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(回答先: 今日、浜岡で「原発停止」の署名運動 [JANJAN] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 7 月 31 日 18:46:35)
2004/07/31
静岡県御前崎市の浜岡原子力発電所(中部電力株式会社)を建設したコンクリート骨材(砂利、砂)の試験結果について、虚偽の報告を続けていたことを原子力安全・保安院に内部告発した骨材会社の元従業員A氏(45)は30日、インターネット新聞『JanJan』の取材に対して、「阪神大震災の光景をみてから自分がやってきたことに心が苦しんでいた」と語った。
A氏が勤めていたのは、コンクリート骨材(砂利、砂)の販売業者である安倍川開発株式会社(静岡市)。子会社の小笠開発株式会社(御前崎市)が生産した骨材を親会社の安倍川開発が販売する関係にあり、A氏は安倍川開発に26年余り在籍したが、そのうちの17年は小笠開発に出向し、生産する骨材の品質管理など製造管理部門を担当していた。
A氏が原子力安全・保安院に知らせた事実は、自らが虚偽申告に関わった浜岡原発4号機(113.7万KW)の建設(1989〜93年)に関する部分だけで、着工の5年ぐらい前から準備に入った。そのころはすでにアルカリ骨材反応が問題になっており(1982年頃から阪神高速道路で被害が発見された)、着工1年ぐらい前に、建設省(現国土交通省)の指針に従って試験をした結果は基準値を大幅に上回っていた(ひどいものでは10倍ぐらい)が、いまさら設計変更をしていると工事が大幅遅れになると、公的試験機関が実施した試験結果を改ざんすることになり、4回ぐらい文書偽造をしたという。
1989年の着工以降は、建設省の試験指針もだんだん改ざんが難しい方法に改まったことから、サンプルそのものを別の骨材とすり替える方法がとられるようになった。したがって、小笠開発→安倍川開発が納入した浜岡原発4号機のコンクリート骨材のすべて(約100万トン)がアルカリ骨材反応性試験は「不合格品」だという。
A氏の話によると、3号機(110万KW)の建設(1982〜87年)についても、4号機と同じ採取地の骨材を使用しており、同様の問題を抱えている。また試験運転中の5号機の建設(1999年〜2004年)でも同じ骨材が納入された可能性が高いという。
阪神淡路大震災が起こったのは、浜岡原発4号機が完成した2年後の1995年1月17日だった。A氏は高速道路が横倒しになり、高層マンションや商業ビルが倒壊した光景をみて急に恐ろしくなった。もし、東海地震が起こったら、どうなるのだろうかと考えると、自分のやってきたことに心が苦しみ続けてきた。それ以来、浜岡原発が崩壊する夢を見るようになった。とんでもないことになる。
A氏は告発に踏み切った心境を次のように述べた。
「企業の不正が次々に明るみに出ていますが、安全性が問われる原発でも不正が行われていることだけはどうしても多くの人に知らせなくてはならないと決断しました」
関連記事:内部告発!浜岡原発の骨材試験で虚偽報告
(高田士郎)
http://www.janjan.jp/area/0407/0407307429/1.php
「危険な話━チェルノブイリと日本の運命」広瀬隆著(八月書館1987年刊)から
■日本のジャーナリズム
日本のマスコミを絵に描くと、民放のテレビ局は、これは東京の例ですが、すべて新聞社とこのように資本でつながっています。
4チャンネルが読売新聞と日本テレビ
6チャンネルが毎日新聞とTBSテレビ
8チャンネルがサンケイ新聞とフジテレビ
10チャンネルが朝日新聞とテレビ朝日
12チャンネルが日経新聞とテレビ東京
そこで、テレビ局を調べると、民放は最大のスポンサーが電力会社で、しかもニュース番組を完全におさえている。具合の悪いニュース番組は極力流さないようにできます。内部の人に会って話を聞くと、「テレビ局は、あれはジャーナリズムなんてものじゃない。恥ずかしいことだが、何も言えないのと同じだ。どうでもいいニュースばかりを追っていて、肝心の最大の問題を放り出している」と自分で言うぐらいですから、推察してください。
NHKは大丈夫かと言えば、経営問題委員が平岩外四、これは東京電力の会長ですよ。
解説委員の緒方彰、このいかめしい顔をしながら、原子力産業会議の理事です。
放送番組向上委員の十返千鶴子、NHK理事で放送総局長の田中武志が、いずれも原子力文化振興財団の理事です。この財団は、東京の新橋にオフィスを訪ねてみましたら、原子力産業会議と同じビルの同じフロアにあり、『原子力文化』というPR雑誌を発行している原子力の宣伝部隊です。これを開くと、チェルノブイリ事故直後の七月号に、放射線医学総合研究所の館野之男という人物が、「退避の必要なかったワルシャワ市民」というとんでもないことを書いています。彼こそ、日本の新聞紙上で「すべて安全」と言い続けてきた人物です。
4チャンネルから12チャンネルまでの民放はやはり同様の仕組みで、表に見られる通りです。ひとつずつ、ゆっくり読んでください。
朝日の一例を引きますと、原子力関係の記事は科学部がチェックすることになっている。検閲ですね。そして科学などまったく知らない人間が、当局の言葉通りに記事を修正する。悪名高い論説主幹の岸田純之助が、彼は原子力委員会の参与でしたが、「原発に反対する記事を書いてはならない」という通達さえ出している。彼に育てられた大熊由起子が、いまや論説委員に昇格して健筆をふるっているわけですから、いかに誠意ある記者がいても駄目です。
デスク・サイドで検閲をやれば、素晴らしい記事も最後のところで当局の言葉や数字が利用され腹の力が抜けるようになっている。勿論、朝日だけではありません。すべての新聞社が同じです。しかもこのごろの若い記者は、たとえば科学部であれば科学技術庁や原子力局に詰めて、これら当局の人間と毎日楽しく話をしたり酒を飲んで、その言葉しか知らない。それは、いつも一緒にいれぱ騙されますよ。ジャーナリストとして客観的に離れて見ることをしない。政治部は中曽根番とか竹下番というように、経済部は大蔵省や経済企画庁にべったりで、何ら批判する能力も勇気もない。
彼らはすでに記者としての資格を失っています。私のところへ来れぱその通り書く。記者でなくメッセンジャー・ボーイですね。記者としての自分のすぐれた調査と分析というものを、ほとんど見ることさえできない。これは私だけが言っているのでなく、最近非常に多くの人から耳にする言葉です。なぜここまで腐り切ってしまったのでしょう。数年前までは、このようなことはなかった。最近私は、自分の子どもたちを殺すのが、このジャーナリズムだという思いを痛いほど強く感じるので、ここはしっかり話しておきます。彼らが私たちを殺すのです。
いまや新聞記者は、超エリート集団です。ここにすべての原因があります。彼らが自ら受験戦争を鼓舞し、自ら誇りをもって競争に勝ち抜いてきた。しかし何と哀れな存在でしょう。それが社会を論ずる記者の態度ですか。
エリート意識などやめてください。たかが大学を出たぐらいで、何も知らずに鼻高々となっている。エリート意識というのは、劣等感があるからこそ生まれるものだ。自分が確固たる信念や哲学を持っていれば、劣等感など持つはずがない。ところがそれがないものだから、他人と競争して勝つことによって、ようやく自分の存在意義を発見できる。その瞬間、自分はエリートに変貌しているわけです。
しかし私たちにとってそこが問題なのは、彼らが新聞記者やジャーナリストになることを目ざしているのではなく、つまりさまざまの問題を自分個人の鋭い目で観察したり分析するのではなく、朝日新聞社やフジテレビの社員になることを目的地としている点です。エリート意識の一本道は、ただその目的地につながるのみです。だからこそ、チェルノブイリの深刻さがまったく記事として現われない。
「まったく情報が入りません」などという言葉を、平気で私たちに語りますからね。このような言葉は、本来はジャーナリストとして自分は失格していると告白しているような恥ずかしいものではありませんか。
私は彼らに言いたい。自分個人に戻りなさい、と。社会問題など、この世に存在しないのです。すべて自分の問題ではありませんか。読売や日経や毎日の新聞社の社員になってしまうから、そのような目でしか取材できないのです。
ジャーナリストが、なぜ原発反対のデモに加われないのですか。記者という職業観など、人生にとって何の意味もありませんよ。いや、ジャーナリストだけでなく日本人全体が、ほとんどの人がこの職業観という幻想に振り回され、そのためにこのような危険が差し迫っていることに気づかないのではありませんか?
ひどい物書きが氾濫しているので、気をつけてください。たとえば私の本を読んで、「ここに書かれていることを確認できない」と書き、したがってひどい本だという論旨の評論にずい分めぐり会いました。彼らは、あまりに無能力で、あまりにも子どもです。評論家と自負するなら、なぜ自分で事実を確かめる努力を怠るのか。なぜ調べることさえできないのか。
実は、『億万長者はハリウッドを殺す』の内容を最も高く評価してくれたのが、皮肉にも私と真っ向から対立するはずの財界人や商社マンでした。彼らは少なくとも子どもでなく、第一線でロックフェラーやモルガンの代理人とわたり合い、金融の世界でしのぎを削ってきたので、容易に内容を理解できるのでしょう。ところが物書きや文化人は、叙情に溺れ、正義などという世界に遊んでいるため、何も知らない。私自身、調べるまでは何も知らない子どもでした。ジャーナリズムの遅れが、今ではよく分ります。彼らは、自分の子どもが殺されようという時にも、まだ物書き、作家、評論家、記者として机に坐り、落ち着いているのでしょう。