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http://www.asahi.com/national/update/1013/007.html
95年に動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)で起きたナトリウム漏れ事故の内部調査を担当した職員が自殺した問題で、妻ら遺族が動燃を引き継いだ核燃料サイクル開発機構(茨城県東海村)を相手取って約1億4800万円の損害賠償を求める訴訟を13日、東京地裁に起こす。原告側は、自殺前日に出席した記者会見での発言が、事前の調査と違うことなどから「うその発表を強いられ、死に追いやられた」と主張。自殺から8年余りを経て真相解明は法廷に持ち込まれることになった。
自殺したのは動燃の総務部次長だった西村成生(しげお)さん(当時49)。西村さんは、事故直後の12月9日午前2時に現場を撮影したビデオが当初公表されなかった「ビデオ隠し」について社内調査を担当していた。
西村さんは翌96年1月12日に開かれたこの日3回目の記者会見に初めて出席。動燃がまとめた記者会見議事録概要によると、本社がビデオ隠しに関与していることが分かった時期について、西村さん自身の調査結果とは異なる「1月10日」と発言した。
原告側は、前年の12月25日に判明していたと発表すると、再度ビデオ隠し問題が批判されることを恐れたのではないか、と指摘している。
西村さんは翌13日未明、宿泊先のホテルから飛び降りて自殺。当時の大石博理事長や同僚にあてた遺書には自らの会見での発言を悔いる趣旨の言葉が残されていた。
原告側は、西村さんはこのような重大な問題について、独断で発言内容を決定できる立場にはなく、その発言内容は事前に決定していたはずだと指摘。そのうえで「動燃には、うその発表をさせなくてもすむように事前に真実を公表する義務があった」と主張している。
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西村さんの妻(58)は「今まで8年間、何をしても、動燃は納得のいく説明をしてくれなかった。なぜ亡くなったのか、理由を聞きたい。それが訴訟の最大の理由です」と話している。
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当時の動燃幹部は朝日新聞社の取材に対し、「事前の打ち合わせでは12月25日と説明することになっていた」とし、別の幹部は「西村さん自身の判断で1月10日と答えた」と説明した。核燃料サイクル開発機構広報部は「内容を把握していない段階ですので、コメントは差し控えさせていただきたい」としている。
(10/13 08:45)