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配布資料:NGOの挑戦「ブッシュの戦争と有事法制を考える」ぎふ集会 2003年6月14日【劣化ウラン、NPT】
http://www.asyura2.com/0403/genpatu2/msg/244.html
投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 6 月 21 日 11:24:46:ihQQ4EJsQUa/w
 

(回答先: 4.2 コメント(暴露された核の闇市場が問うもの) 大庭里美(アボリション2000グローバル評議員) 投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 6 月 21 日 11:22:06)

大庭里美講演記録
NGOの挑戦「ブッシュの戦争と有事法制を考える」ぎふ集会 2003年6月14日 岐阜市文化センター

みなさん、こんにちは。大庭里美です。今、「劣化ウランの嵐」というビデオを一緒にみせていただきました。広島でも3月初めに6000人の人が集まって「NO!WAR!NO!DU!(戦争反対!劣化ウラン反対!)」という人文字を作りました。空から撮影した写真をごらんになった方もあると思います。劣化ウランの問題がようやく今、こうやってたくさんの人たちに知られるようになってきたんですが、わたしはこの岐阜という所を何度か訪れて、非常に関係が深い所だと思うんです。劣化ウランというのは核兵器の製造、それから原子力発電の燃料をつくる、その過程から生じる「核のごみ」なんですね。そして、地元の方ですからご存知と思いますけれども、岐阜県にいま予定されています超深地層研究所、これが実は核廃棄物の処分場になるのではないかという可能性が非常に高い所なんですね。私は2年前にもこの時期にNZとマーシャルの女性と一緒に岐阜を訪れて、今日とはまた違うグループの方々とお会いしたのですが、核の問題でこれだけ一生懸命になりながら、実は、もしかするとここに核廃棄物が埋め捨てになるのではないかということはあまり知られていないと感じました。これは別に岐阜に限ったことではなくて、そういう話がある所というのは当事者には最後まで隠されていることが多いんです。

*ヒロシマ、岐阜、劣化ウランを結ぶもの
私が岐阜を3度4度と(私の人生にとって頻々と)訪れることになったそもそもの始まりが、核廃棄物の問題だったんです。中国山地というのは、東濃鉱山と同じように、岡山県と鳥取県境にある人形峠に日本を代表するウラン鉱山があり、どちらも品質が悪くて使い物にならないということで掘っただけで残土を放置して、その放置されたものも実は問題になっているんですが、岡山と鳥取県境にやはり動燃、今は核燃の事業所、さまざまな原子力に関する施設がありまして、岡山県の県北周辺で1980年ぐらいからどうも核廃棄物の地下処分を検討しているのではないかという動きが活発になっていることが分かりました。隣の広島県側でも、ほかの地方よりは核とか放射能といった問題は気をつけていれば入ってくる(気をつけていれば!ですけど)その時に、広島でも動燃がボーリングをしている、あるいはどうもそれに関連していると思われる企業が土地を買いあさっているということが80年代終わりにだんだん分かってきた。私は有機農業をやろうと思っていたころで、その私の耳元に偶然に動燃がボーリングしているという話が入って、岡山の人にも相談したら、それは大変なことじゃないかということで、それから廃棄物の勉強をすることから今の私の運動というのが始まっています。被爆県で被爆体験のある方や2世の方のお友達と日常的にふれあっていて、いろんな身体的な病や心の傷をひんぱんに聞くわけです。そんなところに核廃棄物をもってくるなんてということが、10数年前の大変ナイーブだった私には大きなショックで、もう1週間も2週間も夜ちゃんと眠れなくなり、いろんな本を読みあさったり、運動の資料をもらってよんだりする日々が続いたわけなんです。

*岐阜は高レベル核廃棄物の地層処分候補地?
その時に問題になっていたのが高レベル核廃棄物です。非常に寿命の長い放射能を各種含んでいて、非常に高い熱と非常に強い毒性とあって、ま、これについては今日いらしているKさんが非常に詳しいので私がそんなに話さなくてもいいわけですが、例えばガラス固化したキャニスターが1本この部屋にあれば数秒間でみんな死んでしまう、そういう大変なものです。これは原子力発電所から出る核のごみで、日本だけでなく米も欧州も困っている。日本の場合は地下のどこかに埋めるんですが、こんな地震多発地帯の、地層の安定していない国で、寿命が何万年とか何十万年とかもっと長いものもあって、そういったものを安全に隔離しておける所が日本にあるのかというとそれはどこにもない、というのが私たちがお聞きした地質学者の意見なんです。そういうことがあって、岐阜にも同じ問題があるということで交流をするようになってきたんです。
2001年のアフガニスタンでの戦争、1991年と今年のイラクでの戦争、その間にはコソボでの戦争もありました。その中で劣化ウランが使われて、その土地の人から見るとこれまで見たこともないような病気、見たこともないような赤ちゃんが生まれ、湾岸戦争に参加した兵士の子供にそんな障害が出ているという話が出てきますと、この岐阜の町にきてこの話をすることになったというのは何か必然的なつながりだと思うんです。ある日突然、どこかから劣化ウラン弾というものが生まれてきたわけではないんです。ウランを掘って、そしてそれで原子力発電の燃料を作ったり、核兵器を製造したりします。その時に出る大量のウラン238という、本当言うとごみの部分、これを武器にして米・英はイラクやコソボやアフガニスタンにまき散らしているわけなんです。

これについて私はかなり早くから聞いていて大変なことだと思っていました。99年オランダで開催されたハーグ市民平和会議に参加し、それから帰って広島で劣化ウランとイラクの子供たちの写真展をした時点でもまだ広島でさえ理解されていませんでした。広島の行政は非常に平和行政に熱心で、核兵器や原爆、核実験、こうしたことについては行政としても抗議しています。その時点ではまだ「広島市は核兵器にだけ取り組むんだ」といわれたこともあります。(ここで自分の市の悪口を言うつもりは全くないんですが)その時から考えますと市の行政も変わってきてはいます。広島市はやはり被爆の体験があり、医療機関の先生方も専門家がいらっしゃいますので、チェルノブイリ関係のお医者さんとか被ばく治療の方法とかを求めて広島にいらっしゃる先生方も多いんです。私は専門家ではないのでそういったことを聞くだけなんですが、今のビデオに出ていらしたアル・アリ先生も去年、広島に来られて、その報告を聞いた人たちは非常に大きな衝撃を受けたということなんですね。(私自身はこの時、聞きに行くことができなかった。)

*劣化ウランは日本でも生産している
考えなければならないのは、これは戦争のためにいきなりそういうものが作られたのではないということです。そういう犯罪的なことをしているのは米国だけだということでなくて、私たち、この日本でも劣化ウランを生産しているんです。お手元にある「日本からのレポート」は、ジュネーブの国連で開かれたNPT準備委員会のNGOのワークショップで私が報告したものですが、そこに書いたように青森県でも劣化ウランを7000トン以上も生産しているんです。青森県六ヶ所村に、核燃料サイクル施設という世界最大級の放射能施設があります。そこにはウラン濃縮施設、低レベル廃棄物の永久処分場、それから、先にお話したこの部屋に置いたら数秒でみんな死んでしまうという高レベル廃棄物の一時貯蔵施設(これは最終的な処分場が決まっていない今、六ヶ所村に600本以上、恐ろしいものがおいてあるんですが)そしてもう一つ、再処理工場があります。これは原子力発電所の使用済み燃料からプルトニウムを取り出す、その再処理の過程で高レベル廃棄物が出てくるんですが、予定通りなら2005年に稼動を初め、毎年7トンのプルトニウムを取り出す能力があります。これを予定通りずっとやっていくと日本は400トン以上のプルトニウムを保有する国になります。天然ウランはそのままでは使えません。核爆弾や原発の燃料として使える核分裂性のウラン235は1%以下、核分裂をしないウラン238が99%以上です。それでウラン濃縮工場で3-4%まで濃縮する、それはいろんな方法があるそうですが(私は洗濯機の脱水槽を思い出す。高速で回転させて、わずかな重さの違いで分離するんだそうです)そこで劣化ウランというのが出てくるのですが、そお大部分は核分裂しないウラン238です。

*「劣化ウラン」というより「死のウラン」
劣化ウランという名前は間違っています。DUというのは英語のディプリーティッド・ウラニウム(Depleted Uranium)の頭文字ですがディプリーティッドは劣化した、損傷して効果が失せたと言う意味で、「それは間違いだ。あれはデッドリー、非常に危険な、死をもたらすウランだ」と私の知り合いの外国人がかなりおこっています。彼の意見は正しいと思います。劣化して効果がないだったら問題はないんですから。

劣化ウランは質量が非常に重いということと、放射性であるということの二つの性質があります。つまり重金属と放射能の害があるという両方の面があります。イラクに何度も行かれて、病気の子供たちの支援をしている伊藤政子さんが広島に来て講演して下さった時にとても印象的だったのは「重金属と放射能と両方の害があるから、水俣と広島をあわせたような、そんな症状だと言う印象がある」と言われたことです。

劣化ウランというのはごみですから、安い。日本が1トン1ドルとか非常に安い値段でアメリカに売っているという話を聞いたこともあります。ほとんどただ同然で兵器になるわけですから人を殺す側からすればとてもいい。非常に硬いということで装甲車なんかを貫くのにいい。それ以前はチタンなんかを使っていた。

*第4次中東戦争で初めて使われた
一番初めに劣化ウラン弾が使われたのは、オランダのLAKAという民間研究所によると、1974年の第4次中東戦争で、イスラエル軍が英米の監視のもとで使ったのが最初だといわれています。湾岸戦争が初めてというのを時々外国の専門家でも書いたりするが、それは間違い。大量に使われたのは湾岸戦争が初といえばそれは正しい。70年代にすでにそうやって使って非常に効果があるということを米英は知った。知っていて使ったから犯罪的なのです。どういう害をもたらすかということを使う側は明らかに知っていた。そのことを米は軍の内部にいた人、政府の内部にいた人たちが語り始めてくれているんですが、なんと私達は正しい情報と言うものを知らされていないんだろうと今またつくづくと思いました。

劣化ウランは非常に重いので戦車を貫通する、あるいは逆に米軍側からいうと、戦車の装甲に使う。貫通したときに穴をあけるだけではなく、その時に高い熱を発して燃えて微粒子になって空気の中を漂う。そのことによって住民、兵士たちが体の中に吸い込む。ウラン238は非常に半減期が長い。45億年で、ほぼ永久です。プルトニウムの半減期は24000年で、さかのぼればクロマニヨン人とかいわれた。私などはこれを聞いてびっくりしたんですが、そんなのを通り越して、何十億年、そういった長い間毒性が消えない、胎内に入るとそこでほぼ永久に放射線を発し続ける、それとともに重金属の影響もある。岐阜は重金属についても関連ありますね。カドミウム汚染によるイタイイタイ病をもたらした神岡鉱山。その話をすると長くなりますのでそれはおきますが、きょうはブッシュの戦争と有事法制についてですので、だんだん米国の方に話を移していこうと思いますが、日本が、決して私たちが劣化ウランの問題で第三者ではないということ、そして私が住んでいる広島とみなさんのいる岐阜と言うのは深いかかわりがあるということをまずお話させていただいたわけです。

今日はNGOの挑戦と言うタイトルでお話させていただきます。いま、本当に心の痛むビデオを見まして、これが人間のやることなのかと思うんですが、それだけで終わってしまったら暗い気持ちできょう解散しなければならないので、何か私たちができることがあるかということを一緒に考えていきたいと思うんです。

私自身は、多分あると思うからやっているんだと思うんですね。プルトニウム・アクション・ヒロシマという、本当に小さな小さなグループです。こういうことを10年以上もやっていようとは夢にも思っていませんでした。ただ、広島に住んでいるし、被爆者の話を聞いているから、自分に出来ることはやはり小さなことでもやっていきたいと思ったのが出発点です。子供もいますし、その子供たちのことを考えてもこれから5年先、10年先、いったいどうなっていくんだろうということが大変不安で。そういう思いと言うのは、ここにいらっしゃる皆さんも同じだろうと思うんです。なにか政権を握りたいとか首相になりたいとかそういうものではなくて、一般の市民の願いというのは本当にささやかなものだと思います。安心して暮らしていける世界をどう子供に残していけるか。残念ながら今の状況と言うのはどんどんそれの逆を行っていると思います。

*軍事用プルトニウムが日本でもできてしまう
プルトニウムは長崎原爆の材料です。広島の場合は高濃縮ウランの10キロ、長崎は7-8キロから10キロぐらいのプルトニウムだったと思われますが、今なら4キロもあればできる。日本がそのプルトニウムを大変な量、持とうとしている話を聞いた時に、それってとっても大変なことじゃないのか、少なくともその事実を大勢の人に知ってもらいたいと言う気持ちで始めました。そうすると、だんだんいろんなことが分かってきたのです。日本に再処理工場を作って、日本の中でプルトニウムを分離するということを知りました。これまでは日本の再処理工場は東海村に小さいのがあるだけで、ほとんどの使用済み核燃料は仏と英に送って、そこで取り出したプルトニウムと高レベル廃棄物を日本に持って帰るというので、その度に地球をお騒がせしてきました。それを今度は日本の国内でもやろうということなんですね。いろいろな意見があって、エネルギーで必要なんだから、地中に深く埋めれば大丈夫だというのが進めている人たちの声ですが、それほど簡単なことではないということがわかってきます。そして今年1月に高速増殖炉「もんじゅ」が裁判で国の設置許可が無効だという判決を受けました。もんじゅはプルトニウムを燃料として使う原子炉だった(だったと、私は過去形にしてしまうんですが、本当に完全に葬ってしまわないと危なくていけない)で、プルトニウムを使うだけでも怖いんですが、さらに怖いのは、高速増殖炉は核兵器に直結する原子炉だということなんです。細かい技術的なことはいま話す時間がないのですが、もんじゅを運転すると非常に高純度のプルトニウムができます。もんじゅの場合、98%ぐらいの、世界中のどこにもないような高純度の軍事用プルトニウムができてしまう、大変なものなんですね。そういうことをだんだん知ってしまうと、やめるにやめられずにきてしまいました。原爆、水爆については反対してくださるのですが、こういったことをあまりメディアとか、行政はなかなか伝えては下さらないんですね。NGOというのは経済的には厳しいものですが、やはり一人一人の関係を通してものがいえる。自由にものがいえることが一番大事なことだと思うんです。最近でこそNGOという言葉が鈴木宗男議員の事件以来知られるようになってきましたが、外務省がNGOに2000万円も金をだしていたということを聞いただけでびっくりしてしまったぐらいなんです。

NGOとは何か、2つ大事な点があります。それは、非営利団体であること、それから国際的な活動していることです。今はたくさんの団体がNGOというふうにいい始めましたが、正式に言いますとプルトニウム・アクション・ヒロシマはNGOには入っていませんし、NPOにもまだ登録していません。NGOというのはもともと国連の用語で、国連の中のNGO会議というのに登録されているのがNGOです。飢餓の子供を救うとか、地雷除去キャンペーンとかワクチンの摂取とか。ここ10年、20年で知られてきましたが、日本で印象的だったのは京都でのCOP3(地球温暖化防止会議)で、あの時に日本のメディアの中でもNGOと言葉が定着したようです。第二次世界大戦が終わって、あのような悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけないという思いは世界の指導者の間に共通だったわけですね。その時に様々な紛争防止や問題解決のために国連が作られました。設立からまもなく、紛争防止や飢餓とか暴力、差別の問題などを解決するのに政府間の会議だけでは不十分だということで、パートナーとしてNGOをとりいれることが早くから決まったようです。だから、ずいぶん早くから活発に活動している人たちがいて、今では日本でもかなりいろんな人たちが加わるようになってきた。私はその中でもかなり新しい部類で、この間初めてジュネーブの国連での会議に行ってきました。国連は、NYのほかに欧州本部がジュネーブにあります。もと国際連盟があった所で、赤十字やWHOなどさまざまな国際機関も集中している、とても国際的な都市です。今年はNPT再検討準備委員会がそのジュネーブで行われました。これは1995年からずっと開催されている会議です。

*NPT条約第六条に核保有国の軍縮義務
核拡散防止条約は条文が11あります。NPT条約が1970年に発効したときには、核保有国は5カ国でした。いわゆる5大核保有国です。中国が核をもったことが非常に大きなショックで、もうこれ以上核拡散させてはいけないということで核不拡散の国際的な枠組みづくりが始まって、1972年に日本はちょっと遅れて参加していますが、1970年に発効する中で、25年の期限付き条約だったので、1995年にNPT条約が終わることになっていました。しかし、実際には核保有の疑惑がある国があるし、核保有国の中でも核兵器の数も増加し、性能もどんどん向上したりしているということで、95年以降どうするかという大きな会議がNYで開催されました。私は1991年12月にプルトニウム・アクション・ヒロシマを設立し、どうしても核拡散の話には関心があるので95年以前からこの条約の成り行きをかなり気にしていました。日本では報道されませんでしたが、NYの会議では日本のプルトニウムはこの会議でかなり批判されていたのです。結局、NPT条約の無条件延長が決まったのですが、これは、米国をはじめとする核大国の圧力で決まったことです。

大方の非核保有国とNGOは、無条件延長に反対、あるいは批判的でした。私自身はNPT自体に何の幻想ももっておらずそんなものやめてしまって核兵器禁止条約にすべきだと単純ですから思っていた。その私がなぜいま、NPTを監視するNGOになっているというのは、大変皮肉な話です。で、なぜ非核保有国やNGOが無条件延長に反対、あるい批判したかというと、問題は第六条・核保有国の軍縮義務が果たされていなかったからです。全然守られたためしがないんです。NPT自体は、核保有国以外への核拡散を防ぐための条約であって、核兵器をなくす条約ではありません。その中で唯一前向きなのは第六条。核保有国は核軍縮に向けて真摯に努力して誠実な交渉を行わねばならない、とあります。しかし、そのことはほとんど守られてきませんでした。START IとかSTART IIとか、そういう条約が結ばれたのも結局は市民の世界的な反核運動の結果です。国、政府の人たちが自ら積極的にそういうことをやっていくということは放っておいたらないわけです。で、守られない第六条をどうやって守らすかということで、95年に無条件延長が決まった時に、条件として5年ごとにNPTがどのように運用されているか再検討する会議をもたせるということをNGOが圧力をかけて各締約国に約束をさせた。95年以降の最初の再検討会議は2000年、次は2005年で、その間にほとんど毎年のようにNYやジュネーブに各国代表、それにNGOが集まって次の5年ごとの検討に向けてどのように効果的に会議を成功させることができるかということを話し合うために集まっている。今年もそのための会議がジュネーブで開催され、それに参加してきたわけです。

*「核軍縮」より「核廃絶」を目指して
私は95年以来、その経過についてはだいたいのことは聞いていましたが、まさか自分が行くことになるとは思っていもいませんでした。旅費のこともありますし、ずっと英語で聞いて話してというのは一般的に言って、日本人にはちょっときついんですよね。日本から約12人がいくつかのグループから参加していました。そのNGOのまとめをしているのが地球規模のネットワーク、アボリション2000(http://abolition2000.org/)です。(次号に続く)

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