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『「産業資本主義」の終焉:インフレーションと経済成長(デフレーションと不況):インフレは産業への“賛助”である。』( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/786.html )の補足的な説明です。
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戦後日本は、脅威的な高度経済成長と悲惨な「長期デフレ不況」を経験した稀有な先進国である。
高度経済成長は、GDPの名目成長率と実質成長率がともに高い状況で、企業の収益が拡大し国民生活が向上していく過程である。
政府・地方の財政も、“自然増税”で潤い、公的債務も実質的に軽減されていく。
「長期デフレ不況」は、GDPの名目成長率がゼロもしくはマイナスになり、実質成長率がゼロ近辺でマイナスからプラスのあいだを振れる状況で、企業の収益が低迷するとともに国民生活の維持も困難になっていく過程である。
政府・地方の財政も、“自然減税”により歳入難になり、公的債務も実質的に増加していく。
GDPの名目成長率と実質成長率には、インフレ率と生産性上昇率が関わっている。
ある年のGDPが名目で100兆円だったとする。
翌年、GDPが名目で110兆円になった。名目で10%の成長率である。
このとき、GDPデフレータ(インフレ率)が10%であれば、実質成長率はゼロ%である。
逆にGDPデフレータ(インフレ率)がゼロ%であれば、実質成長率は10%になる。
就業者人口が一定だと仮定すると、
名目成長率が10%で実質成長率がゼロ%というGDPの変化は、実質需要総額が10%増加し、財の総供給量が同じで物価が10%上昇したという経済活動を思い浮かべればよい。
名目成長率が10%で実質成長率が10%というGDPの変化は、実質需要総額が10%増加し、財の総供給量も10%増加し物価は不変という経済活動を思い浮かべればよい。
勤労者の生活をベースに考えれば、給料は増えたがそれで購入できる財の量は変わらないというのが実質成長率がゼロ%であり、給料が増えそれで購入できる財の量も増えたというのが実質成長率が10%である。
ここで考えなければならないのは就業者人口が一定という前提条件である。
管理通貨制の通貨供給量は、中央銀行→銀行→企業(家計)という貸し出しの流れや銀行の「信用創造」そして流通速度(通貨の回転率)の上昇で増やすことができるが、財の供給量はそのような“詐術”では増加しない。
同じ就業者数で財の供給量を増加させるためには、生産性の上昇が不可欠である。
このことから、名目成長率が10%で実質成長率も10%というGDPの変化は、生産性が10%上昇し、その成果が勤労者の所得増加や新規資本形成(設備投資)につながったことを意味する。
高度成長期に見られたGDPの基本的な変動は、名目成長率が20%で実質成長率が10%といったものである。
実質成長率は「名目成長率−GDPデフレータ(インフレ率)」だから、例としたGDP変動におけるインフレ率は10%になる。
『「産業資本主義」の終焉:インフレーションと経済成長(デフレーションと不況):インフレは産業への“賛助”である。』( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/786.html )で説明したように、インフレ率10%があったからこそ、実質成長率10%が達成されたのであり、インフレ率が0%であれば、名目成長率の20%も実質成長率の10%も達成されなかったはずである。
産業部門の各企業は、生産性上昇を達成しながらインフレの“恩恵”を受けることで、名目粗利益を増加させ、設備投資に伴う債務を実質的に軽減することができた。
高度成長期の高いインフレは、日銀のベースマネーの増加と銀行の「信用創造」が旺盛な設備投資に向けられたことが主要因だが、名目粗利益の増加が従業員の給与引き上げの原資となり、給与引き上げが、生産性上昇で増えた消費財への需要増につながり名目粗利益の源であるインフレを確かなものにするという循環が補強するかたちで現実化したものである。
生産性の上昇は、物価水準を押し下げる働き、すなわち、デフレ圧力になる性質を持っている。
平均生産性上昇率が10%であれば、物価水準は10%下落する。
平均生産性上昇率が10%でインフレ率が10%であれば、実質的なインフレ率(名目粗利益増加率)は22.2%なのである。
(1個100円の財は、生産性上昇率10%により価格が90円になるはずである。それがインフレ率10%で110円になったのだから、20/90×100=22.2%が名実質的なインフレ率(目粗利益増加率)となる)
平均生産性上昇率が5%で財のインフレ率が10%であれば、(110−95)/95×100=15.8と、実質的なインフレ率(名目粗利益増加率)は15.8%である。
実質的なインフレ率(名目粗利益増加率)が高いほうが、企業の実質債務を軽減するとともに、粗利益の増加で減価償却や給与増加をよりスムーズにする。
(前者は粗利益が20円増加し、後者は15円の粗利益増加である。粗利益の増加は内部留保や給与引き上げの原資にすることができる)
日本は、90年から91年にかけての「バブル崩壊」を受けて、90年代中頃から「デフレ不況」の様相を見せるようになり、90年代後期から現在に至るまで明瞭な「デフレ不況」に陥っている。
「デフレ不況」期のGDPは、名目成長率がマイナスで、実質成長率がゼロ近辺でプラスやマイナスに振れるという変化を見せる。
ある年のGDPが名目で500兆円だったとする。
翌年、GDPが名目で490兆円になった。名目でマイナス2%の成長率である。
このとき、GDPデフレータ(インフレ率)がマイナス3%のデフレであれば、実質成長率は1%になる。
GDPデフレータ(インフレ率)がマイナス1%のデフレであれば、実質成長率はマイナス1%になる。
名目成長率がマイナス2%で実質成長率が1%というGDPの変化は、実質需要総額が2%減少し、財の総供給量が同じで物価が3%下落したという経済活動を思い浮かべればよい。
それでも、産業部門がデフレ率を超える生産性の上昇を達成しているのなら、名目粗利益を減少させるデフレであっても、利益率を上昇させることはできる。
しかし、生産性の上昇に見合うだけ輸出を増加したり国内市場でシェアを高める企業は別として、ほとんどの企業は、稼働率を下げ余剰人員を抱えて理論的な生産性の上昇を現実化できないはずだから、収益低迷に遭遇する。
さらに、生産性を上昇させるために投資した製造装置の債務履行や減価償却の問題が浮かび上がってくる。
拡大的な設備投資はインフレや売上増加を見込んで行われているものなので、デフレで名目粗利益が減少すれば、債務の利払いや元本返済が過大な負担となる。
債務不履行は倒産につながるので、名目粗利益の減少を量の拡大で補おうとする企業が増え、財の価格はさらに下がることになる。
(設備投資を借り入れで行っていれば、採算割れであっても、機械を動かし少しでもお金に変えようとするのが経営者の“人情”である)
現実にもそうであった(ある)ように、収益低迷と稼働率低下・人員余剰が同居すると、背に腹は代えられぬということで、ある時点で“首切り”に踏み切る。
これによって理論的な生産性上昇を現実のものにすることができるが、過剰設備であることは変わらないので、債務履行の過負荷は改善されない。
さらには、継続雇用者の給料を切り下げることで収益を向上させようとする。
しかし、これらの対応策は勤労者総体の所得減少につながるので、実質需要総額を減少させ、デフレ不況をさらに深化させるものなのである。
このように、デフレは、デフレ自身がデフレを招く論理を内包しており、企業が「資本の論理」でもがけばもがくほどデフレを悪化させるという性質を持っている。
インフレもインフレを招く論理を内包しているが、その気になれば、“天上”の金融政策で容易に抑え込むことができる。(通貨を手に入れられなければ、設備投資もできず、財も思うように買えない)
しかし、長期のデフレは、利払いや減価償却が過大な負担になるため設備投資を抑制させ、人減らしや給料引き下げを強いるものだから、インフレに転化する条件である通貨供給量の増加そのものを阻害し、金融政策を無力化してしまう。
何より、デフレは、黙っていても保有通貨の実質価値が増加するという経済状況だから、保有通貨を財や人に支払って生産活動を行なう意欲そのものを減退させる。
デフレは、経済主体(起業)の自助努力が逆効果となり、金融政策の効果がほとんどなく、せいぜいが赤字財政支出によりデフレの悪化を押さえることしかできない“経済の癌”なのである。
(金融政策は、低金利政策を活かして借り換えができる企業や新規起業家に一時的なメリットを提供するが、デフレが続く限りそのメリットは消えてしまう運命にある。そして、ゼロ%金利になればそれ以上の金利低下はない)
「平成デフレ不況」は、デフレがそのような経済事象であることを理解せず、デフレ条件が現実のデフレとして顕在化する前に「バブル崩壊」の後始末をきっちり付けなかったばかりか、不況対策として将来にツケを回す赤字財政支出に頼るとともに、消費税アップと高額所得者減税で財への需要をさらに減少させる政策を実行した政府の無策・無能に起因する“人災”である。
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★ 参照書き込み
『「産業主義近代」の終焉:戦後日本が豊かになったのはただ単に「より多く働くようになった」から!?』
( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/490.html )
『「産業主義近代」の終焉:“自然の恵み”ではなく“人々の恵み”が産業を発展させ生活も向上させてきた。』
( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/692.html )
『「産業資本主義」の終焉:戦後日本の「農業(漁業)→産業→商業・サービス業→金融業」発展形態:「労働の交換」を理解するため』
( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/757.html )
『「産業資本主義」の終焉:戦前米国の経済発展:広告宣伝や営業マンは“需要”を喚起しているのか?:「供給→需要原理」』
( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/782.html )
『「産業資本主義」の終焉:商業の利潤(粗利益)とは何か?:「供給→需要原理」を理解するために』
( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/762.html )