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8月6日(火) NHKスペシャル「原爆の絵ふたたび」
広島市佐伯区に住む加藤義典さん(74)が描いた市内の惨状
「原爆の絵」
BOOKS NHK広島放送局編
当時17歳だった加藤義典さんは、爆心地から3・5キロの地点で被爆。自宅のあった市の中心部に向かう途中、段原国民学校で子供たちが崩れた校舎の下敷きになっていることを知った。
駆けつけたとき、校舎はすでに燃えはじめていた。加藤さんは、何人かの人たちとともに防火用水で体を濡らし、崩れた校舎の下に潜り込んでいった。しかし、倒れた柱や梁はびくともせず、助け出せたのは1人だけ。子供たちは身動きのとれないまま、加藤さんの目の前で炎に包まれていった。/
70歳を越え、このまま黙っていては段原小学校で亡くなった子供たちのことが忘れ去られてしまうと考えるようになる。
昨年、「原爆の絵」の募集を知った加藤さんは、忘れようとしても忘れられない2人の子供のことを絵に描いた。
崩れた校舎の奥深くで出会った男の子は体を動かせる状態だった。しかし、がれきが行く手を阻んでいた。火が迫ったとき、男の子は涙を流しながらも歯を食いしばって恐怖に耐えていた。
加藤さんにできたのは、その子の手を握りしめることだけだった。「助けてあげられなくてごめんね」と加藤さんは絵に書き添えた。
校舎の一番端で腕を柱に挟まれ抜け出せないでいる女の子は、腕がつぶれ血の気を失っているものの、体のほとんどが外に出ていた。せめてこの子だけは助けたい。
校舎全体がメラメラと燃え上がるなか、加藤さんは濡らしたワイシャツを女の子にかぶせ、水を汲んできてはかけた。しかし、それだけでは燃えさかる炎を防ぎようもない。
加藤さんはもはや助けられないことを悟りながら、女の子が火に巻かれる直前まで挟まれた腕をさすり続けた。「もうすぐ楽になるからね……もうすぐ楽になるからね……」。加藤さんは女の子にそう声をかけ、その場を離れた。
最後に女の子が弱々しい声で名乗った、「よしもと」という名前は決して忘れまい。そう心に誓った。
あの日から57年。絵を描き終えた加藤さんは、当時の被災状況を記した資料を調べようと段原小学校を訪ねた。/茶色く変色した犠牲者の名簿が見つかった。その中には「吉本孝子・四年生」と記されていた。/
加藤さんはようやく目の前で亡くなっていった子供たちを弔うことができたと感じた。
2003年 NHK出版
みちくさ新聞78号掲載
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9003/books145.htm