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原発事故 また犠牲は…
危険作業は下請け頼み
福井県美浜町の関西電力美浜原発3号機の蒸気噴出事故は、点検漏れ、点検軽視という“人災”の疑いが強まった。さらに、今回も「下請け」の作業員が犠牲になるなど、そのツケは、相変わらず弱いところに回ってくる。コスト削減、経済効率一辺倒で、安全性が軽んじられていないか。
(早川由紀美、浅井正智)
■被ばく量 社員の3倍以上
「『気ぃつけて、帰ってこいよ』、こう言って送り出したんよ。社長、この気持ち、分かってくれるか。こんなきついこと言って悪いが、三十年もわしら(夫婦)二人、努めてきたんや。その子がなんでこんなんなるねん。もう帰ってきぃへんのやど、うちの子は。最後に言うとく、二度と事故起こすな、うちの子だけにしといとってくれ」
事故で亡くなった高鳥裕也さん(29)=同県小浜市=の父実さん(60)は、号泣しながら弔問に訪れた関西電力の藤洋作社長に訴えた。
高鳥さんら犠牲になった四人が勤めていた「木内計測」(大阪市)は、関西電力の子会社、関電興業の下請けとして、関電の原発の工業計器類のメンテナンスを請け負っていた。関電から見ると「孫請け」の関係で、「協力会社」と呼ばれている。高鳥さんらは主に美浜を中心とした原発を担当、定期検査の事前準備中に事故に遭った。
原子力発電所で働くのは電力会社の社員と、下請けや孫請けなど非社員に分けられる。全国の原発で働く電力会社の社員は八千二百人足らず。これに対し、下請けや孫請けなどの非社員は七倍以上の五万八千人あまりに上る。美浜原発では社員四百四人に対し、非社員は二千九百二十人だ。
社員は発電所内ではいわばエリートだ。中央制御室で原子炉を運転したり、デスクワークなどに携わる。一方、原子炉の近くなど被ばくの危険性が伴う場所での作業を受け持つのは、圧倒的多数を占める非社員だ。
■社員はエリート「机上の仕事」に
脱原発を目指すNPO法人・原子力資料情報室のスタッフ、藤野聡氏は「特に危険が高いのは検査や破損部品の交換作業のときで、こうした仕事はもっぱら非社員が担当する」と話す。
それを裏付けるデータがある。経済産業省原子力安全・保安院のまとめによると、全国の原発で昨年度、電力会社社員が被ばくした放射線量は一人当たり〇・五ミリシーベルトだが、非社員はその三倍以上の一・六ミリシーベルトに上った。社員と非社員の“差別構造”を浮き彫りにする数字だ。
■効率重視 検査短縮に報奨金
今回の事故は原子炉を稼働させたままの状態で、十四日から始まる定期検査の準備をしていた中で起こった。「作業員の安全を考えれば、原子炉を止めてから検査に入るべきだ。しかし電力会社は近年、検査期間をいかに短くするかを課題にしている」(藤野氏)
その端的な例が二〇〇二年十一月に明るみに出た。東京電力が、原発の定期検査の期間を短縮した請負業者に報奨金を支払っていたのである。これより先の八月、東電の福島、新潟両県にある原子力発電所でのトラブル隠しが発覚したが、検査の短縮が「データ隠蔽(いんぺい)、記録改ざんにつながる素地になった可能性がある」(当時の平沼赳夫経産相)とも指摘された。
技術評論家の桜井淳氏は、「検査短縮は原発の設備利用率が火力、水力発電に比べて優位性を示すために世界的に行われている」と背景を説明する。一九九〇年代半ばに始まった電力自由化によって独占が崩れ、電力会社がコスト圧縮に急いだという事情もある。
■商業用の耐用年数に根拠なし
従来ならば十カ月稼働し、その後三カ月が検査に費やされるというサイクルだったが、現在の検査期間は四十日程度だ。半減した日数を補うために検査は二十四時間体制で行われる。効率重視が下請け、孫請けに大きな負担を強いる構図が見えてくる。
今回の事故で、現場を視察した中川昭一経産相は「二十年以上も検査を行っていなかったというのは、あまりにもひどい」と関電に強い不満を表明した。しかし「問題は原発の老朽化に楽観的な見通しを持ち続けてきた国の姿勢にこそある」と、桜井氏は強調する。
従来、商業用原発の耐用年数は三十−四十年とされていたが、政府は九六年、運転開始から三十年の原発に関して、検査の充実で六十年まで運転可とする方針を示している。“長寿命化構想”だ。原発の新規立地などが難しいという背景がある。
■起こって初めて実態が明らかに
桜井氏はこう指摘する。「この年数はあくまで目安であって技術的な根拠はない。老朽化の詳細は分かっていない部分も多く、事故が起こって初めて老朽化が想像以上に進んでいた実態が明らかになる。明確な技術的指針のない現状では、原発の運転自体が試験研究的なものになっている」
■原発歌人の奥本さん「手抜きで死者 悲しい」
「工事を下請け、孫請けとおろすたんびにピンハネされて、国が安全ですと言った設計書通りではない。事故のあった3号機ではないけど、1、2号機と美浜で仕事してきたし、ああいう手抜きをしたから死ぬ人が出たんだと思うと、悲しい。近所の人も事故に遭った。悔しいし、情けない」
こう嘆くのは、美浜や敦賀、大飯などの原発建設現場で、下請け作業に従事した奥本守さん(73)=福井県上中町=だ。作業現場の実感を詠んだ歌集を三冊出版した「原発歌人」でもある。一冊目の歌集を出した一九九一年、建設会社を解雇された。
奥本さんが農機具のローン返済のため、建設現場に入ったのは六八年、敦賀原発1号機工事から。当時は危険という意識はなかった。「大阪万博に原子の火を送るんだと皆一生懸命だったし、誇りに思っていた」
作業に慣れ、設計書を見る機会もあった。「前日に設計書をもらい、翌日作業に入ろうとすると、上から『あれはおまえらには難しい。簡単にできる方がいいさけ、こっちにする』と言われた。その時は喜んでたが手抜き工事じゃないか。鉄筋の数は変わらんが、補強筋の数が減ったりした」
給料のピンハネも横行し、一方で、安全性の要となる溶接作業でも、熟練者の数は多くはなかったという。「下請け会社は作業が予定より遅れると罰則金を払わないといけなかった。作業日報に載せるため、頭数はとにかくそろえておき、日延べしなければいけないときに言い訳できるようにした」
「完璧(かんぺき)」とは言えない状況で建設された施設が、当初の耐用年数とされた二十年を超えて稼働することに、強い不安を覚えた。「知らん間に三十年になって、今では六十年とか言ってる。おかしいでしょう」。美浜、敦賀などかつてかかわった施設の事故が相次ぎ、その思いを歌に込めた。
<原発の設計や予算は完璧なれど曾孫(ひまご)請けなれば四割工事>
<原子炉を造りし労務者われなれば事故起こるたび詫(わ)び申したし>
「『もんじゅ』は実験炉と名前が付いてますけど、普通の原発だって三十年以上稼働して安全やと証明された例はない。そういう意味では日本の原発は全部、実験炉だ。施設はどんどん老朽化で悪くなる一方、人はどんどん高慢になっている。そのすき間で事故は起きるのではないか」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040812/mng_____tokuho__000.shtml