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参照レス
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/742.html
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ピカリンさん はじめまして バルタンです。
拙いレスに眼を通して戴いてありがとうございます。
>ご意見拝読いたしました。
>右、左が、フランス革命に由来するとは、知りませんでした。
>また、ひとつ頭が良くなった気がします。(95へぇくらい)
前レスでも書きましたが私は「戦争大好き少年」だったのですが、小学生の時に
なにかの拍子に学校の図書館でフランス革命の本を読みました。
ロベスピエール=善 ダントン=悪 というように感情移入してお子様向けの物語
として読もうとしても、読めば読むほどグチャグチャになってくる。(笑)
なにか納得できないというか、喪失感の様なものがあったのを覚えています。
今、大人の言葉で言えば「歴史は善悪の彼岸を超えている、目的論的に世界を
見てはいけない」という事になるのかもしれません。
本の題名や中身は忘れましたが ダヴィッドの「マラーの死」の白黒の挿絵は今でも
忘れられません。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/cham/marat/index.html
>右も左もあちら側の差し金による采配のような気がしてきている昨今ですが、バルタンさん
>には、そのあたりのお考えがあるようでしたら、お聞かせいただきたいです。
物凄くキツイ御質問ですが、身も蓋も無く言えば積極的に「こうだ」と言える物は何も
ありません。
で、話をはぐらかしに入るわけですが「右翼」「左翼」といってもフランス革命に遡って
もなにも判らないわけです。だから「もうそんなメタファーはいい加減やめろ」と言う人
もいるわけです。でも現実にはそういう枠組みでものが考えられている。
つまり「土着化」?して意味が変わっているわけです。
前出の鈴木邦夫氏によれば「愛国者のインターナショナル」というのもあるようです。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2003/shuchou0512.html
参議院選挙ですが私の左翼や「良心的市民」のお友達に「仮に選挙区で加藤紘一と西村真吾が
立候補したら加藤紘一に投票する、加藤のボランティアをやる」と言ったら(フクロにされる
かと思ったのですが)「そうだね」「言えてる」というレスポンスが多数で拍子抜けしました。
もちろん「自民党ゆるすまじ」とか「投票にいかない」いう人もいますけど。
でも皆「二大政党制はおっけー」「アメリカ嫌い、フランス大好き」なわけですが「阿修羅」
で仕入れた情報で「ちょっと待ってよ」「それって違うんじゃない」と言うしかない。
ですから私はレインボーフラッグ(ピース旗)は「右も左も極端な思想の方はご遠慮いただく」
という「ファシズムに反対するファシズム」の象徴と思っていて「そんなの止めろ、赤旗でいい」
と主張してるんですが。(「ボケ」「化石」とか言われてます(笑))
昔ノーマン・メイラーという作家が「ベトナムから遠く離れて」という本を書いたのですが
「戦争板」にも貼られていた記事で「ファルージャの爆撃された病院の前に11歳の少年
が身の丈に余るカラシニコフを下げて『みんなを守るんだ』と立っていた」というのがあり
ました。「抵抗闘争の英雄」あるいは「プロパガンダだ、子どもを戦争に利用するな」という
意見もあるでしょう。でも「この私」は何を言っても声の届かないところに居る。第一それが
本当の話かもわからないわけです。(少女だった、という話もありました)
それは国内の問題でもそうです。一生のほとんどをメシを食い家族を養うために費やす「この私」
はあまりにも無力なわけです。「衆を頼んで」も「衆」の中身を巡って争わなければならない。
以前に書きましたがカントは「知ることは絶望することだが、前進だ」と言ったのですが
「知った事」と日々メシを食うこととは簡単に結びつかない。だから「空理空論はもうイイ、
メシを食う地に足の付いた話が全てだ」という話も出てくるわけですが、それも嘘の様な気が
します。やはり「大きな思想の力」が必要と思うのですが、そんなものが出来合いで都合よく
落ちているはずがない。吐いたとたんに嘘になるような話ですが、何かアクションを起こせば
レスポンスがある。アクションというのは投票に行く、デモに行くとかだけじゃない。
「メシの食い方を変える」というのもその一つなわけです。
しかし、あっしらさんの話ではないですが「善をなすつもりで悪を為す」というのは、なんとしても
やめたい。悪を為すなら悪と覚悟を決めたいということです。そのためには「知る」しかないのかな
というのがとりあえず結論です。
あっしらさんへのレス
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/723.html
はピカリンさんの断食道場の話に啓発された部分もありましたが、話がどんどん横道
にそれて、あっしらさんには申し訳ないと思っていますが...
Re: 分かりにくいところは質問してください。 ピカリンさん
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/665.html
私は現在一日二食です。間食もしていません。それが出来るのは時間が比較的自由な仕事を
していることが大きいと思いますが、それでも最初は足がふらついたり、イライラしたり
しましたがいまは快適です。
偏頭痛や胃の鈍痛といった「持病」も気にならなくなり、なにより体が軽くなり、頭の血
の巡り?も少しよくなった様な気がします。(あくまでも「する」だけかも)
でも良いことばかりではありません。食事の時間がずれると同僚から「おい、メシ食いに
行こう」と誘われても「ちょっと...」と断るし、付き合っても水ばかり飲んでいるので
だんだん誘われなくなる。コミュニュケーションから外れてしまうわけです。
「家族団らんの食事」というも成り立たなくなるわけですし。
ピカリンさんのように三食で量を減らす(質を変える)というのがベストですが、体が慣れて
しまったし、外食すると「出されたものは全部食う」という悲しい習性から自由になれない。(苦笑)
思ったのは食事というのは何かの代償行為というか、文化だと思いました。
話が飛んでしまいますが、職場で天井を見てボーッとしていると「何してるんだ、仕事
しろ」と怒られますが、タバコを吸っていると「何か考えているんだな」と思われる
わけです。今みたいに「喫煙場所」にたむろしていても「休憩しているんだな、吸い
終わったら仕事するんだな」ということで「ある程度」許されていると言うのもあります。
つまり「喫煙=健康に悪い」という啓蒙だけではすまない現実?がありますね。
考えてみれば職場でお茶(コーヒー)を飲みますが、飲みたくて飲んでるんではなく
タバコを吸うのと同じことかもしれません。
またしても長くなったので、とりあえず終わります。