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(回答先: Plan C 投稿者 きゃべつ 日時 2004 年 6 月 29 日 01:44:36)
きゃべつさん、どうもです。
興味深く読ませていただきました。
【きゃべつさん】
「 桜井章一によれば、もともと「経済自体が悪そのもの」という事である。精確に分析しようとすればこんがらがってしまうが、ようするに一言で「分捕り合戦」ということである。政治や経済が始まる前の人間は働かなくても十分に食えたということであり、現在人間は生きるために仕方なく働いて悪の道に入ることを余儀なくされているという事である。シンプルにして非常に説得力のある言葉である。
(ただ、問題はそれでこちらも悪い事をしているような気になって元気がなくなってしまう事である(笑)。)
生れた時からよく働く事が善とされてきて、働いているお父さんに感謝しなさい(→あなたもそういう人間になりなさい)という刷り込みが為されてきた我々にとっては耳の痛い話である。」
政治や経済を制度化された支配や社会的分業(利害対立的経済活動連関)と理解すれば、桜井章一さんの説明は的を射ていると思います。
余剰生産物が政治(宗教)的支配者に吸い上げられるようになってから、「分捕り合戦」と余剰の増大追求が常態化したと考えています。
【きゃべつさん】
「文明社会は、地に足の着いていなくても生きていける社会であり、非常にnarcotic(麻薬的)な契機を内包した社会である。われわれはほぼ麻薬中毒者であろう。そして気がつかないうちに、麻薬のために苦痛を感じずに生きている事を忘れてしまっている。」
自由主義経済賛美や貨幣崇拝(貨幣に力を感じそれを求める意識)は、「地に足が着いていなくても生きていける」と錯誤させています。
その錯誤が、正気であれば叫び出したくなるはずの現実を生きることに耐性や希望を与えてきました。
戦中の日本も、国家主義や鬼畜米英意識があれほどの大災厄を生き抜く糧になったはずです。
戦中の麻薬は敗戦によって切れたわけですが、すぐに、新種の麻薬が注入されました。
新種の麻薬は、「世界の需要者」=米国に支えられた自由主義を装った統制経済によって、その効果を高めていきます。
90年代中期からは経済のただならぬ状況に麻薬が醒めかけていますが、「構造改革」という新種の麻薬をあおって我が身の苦痛や苦悩を麻痺させようとしています。
苦痛や苦悩に耐えることに救いがあるという精神情況は麻薬本来の機能を超えたものですが、それにすがらなければ不安や絶望に苛まれいたたまれなくなるところまでやってきたのです。
【きゃべつさん】
「 そして現在、外見上は若者の生き血を啜るような制度が支配し、その結果若者が老人を蔑ろにし、もともと金のある老人も余生は社会云々の事を嘆くより自分の好きに生きればいいわという相互信頼のデフレスパイラルが生じている。またの名をディバイドアンドルール(分割して統治せよ)といいこれも実は彼らの策略である。勿論善良な人々はこの世にそんな悪人がいるとは思わず、居ても自分たちの想像力の範囲内だと考えているため、またそれに自分さえよければいいという私欲も加わり、相も変わらず悪人に投票を続け、なんとなく胡散臭さを直感している人間は投票を放棄している。」
濃密な経済活動の連関性・相互依存性を考えれば、「自分さえよければいいという私欲」が刹那的な救いでしかなくロシアンルーレットを続けることが明瞭であるにもかかわらず、それを支えにできる庶民は正常な判断力を失っています。
(金融純資産が1億円以上ある人は、「自分さえよければいいという私欲」に合理性があります)
悪人に投票を続けるだけではなく、善人だと本人たちが固く信じている無自覚な悪人にも投票を続けています。(ともかく、与えられた選択肢から嬉々として選択する習い性は奴隷のものです。投票忌避を呼びかけているのではなく、投票を続けることで救いが達成されると考える心性を問題にしています)
【きゃべつさん】
「 そして、「国民生活の水準を下げない」為に想像力を行使することは善であるという前提に立ちたい。これは人々への麻薬の供給を絶やさないようにしようという支配者側の考えるような論理ではなく、単純に普通の人が普通に生活していける状況を作り出す事は必要であるという我々側の信念に基づいている。」
「バブルの頃は散々踊っていい思いをしたんだから、こういったツケを払うのは自然の摂理として(笑)至極当然な事だ」という理屈は、バブルでいい思いをし、バブル崩壊後も保護を受け、己の立場が当然のように課す責任さえ省みないカスの支配層が好んで語るものです。(敗戦後の「一億総懺悔」とまったく同じ支配者にあるまじき(実に支配者らしい(笑))言動です)
「単純に普通の人が普通に生活していける状況を作り出す事は必要である」とともに、作り出す事ができる条件を目にしていると思っています。
【きゃべつさん】
「 グローバリズムの破壊しようとする伝統について
特に、拝金主義的価値観を廃し、共同体主義的価値観を保ち続ける事が、未来にわたっては必要不可欠ではないかとどうしても考えてしまう。我々が普段あまり省みる事のない伝統や文化であるが、結局はこれらなしには人間は存続していけないからである。この点、支配者にとっては、伝統などは破壊してしまった方が好ましいし、アメリカの安っぽいミーイズムやヒロイズムのように都合のいい伝統的感情を作って与えた方が統制がしやすい事は彼らももう理解しているだろう。」
拝金主義が、金融主義経済として現実化されることが最悪の事態だと思っています。
この間の日本は、経済政策および税制政策で金融主義経済へと舵を切ってきました。
すぐになくせとはいいませんが、金融利得は「他者の労働ないし富」をクスね取るものという共通理解(常識化)が最低限でも必要だと考えています。
産業(資本家)の努力は曲がりなりにも同じ稼ぎで手に入れられる財の量と質を高める効能を持っていますが、金融利得は、「お金が使える人を変えるだけのもの」でしかありません。
(現在進行形の税制変更は、クスね取ったものである金融利得を、リスクを取った成果だとして、勤労所得よりも優遇しようとするものです)
伝統に関して言えば、生身の人々は歴史継承的に生きているのですから、伝統を侮蔑するものは自らの足場を崩しているのであり、自らが空虚な理念や理論に絡め取られる心性を醸成していることになります。
【きゃべつさん】
「 自立した完全なサイクルを有する地域共同体を創造するのが急務ではないか?
完全なサイクル、というのは、エネルギーを取り入れて不純物を出し元と同じ状態を保つ、という話であるが、かいつまんで言うと「衣食住」を内部で調達できるということである。住は竪穴式住居でもこの際住めれば構わない(極端だが)。衣はおそらく今は余っていてなんとか不足はしないだろう。人間は最低限衣食住があれば生存可能である。
結局問題は食になると思う。「食」が圧倒的に足りない。それを補足するためのエネルギーも足りない。これはもっともっと恐れるべき事ではないのか。食料が余ってもいないのに、グローバル経済の原則に乗っ取って中国に米やリンゴを輸出してもいいのか。真剣だ。それを買った中国人は資本家であり、代わりに金をくれるが、彼らが代わりに食料をくれるわけではないのだ。」
日本が食糧自給率30〜40%であることへの“恐怖心”が希薄すぎると思っています。
ご指摘のように、それでも飽食とも言える生活をおくっている人が多いのは、貿易収支が黒字だからです。さらに言えば、対日食糧輸出国が余剰農産物を生産しているからです。(なかには、自国民のなかに満足な食生活ができていない国も対日食糧輸出をしています)
人が最後にこだわるのは生存です。生き続けることができてこそ、快楽や精神的充足も果たせるものです。
これは、自動車は国内購入者を割り当て制にして輸出に回すことはできても、食糧は自国優先で扱われることを示唆しています。
中国の対日食糧輸出を増加させていますが、中国の経済成長が進んでいけば、13億人もいる中国人の食生活も豊かになっていくことは、日本の“伝統”(歴史)に照らしてもわかります。(今は、外貨獲得やより高値で売れるから対日輸出をしている)
生存条件を外国に委ねている国の支配層は、どんな言い訳をしようとも亡国の輩です。
それが自動車を1台でも多く輸出したいための政策であるとしたら、悲劇を通り越して喜劇になります。
必需品→利便品→奢侈品という財の優先度さえ理解できない支配者が、経世済民を達成できるはずもありません。
失業者が増大し休耕地も拡大している今こそ、農業基盤の再生に国をあげて取り組まなければなりません。
(極端に言うと、生産した農産物をホームレスにただで配ったり廃棄するかたちであっても、将来に備えるために農業の再生に国費を投入しなければならないと考えています)
【きゃべつさん】
「 Japan Timesにこっそりと書いてあったが、CIAにより握りつぶされたDaug RandallおよびPeter Schwaltzの報告によれば地球温暖化により2020年ごろに主要国の都市が海中に没し、各地で環境の激変に伴った暴動が勃発するという事であった。これが表に出た事の真意は、もちろん見つかった振りをしてうまく人々を次の世界秩序へ先導する為の動機付けだろうが(現にアメリカでは環境ブームが煽られている)、あながち彼らもうかうかしてはいられない状況になっているのではないだろうか。悪魔は悪魔なりに物事が見えてしまうので、どうやら自分の仕掛けた近代システムで自分の首を絞めることになっているのも理解しているだろう。「彼ら」やもっと下っ端の日本の官僚にとっても、野蛮な一般人に「お宅訪問」されることが一番の恐怖であろうし、日々その恐怖に怯えながら暮らしているだろうからである。地球環境の変化が不可避であればあとは頼りになるか分からない宇宙人に助けを求めるしかない。或いはこれは彼らと一般人が一緒に手を組んで問題を解決できるいい機会かもしれない。」
“彼ら”は、産業資本主義の終焉が間近であることを理解しています。
一般庶民の救いは、“彼ら”も同じ大気を吸い同じ大地で生活していることです。さらに言えば、貨幣的富に執着していても貨幣を食べているわけではないことも救いです(笑)
産業資本主義の終焉とは、産業がストレートには“彼ら”に利益をもたらさないことを意味します。
そうであるならば、“彼ら”が「天然資源を浪費し生存環境を悪化させる産業は抑制すべき」と判断するのも理に適っています。(自分の儲けにつながらない活動が自分に害を及ぼすことを許容する支配者はいないでしょう)
“彼ら”は、己の利益の為に、生産と消費を調整する政策を持ち込むと予測しています。(その下準備が、ローマクラブであり、環境保護運動だとも思っています)
そのようなことから、“彼ら”を溶かすことができるかどうかはわかりませんが、“彼ら”と話し合いたいと熱望しています。