなった従軍者の家族を助けるための会議をイタリアのここで組織している」と彼女は付け加えた。
IN BOSNIA, INEXPLICABLE DEATHS CONTINUE
ボスニアでは説明できない死が続く
ボスニアに話を戻すと、しかし、そこには、そのような法廷の話も、議会の委員会も、汚染除去すらもない。
原因と影響について議論がイタリアで荒れ狂っている間にも、ボスニアの地方の人々は、人々が、説明できないように死につづけていくと言う。
アハメド・ファズリク・グリヴィシ地方副大統領は、爆撃されたハジシ戦車修理工場から300mに住んでいる。
「我々は、DUについて、2002年に、国連の調査官がここに来たとき学んだだけだ」と彼はIWPRに語った。
「私の父は、今年3月に肺がんで亡くなった。グリヴィシには700人が住み、ここ2年で56人が死に、ほとんどが、ガンか糖尿病だ。」
「ここでは我々はしばしば、アズラエル、死の天使が、グリヴィシに来たという。そして、彼は皆を持っていく」
エクレム・ティンジャクとファルク・ボーリックはサラエボを根拠とするジャーナリストだ。フグ・グリフィスは、IWPRの調査コーディネーターだ。
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Bosnians say NATO Bombs Brought “Angel of Death”
Many Bosnians blame high cancer rates on NATO’s use of depleted uranium munitions in 1995, but scientists remain divided over the alleged link.
By Ekrem Tinjak, Faruk Boric and Hugh Griffiths in Han Pijesak and Sarajevo (BCR No 526, 15-Nov-04)
In the Sarajevo suburb of Hadzici, the local imam, Hazim Effendi Emso, looks out over an overflowing cemetery. The field in the middle of this grimy industrial suburb of Sarajevo is dotted with new graves.
”It is only recently that the number of funerals has increased. Almost every day, a funeral,” he said sadly.
The birth and death dates etched onto recent gravestones show a number of those buried here died in middle age. Many are from the Hadzici district of Grivici.
“A large number of the people from Grivici died of cancer but it was only this year that we started keeping records on deceased people,” the Imam continued.
In the remote Romanija mountains, 64 kilometres north of Grivici, some 1,000 metres above sea level, a different local religious leader faces the same problem.
Branko, a Serb Orthodox cleric in Han Pijesak, in Republika Srpska, RS, points to a map on the wall of the head teacher’s office.
"This is the village of Japaga. Around 100 people live here but in 1996 many people died from cancer,” he told IWPR.
“The first was the army base cook, Mrs Ljeposava, who died aged 45, as did Mrs Todic. Then it was Budimir Bojat, who died aged 60, and Goran Basteh who died at 45, all from cancer.”
The priest turned from the map to papers on the table. “Every year in Japaga at least one young man dies of cancer,” he continued. “This is not normal in such a small village.”
At first glance, the communities of Hadzici and Han Pijesak appear very different. One is a mainly Muslim settlement in an industrial zone while the other is a series of Serb mountain villages in one of Europe’s last unspoilt wildernesses.
But residents of both communities say they suffer from an abnormally high cancer rate and they believe it is the result of Depleted Uranium, DU, munitions, which were used during NATO’s September 1995 airstrikes on Bosnia.
DEPLETED URANIUM ? A LEGACY OF BOSNIAN WAR
The United Nations describes DU as a by-product of the process used to enrich natural uranium ore for use in nuclear reactors and weapons. It is an “unstable, radioactive heavy metal” that emits ionizing radiation of three types - alpha, beta and gamma.
The United States, together with other NATO member states, uses DU in armour-piercing shells for both tanks and planes.
NATO aircraft used DU against the Bosnian Serb army in August and September 1995 to bring a quick end to the vicious three-year conflict in the former Yugoslav republic.
“The aim was to disrupt the Bosnian Serb forces’ command and control structure and degrade their fighting capabilities,” a NATO source in Sarajevo said. ”We were not trying to destroy the army.”
According to NATO, from September 5-11, 1995, their planes fired 5,800 DU shells in the vicinity of Han Pijesak and Hadzici. More than 90 per cent of all such ammunition fired in Bosnia during the airstrikes fell in just these two locations.
NATO states a total of 2,400 DU rounds were directed against at the Han Pijesak army base, next to the village of Japaga. A further 1,500 were fired at the Hadzici tank repair facility, close to Grivici.
Scientists of the UN Environmental Programme, UNEP, discovered DU contamination in air, water and ground samples taken from Hadzici and Han Pijesak in October 2002.
“We found DU ammunition on the ground and we found DU dust in buildings that were being turned into shops in Hadzici,” Pekko Haavisto, chief of the UNEP mission, told IWPR. “In Hadzici we also found two wells that had small amounts of DU in the water, eight years after the conflict.
“At Han Pijesak army base, we found DU dust in buildings, tanks and other equipment and we were concerned that conscripts using this equipment might be affected.”
However, UNEP did not agree that its findings had confirmed Bosnian fears that local high rates of ill health were linked to the NATO bombing campaign.
”The extremely low exposure identified in the mission indicates it is highly unlikely that DU could be associated with any of the reported health effects,” said a report by the UN body in 2003.
But locals in Han Pijesak and Hadzici do not agree with this conclusion. They insist that DU contamination must be responsible for what they say are abnormally high rates of cancer.
NO ONE TAKES UP DECONTAMINATION MONEY
Although the UNEP recommended in its report that buildings and ground affected by DU should be decontaminated, an initial investigation by IWPR showed that little or nothing was happening.
When IWPR visited the RS Han Pijesak army base, targeted years before by NATO, we found a destroyed T62 tank still rusting close to the perimeter fence. The sentries who stopped us from going any further said as far as they knew, the sites affected by DU munitions had not been decontaminated.
"We walk across that ground often and nobody has ever warned us of the dangers," one sentry added worriedly.
In the Federation, the complaints are similar. ”We moved back in 1997, two years after the bombing,” Suljo Drina, of Grivici, said. ”But the ground was never decontaminated. Now my father has throat cancer.”
In 2002, the Federation government allocated 138,000 Bosnian convertible marks to decontaminate the Hadzici sites, and the Sarajevo canton authorities were asked to contribute an additional 123,000 marks, but nothing has yet been done.
The money, it appears, never reached its intended beneficiaries. “We just don’t have the money,” Mustafa Kovac, head of civil defence headquarters of Sarajevo canton, added. “We need equipment to measure radiation, equipment to protect our staff and we need to provide training for them - but there are no funds.”
Pekko Haavisto, of UNEP, told IWPR the European Union had offered to fund the clean-up process but the money had not been taken up locally.
"The UNEP also told authorities in the Republika Srpska and the Federation at a training seminar that we could offer on-site training during any decontamination process,” he said, ”but nobody came forward with a request.”
INFORMATION BLACK HOLE FUELS PUBLIC FEARS
Bosnian doctors say a lack of publicised research into the health effects of DU has created a climate of distrust.
“What confuses me is that the UNEP report said radiation levels in the contaminated areas in Bosnia were harmless,” Dr Zehra Dizdarevic, Sarajevo’s health minister, told IWPR.
“But on the other hand there were 24 recommendations in the same report about how the area could be protected from contamination and cleaned up.
”It is difficult to establish whether somebody is suffering from cancer because they live near a still-contaminated area. With no research, nobody can deny this claim, either.
"The UNEP report said that more scientific work was needed and that all health claims should be investigated. Yet this has not happened.”
Dr Lejla Saracevic, director of the Sarajevo radiology institute, agrees that lack of reliable information is a serious problem. ”There has not been any serious research on this issue,” she said.
“Although the Federation government has set up an expert working group, of which I am a member, there is a lack of funding and general interest, which means nothing has been done.”
RS doctors largely share these concerns about a lack of information. “While there has been considerable increase into cancer-related disease in Han Pijesak since the war, without research as a part of a serious investigation, I cannot say that this is due to DU,” said Dr Ljuboje Sapic, a lung disease specialist at the health centre in Han Pijesak.
“The little research that has been done on DU is still based on assumption and conjecture,” Sapic added. “We need statistics and hard facts.”
In fact, all Bosnian health officials interviewed by IWPR said the lack of statistical data was a major obstacle in establishing cancer mortality rates in the areas affected by NATO bombing. The dearth of such statistics means it is difficult to track the rate of the alleged increase in cancer during the post-war period.
“I can tell you we have had an increase in the number of cancer patients but we cannot confirm or deny a link to depleted uranium,” said Dr Bozidar Djokic, director of the health centre in Han Pijesak. “We have no statistics with which to make a comparison.”
Colleagues in the Federation echo this. “When we say that there is an increase of sick people, it does not mean anything,” said Dr Saracevic. “How can we quantify an increase, when we do not know exactly how many sick people there are now, compared to last year, or the preceding years?
“We also know the people who lived in Hadzici during the bombardment are now living in the Serb entity. They should be medically examined too, if we are to get to the bottom of this.”
After the 1995 Dayton peace agreement awarded Hadzici to the Federation, most Serbs from there were obliged to resettle in RS. Many now live in the small town of Bratunac, in eastern Bosnia.
IWPR travelled to Bratunac. Although we could find no official statistical data to confirm an increase in cancer rates there, local doctors produced much anecdotal evidence.
According to Dr Svetlana Jovanovic, of Bratunac’s health centre, since 1996 approximately 650 of the 7,000-odd people who left Hadzici have died and been buried in the town’s fast-filling cemetery.
Dr Jovanovic claims that after examining the bodies, she believed 40 of these 650 had died from cancer or leukaemia.
“If approximately 7,000 people from Hadzici moved here, we can estimate that the malignancy rate is unusually high compared to the overall estimated mortality rate in the country,” Dr Jovanovic said.
“But we don’t have any statistics from elsewhere to make official comparisons and conclusions.”
What is beyond doubt is that the overall mortality rate in Bratunac is much higher than it is in Bosnia as a whole. In 2002, the death rate in the country was 7.9 per thousand. In Bratunac, for the period 1996 to 2003, it was 11.2. More people die in Bratunac than in the rest of Bosnia. The question is why.
SCEPTICISM OVER DU RISK
The 2003 UNEP report, as we said earlier, would not be drawn on the issue of DU and cancer. Citing insufficient information, it concluded that “due to the lack of a proper cancer registry and reporting systems in Bosnia, claims of an increase in the rates of adverse health effects stemming from DU could not be substantiated”.
Scientists from the World Health Organisation, WHO, also are sceptical regarding claims that DU may be a health hazard to Bosnia’s population.
"From the information we have at the moment we don’t believe civilians are at risk," said Dr Mike Repacholi, WHO’s Geneva-based radiation programme coordinator.
He admitted, however, that the research deficit made final conclusions hard to draw. “We have gaps in knowledge where we need focused research in order to make a better assessment of health risk,” he said.
The International Atomic Energy Authority, IAEA, takes much the same line. Tiberio Cabianca, of the IAEA’s nuclear safety department, was part of the ten-day UNEP mission to investigate DU in Bosnia in 2002.
”From a radiological point of view, the IAEA does not view DU as a health threat to the civilian population in Bosnia and Herzegovina,” he said.
”From our samples, we found that DU munitions had contaminated local water supplies and we also found DU dust particles suspended in the air. However, contamination levels were very low and did not represent an immediate radioactive risk.”
However, UNEP’s Pekko Haavisto qualifies that conclusion, recalling the considerable time lapse between the period immediately after the NATO bombing campaign, when contamination would be highest, and the time of the scientific study.
“When we conducted our ten-day study, our experts could not find any direct impact on human health. But this was 2002, so we could not say what the health impact was in the years previously,” he said. “We did not carry out any tests until eight years after the bombing. "The UNEP report was based on mainstream scientific thinking on DU which says that DU has a limited health impact outside the immediate contamination zone. But there is a group of scientists who think that lower levels of DU radiation have a greater effect, and they have criticised our report.”
DISAGREEMENT OVER MEASURING CONTAMINATION
But some scientists say the problem is all in the measuring mechanism One scientist who believes DU is far more hazardous than has previously been acknowledged is Dr Chris Busby, of the British ministry of defence’s oversight committee on depleted uranium.
Dr Busby conducted his own studies in Kosovo, where DU was also used. “UNEP say small amounts of DU in the air are harmless, however this is not the case,” he told IWPR, adding that in his view, ”they used the wrong risk models.”
“The conventional risk model is based on a whole human body or organ versus one DU particle,” he explained.
“But when a DU particle is inhaled, what happens is that a very small area of tissue will be exposed. It’s not the whole body we should be measuring the effect of DU against, but the few affected cells.”
Professor Malcolm Hooper, emeritus professor of medicinal chemistry at the University of Sunderland, agrees that this is a better way of measuring the strength of contamination.
“Depleted uranium is a health hazard for the local population because DU particles are first washed into the water system. Then, when the sun comes out, light and heat stimulates the particles and they are suspended in the air once again,” he told IWPR.
“The UNEP report was totally compromised. They went in seven years too late and the sites they went to had been sanitised - the destroyed vehicles and much of the visible ammunition had been removed.”
Finally, Professor Hooper recalled the controversy surrounding former Italian soldiers who served in both Bosnia and Kosovo. The first suggestion of a link between DU and cancer followed the mysterious deaths of a number of young Italian soldiers who had served there.
Italian TV dubbed it Balkans Syndrome and the foreign press soon picked up the story, feeding a media frenzy.
Fears over DU in Bosnia first surfaced in December 2000, with the reported death from cancer of Salvatore Carbonaro, aged only 24.
Carbonaro was the sixth Balkan veteran to die from cancer and differed from the other five in that he had only served in Bosnia, not in Kosovo.
Until then, NATO had not even admitted it had used DU in Bosnia. But in December 2000 Italy’s defence minister, Sergio Mattarella, admitted that the alliance had, adding that Rome had only just been informed of this.
Mattarella then ordered an inquiry, under Professor Franco Mandelli, to investigate the potential association between cancer incidence and DU.
A member of Mandelli’s team, Dr Martino Grandolfo, told IWPR that it had found a statistically significant excess of Hodgkin’s Lymphoma - a form of leukaemia.
“The percentage of cases of Hodgkin’s Lymphoma amongst Italian troops who served in Bosnia and Kosovo is more than double the amount found in soldiers who stayed in Italy,” he told IWPR. “But at the moment, we don’t know why this is.”
The number of Italian Balkans veterans who have since died from cancer rose to 27 by July 2004 ? and campaigners claim that the real figure is even higher.
“The figure is actually 32 or 33, and the number of veterans living with cancer is in the hundreds,” Falco Accame, a former naval officer and military researcher, who is chair of Italy’s Anavafaf veterans’ group, told IWPR.
The public outcry has forced the government to establish a DU parliamentary commission in the Italian senate to investigate further.
But Accame told IWPR that in the meantime, aside from the compensation paid to the dead servicemen’s families, the state had not formally recognised any link between DU and cancer.
“As was the case with [health concerns over] cigarettes and asbestos, we cannot be certain that DU is responsible for the deaths of all these soldiers,” Accame added. “Instead, what we are dealing with here are probabilities.”
However, this official unwillingness to admit any link between DU and cancer may be changing.
In a landmark judgment on July 10, 2004, a Rome court ordered the Italian defence ministry to pay 500,000 euro in compensation to the family of Stefano Melone, a Balkans veteran who died of cancer in 2001.
The court declared Melone had died “due to exposure to radioactive and carcinogenic substances” and listed DU among those substances.
The dead soldier’s widow Paola Melone told IWPR that this was “a historic case”, adding that a civil court had “now acknowledged that DU is a carcinogenic agent and listed it as one of the possible causes” of her husband’s death.
“This case has set a precedent and we are organising a conference here in Italy for other dead serviceman’s families, to help them with pending cases,” she added.
IN BOSNIA, INEXPLICABLE DEATHS CONTINUE
Back in Bosnia, however, there is no such talk of court cases, parliamentary commissions, or even of decontamination.
As the debate rages over cause and effect in Italy, locals in Bosnia say people are continuing to die inexplicably.
Ahmed Fazlic-Ivan, vice-president of the Grivici district, lives 300 metres from the bombed Hadzici tank repair plant.
“We only learned about DU in 2002, when the UN inspectors came here," he told IWPR.
“My father died of lung cancer in March of this year. There are 700 people living in Grivici and 56 have died in the last two years, most of them from cancer or diabetes.
"Here we often say that Azrael, the Angel of Death, has come to Grivici - and that he takes everyone away.”
Ekrem Tinjak and Faruk Boric are Sarajevo-based journalists. Hugh Griffiths is an IWPR investigations coordinator.
http://www.nodu-hiroshima.org/news43.htm
http://www.nodu-hiroshima.org/index.html