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「産業主義近代」の終焉:産業資本家と労働者は本当に対立(敵対)関係にあるのか?
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/690.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 09 日 19:45:39:Mo7ApAlflbQ6s
 


マルクス主義系統左翼理論の根底的な誤りは、剰余価値説(不払い労働の搾取)に基づく資本家階級と労働者階級の対立を基礎とする「社会観」にある。

左翼政治運動が混迷と閉塞に陥っているのは、偏に、この「階級闘争史観」にあるといっても過言ではない。
日本共産党をはじめ先進近代国家の多くの共産党が社会民主主義的改良主義に堕したのも、「剰余価値説」や「階級闘争史観」がもたらした弊害だと考えている。

心情主義的で思考怠惰な左翼のために予め言っておくと、資本家階級(企業経営者)と労働者(被雇用者)に利害対立がないとも闘争をするなとも主張しているわけではない。
利益配分や労働条件をめぐって苛烈な利害対立があり、身一つという頼りない力を団結力で補うしかない勤労者は、論理的に得るべき(得られる)利益を得ることなく、そこそこの利益獲得で妥協させられるものである。

ここで言いたいのは、そのような利害対立が、果たして根源的な利害対立と言えるのかということである。

失礼な言い方をすれば、家族のなかで、家計管理権を握っている妻と自分が自由にできる小遣いの増額を求める夫の闘争に等しいものでしかないのではないかという疑義である。


「論理的に得るべき(得られる)利益」という表現を使ったが、それは、その裏返しとして、「論理的に得られない(得るべきではない)利益」があることを意味する。


「論理的に得られない(得るべきではない)利益」とは、その利益を一時的に得ることで中長期的に大きな損失を被ることになるような利益である。(その利益を得ることで、その後の競争でジリ貧になり給与が減少したり、最悪の場合は失業者になってしまうこと)

篤志家が所有し自分は従業員の最低賃金と同額の報酬という企業を想定する。
全財産を資本として投じているので追加資本投入はできず、必要な人材はそれぞれの能力に応じた世間相場で雇い入れ、ある財を生産・販売している。
このような企業は、資本家が配当として得るための利潤は不要である。必要なのは、競争環境のなかで生き残るための資金を得るための利潤である。(他社に遅れをとらないように最新の生産設備を導入するなど。利潤蓄積では不足する資金は、利払いを考慮して借り入れの利を判断する)
篤志家が近代的意味で優れた経営者であれば、雇用された人たちは、長期的には同業種の同種の仕事をやっている人よりも高い給与を手にできる。(短期的には、設備投資に必要性が給与を下げる可能性がある)

こういう篤志家が経営している企業は皆無に近いと言えるが、こういう企業なら、労働組合そのものが存在意義がないことになる。(篤志家は一般従業員に優秀な経営能力を持つ人がいれば経営陣に据えるから、労働組合が経営者を超える方策を提起することはできない)

マルクス主義系統左翼にこのような理解が欠落していることが問題なのである。
そして、この認識が欠落したままでは、資本主義経済社会(「近代経済システム」)を規定している論理を掴むことができない。
資本家(経営者)すべてが篤志家である資本主義経済社会であっても、資本主義社会は“害悪”であり、産業資本主義は終焉(定常状態:停止)に向かう経済論理を内包していることを理解ができず、景気回復や国家による“弱者救済”を政策として掲げることでことたれりとなってしまう。


剰余価値説(利潤搾取説)は賃金生存費説が前提である。(生存費説:賃金は明日も労働ができるための条件を維持するために必要な額とするもの)
労働者が生産した財は労働価値説的な価格で販売されるが、資本家(経営者)は労働者に生存費の賃金しか支払わないから利潤を手に入れるという理解である。

「労働者の解放」をめざすマルクス主義政党が改良主義に堕していったのは、歴史過程的に「賃金生存費説」が瓦解していったことが主要な要因である。
(左翼は、なぜ「賃金生存費説」が瓦解していったかを理解していない。それを左翼労働運動の成果だと誇っているようでは無思慮の謗りは避けられない)

「労働者の解放」が過酷な生活条件と劣悪な労働条件に置かれた労働者の窮状に居た堪れなくなって掲げられたものなら、生活条件と労働条件が改善されていく現実を見れば、それをさらに進めていけばいいと考えるのは自然である。

このような考え方は、祖国の戦争も、それらの改善につながるだろう(もしくは、悪化を防ぐだろう)と判断して支持に向かわせていくものである。

(国外からの貨幣的富の流入が「真の利潤」であり、過剰人口の海外植民が生産性上昇の支えであるのなら、善悪は別として、海外拡張は合理的である。戦後日本は「真の利潤」を米国に支えてもらったから、軍事的海外拡張に励む必要がなかっただけの話である)

実際にも、欧州大戦(第一次世界大戦)や第二次世界大戦で各国の労働者基盤政党の多数派が祖国の戦争を支持した。
日露戦争・韓国併合・満州事変・シナ事変・「大東亜戦争」も、日本の労働者の多数が、政治的プロパガンダに乗ったかたちとはいえ、それが自分たちの利益にもつながると判断して支持したのである。農民のほうが、貴重な労働力である我が子を戦場に狩り出す戦争に反対する論理を持っていた。
(戦争に反対した日本共産党はインテリ層中心の弱小政党であり労働者に支持基盤をほとんどもっていなかった。戦後の日本共産党の変容過程を顧みれば、その体質が、戦争を支持した労働者基盤政党と変わらないことがわかる)


マルクス主義系統左翼は、スターリン主義云々ではなく、マルクス的「近代経済論理」理解を何より疑わなければならないのである。


現実には「最善」の資本家や経営者はいない。
私利私欲を問題にしているわけではなく、私利私欲を長期的に実現する方法(論理)を「近代経済論理」にきちんと照らして考えることさえできない体たらくなのである。


今回書いた内容は、唾棄すべき「労使協調」を呼び掛けるものではない。
労使は、相互の利害対立をも規定する上位の「近代経済論理」を理解した上で闘争しなければならないと主張しているものである。

戦後労働運動の「労使協調路線」が利潤を設備投資に回せる条件を許し高度成長を支えたことを認めるとしても、それは、労働組合幹部の私利私欲路線に変質したり、「論理的に得るべき(得られる)利益」さえをも捨て去る“反労使協調路線”に変貌した。

(真の労使協調路線であれば論理的には労働組合は不要なのである。だからこそ、そのような組合の幹部は、組合員のお金を吸い上げていながらやることがないから容易に私利私欲に走る。バブル形成とバブル崩壊という戦後日本最大の経済的災厄は、「労使協調路線」と錯誤した“反労使協調路線”に基づき企業経営者がバブルに踊る愚を放置したり、政府に景気対策を求めた労働組合も責任の一端を担っている。80年代後半が、物価は安定する一方で地価と株価が急騰するという経済状況であったことを考えれば、「論理的に得るべき(得られる)利益」を捨て去った労働組合にも責任があったことがわかる。物価インフレ率と資産インフレ率の乖離は、所得分配の歪みの現象だからである)


労使の対立は、家庭内における「分配問題」と同じであり、家計収入が増加すれば夫の小遣いは増える可能性があるが、そうでなければ、現状維持か減少になるのと同じである。
(私利私欲を優先する妻であれば、夫の給料が増えても、小遣い据え置きで自分がより多く使えるようにするだろう。子供の教育費や住宅購入費そして老後を考える妻であれば、所得増加分を貯蓄に回そうとするはずだ。小遣いをもっと!と考える夫は、まずは所得を増やし、妻との闘争(説得)を通じてそれを実現しなければならない)

日本は、長期デフレ不況のなかで名目GDPを減少させてきた。
みなし家賃などの要素を考慮すれば、実際のフローとしての名目GDPは統計以上の落ち込みになっているはずである。(住宅家賃は一般財ほど低下しないから)

名目GDP(付加価値の総和:わかりやすく所得の総和と考えてもいい)が落ち込むということは、同じ数の就業者人口であれば、所得分布が同じ場合、一人当たりの所得が減少することを意味する。
名目GDPが落ち込んでも各人の所得が減少していないなら、所得機会を失った失業者が増えたことを意味する。(それは、徐々に雇用保険料の負担増につながり、就業者の所得も減少させることになる)
名目GDPが落ち込む過程でも所得を増やす人がいるのなら、否応なく名目GDPの減少率以上に所得を減少させている人がいるということである。(それが税制など国策によって起きているのなら、その理非を問題にしなければならない)

名目GDPが落ち込んでも実質ベースで成長していればいいという論もある。
しかし、巨大な固定資本を形成しそのために借り入れ金を積み上げた企業は、デフレで深刻な打撃を受ける。(その固定資本で生産した財の単価が下がれば、利払いや元本返済に支障をきたすようになる。インフレであれば、安いときに形成した固定資本で高く売れる財を生産できるようになるだから債務返済も容易になる)

名目GDPを縮小させ物価を押し下げる「デフレ不況」から脱却しない限り、日本人のほとんどが安らかな生活をおくることさえできない。(失業や老後に怯えながらの生活が安らかなものであるはずもない)

「デフレ不況」が続く限り、じりじりと経済状況(国民生活)は悪化し、対外交易環境が大きく変われば経済状況(国民生活)も大きく悪化することになる。
さらに重要な問題は、「デフレ不況」が続く限り、前向きな生産性上昇が達成できないことである。(首切りや賃下げという後ろ向きで“見掛け”だけの生産性上昇が行われるだけになる)
それは、国際競争力の相対的劣化につながり、産業国家日本の将来を根底から揺るがす大問題なのである。


断言するが、貿易収支黒字が10兆円もあり、赤字財政支出が35兆円もある日本が「デフレ不況」に陥っているのは、政府(政治家と官僚)が無能だからである。
貿易収支黒字10兆円+赤字財政支出35兆円の45兆円は、合理的な政策により、名目GDPの増加に寄与させることができる。(45兆円は名目GDPで10%に相当する)
45兆円が国内で使われない貨幣として誰かの手に留まっているか海外に流出しているから、名目GDPが縮小し、デフレも継続しているのである。

「産業主義近代の終焉」過程が、最強産業国家日本の瓦解過程につながり、国民生活の困窮と惨状につながるような悲劇であってはならないのである。

あるラインを超えて(貿易収支赤字)からあわてて手を施そうとしても、いい場合でも現状の数倍の尽力でなんとかなるというもので、米国ではない国々は普通そのまま坂道を転げ落ちていくことになる。

そのときでも、トヨタなど日本の優良多国籍企業は利益を上げ続けるだろう。
しかし、日本経済を合理的に回復させたなら、トヨタなど日本の優良多国籍企業はさらに大きな利益を上げることができる。
このようなことさえ理解できないまま日本経団連の会長職にある奥田氏は、出身企業トヨタの私利私欲さえ実現できない無能者という謗りを免れない。

日本が、経済的要因のみならず政治的にも鎖国を選択できず、「近代経済システム」の枠組のなかで組み込まれるなかで遵法的国民すべてが安らかな生活を維持していこうとしたら、「労使の論理的共通利益」を理解した上での労使闘争や政策論争が必要不可欠である。


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★ 参照投稿

『「産業主義近代」の終焉:戦後日本が豊かになったのはただ単に「より多く働くようになった」から!?』
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/490.html

『米国支配層(世界支配層)は「産業主義近代」の終焉が近いことを知っていて、その後の世界に向けて動いている。』
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/395.html

『「産業主義近代」の終焉で最大の打撃を受けるのは、世界で最も成功した産業主義国家日本である。』
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/419.html

『「産業資本主義の終焉」=「停止状態」を悲観せず「始まり」として待望した“平等私有財産制共産主義者”J・S・ミル』
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/454.html

『「産業主義近代」の終焉は、マルクスではなく、ケネーの正しさを実証する:重農主義者は「産業主義近代」の終焉を予感していた。』
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/430.html

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