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「生産性上昇」の評価で変節したリカード:機械の使用は労働者に有害という意見は経済学の正しい原理と一致する。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/444.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 29 日 00:37:30:Mo7ApAlflbQ6s
 


リカードは「産業主義近代の終焉」を見通していたと推察している。
リカードは、論理的帰結として利子率相当の利潤率まで利潤が下がる「定常状態」を明確に打ち出し、不吉な未来を予測する「陰鬱な科学」という烙印を押された。

オランダ出身のユダヤ人リカードは、国際金融家のインサイダーとして金融活動を行い経済学的論考も行ったと見ている。

『私は、経済学をどう読んできたか』(ロバート・L・ハイルブローナー著:中村達也/阿部司訳:ちくま学芸文庫:1500円)のリカードの項に、この間書き込みをしている「生産性の上昇」にかかわるテーマが取り上げられている。


P.205
「 リカードウの著作には最後になって一つの驚くべき進展があった。それは、ある問題をめぐる彼自身の変節である。この問題は不十分にしか理解されていないが、全般的な供給過剰が資本主義経済に周期的に起こるかもしれないということと同様に、有害となる可能性がある。その問題とは、機械化が雇用に及ぼす影響である。
 リカードウの『経済学および課税の原理』の一八一七年の初版と一八一九年の第二版には、機械化について特に述べた箇所はない。だが一八二一年の第三版では、新たに一つの章が登場する。「機械について」という章である。そこでは、次のような驚くべき主張がなされている。


 機械の使用はしばしば自分たちの利益にとって有害である、という労働階級の抱いている意見は、偏見や誤謬に基づくものではなくて、経済学の正しい原理に一致するものである。
                  ―前掲書(四五〇ページ)

 この言葉は爆弾発言と言ってしかるべきだが、実はそのような影響はなかった。次に抜粋する文章で確かめることができるが、この議論はどうも分かりにくい。しかし基本的には、「賃金基金」―賃金を支払うための現金としてかつて用いられた―を機械に投資することによって、企業は利潤を維持することができ、増やすことさえできるかもしれないが、賃金総額に充てる資本は減る、という議論になっている。リカードウは、それが資本家にとってどんな関心を生むのか、疑問を投げ掛けている。経済学者にとっても、どんな関心を生むのかとも彼は問いかけたのかもしれない。しかしその答えはと言えば、この異端の一章は見逃され、無視され、あるいは単純に忘れられ、ようやく再発見されたのは近年になって、オートメーションによる失業の問題が表面化してからのことであった。」


『私は、経済学をどう読んできたか』の著者が抜粋している『経済学および課税の原理』の「第三一章 機械について」から要点を引用する。

● 機械の利用を考察する重要性の強調

「 本章において、私は、機械が社会の異なった階級の利害におよぼす影響についての若干の研究に入るであろうが、これは非常に重要な主題であり、しかも、いまだかって、なんらかの確実なまたは満足な結論に導くようには、研究されたことがないように思われる。」(P.207)


(第三版まで取り上げなかった問題を取り上げたという背景もあるのだろうが、この問題の重要性を強く喚起している)

● リカードの従来の見解

「 私がはじめて経済学の諸問題に注意を向けたとき以来ずっと、私は、いずれかの生産部門に、労働を節約するという効果をもつような機械の充用は、全般的利益である、ただ、資本および労働を一つの用途から他の用途へ移動させるにあたって大抵の場合にともなう程度の不都合が付随するにすぎない、という意見であった。もしも地主が同額の貨幣の地代を得るものとすれば、それらの地代の支出対象である商品のうちの若干のものの価格の低落によって、利益を受けるであろう。そしてこの価格低落はかならず機械使用の結果でなければならない、と私には思われた。資本家も結局において(以前と同一の労働を需要し)、まさに同様の方法で利益を受ける、と私は考えた。・・・労働者階級も、また、同額の貨幣賃金でもって、より多くの商品を購買する資力をもつであろうから、機械の使用によって等しく利益を受ける、と私は考えた。・・・」(P.208)


(この間の日本でも時として語られる「良いデフレ」論と同じ説明である。機械を導入して生産性が上昇することで、物価が下がり、同じ給料や金融利得でもより多くの財が手に入るのだから“みんなハッピー”という理解である)


● リカードが変節した契機

「 以上が私の意見であった。そしてそれは、地主と資本家にかんするかぎりは、引き続き変わってはいない。しかし、いま私は、機械を人間労働に代用することは、労働者階級の利益にとってしばしばはなはだ有害である、と確信するにいたっている。
 私の誤解は、社会の純所得が増加するときにはいつでも、その総所得もまた増加するであろう、という想定から起こった。しかしながら、私には、いまは、地主および資本家が彼らの収入を引き出す一方の基金は増加するとしても、それにたいして、労働階級が主として依存する他方の基金は減少することがありうる、とうことを納得すべき理由がわかっている。それゆえに、もしも、私が正しいのならば、その国の純収入を増加させうるのと同じ原因が、同時に人口を過剰にし、そして労働者の状態を悪化させることがありうる、ということが当然起こるのである。」(P.208)


(えらく慎重で持って回った説明で見方が変わった理由を書いている。リカードの機械に関する理論が“失念”されていったわけは、「地主と資本家にかんするかぎりは、引き続き変わってはいない」というご託宣があるからだろうと推測する。“なあ〜んだ、俺たちには害はないんじゃないか。どっちみち労働者とは対立しているんだから放っておけ”という感じであろう。「その国の純収入を増加させうるのと同じ原因」というのは、生産性の上昇で輸出が増加することを意味する。リカードの“難点”は、生産性の上昇が輸出の増加につながらなければ、労働者だけではなく、資本家も、そして地主にも、状態の悪化が押し寄せることを説明していないことである)


● リカードの論証

「 ある資本家が二万ポンドの価値の資本を使用し、そして彼は農業者と必需品製造業との業務を兼営するものと、想定しよう。さらに、この資本のうち七〇〇〇ポンドは固定資本、すなわち、建物、器具、等々に投下され、残りの一万三〇〇〇ポンドは流動資本として労働の維持に使用されるものと、想定しよう。また、利潤は一〇パーセントであり、その結果として、この資本家の資本は毎年その本来の効率状態に復せられて、なお二〇〇〇ポンドの利潤を生ずるものと、想定しよう。」(P.209)

(使用資本総額が2万ポンド、そのうち、固定資本が7千ポンドで流動資本が1万3千ポンドという想定は問題がないが、活動の結果である利潤を10%と想定するのは犯罪的で大問題である)


「 毎年この資本家は、一万三〇〇〇ポンドの価値をもつ食物および必需品を所有することによって、彼の作業を開始し、その全部を、彼はその一年の間に、その額の貨幣にたいして彼自身の労働者に販売する。そして、同一期間中に、彼は彼らに同額の貨幣を賃金として支払う。その年度末に、労働者は一万五〇〇〇ポンドの価値をもつ食物および必需品を彼の所有に戻すが、そのうち二〇〇〇ポンドは、彼が自らこれを消費するか、あるいは彼の快楽および満足にもっともよく適するように処分する。これらの生産物にかんするかぎり、その年の総生産物は一万五〇〇〇ポンドであり、そして純生産物は二〇〇〇ポンドである。」(P.209)

(知的犯罪として10%の利潤を想定したために、労働者は、2千ポンドの利潤を加えた価額である1万5千ポンドの財を生産し、資本家は2千ポンドを我が物にできたという話になっている。この企業しか存在しないのなら、2千ポンド分の財は輸出で稼いだと考えるのが妥当である。稼いだ2千ポンドを使うことで、彼の快楽および満足に対応する“業種”が発生し、そこで働く人たちがこの企業の需要者にもなる。利潤である2千ポンドを“純生産物”と考えているのは当然のことだが面白い)


「いま次年度に、この資本家は彼の労働者の半数を機械の建造のために雇用し、そして他の半数を相変わらず食物および必需品の生産のために雇用すると仮定しよう。その年度中に、彼は相変わらず一万三〇〇〇ポンドの額を賃金として支払い、そして彼の労働者に食物および必需品を同額だけ販売するであろう。」


(おいおい、リカードよ、「彼の労働者に食物および必需品を同額だけ販売する」はおかしな説明だろ!半数の労働者しか食物および必需品の生産に従事していないのだから、1万3千ポンドの金額だとしても、販売した(できる)食物および必需品は昨年の半分になっているはずだから、昨年の2倍の価格で食物および必需品を売ったということになる。もしも、昨年の販売量が労働者の家族全体の生存に必要な量でしかなかったときには、飢え死にしないとしてもまともに働けなくなる。労働者が貰った賃金で他から食物および必需品を購入したのなら、資本家は、利潤どころか、6500ポンドの損失を被ることになる)


「しかし、その次の年度にどうなるであろうか?
 機械が製造されている間は、食物および必需品は平常の分量の半分しか取得されないであろう。そしてこれらは以前に生産された分量の半分の価値しかもたないであろう。機械は七五〇〇ポンドの値打をもち、食物および必需品は七五〇〇ポンドの値打をもつであろう。それゆえに、この資本家の資本は以前と同じ大きさであろう。というのは、彼はこれらの二つの価値のほかに、七〇〇〇ポンドの値打のある彼の固定資本をもっていて、全体として、二万ポンドを資本とし、二〇〇〇ポンドを利潤とするだろうからである。その後のほうの額を彼自身の支出のために控除すれば、そのあと彼が次の作業を営むために用いる流動資本としては、彼は五五〇〇ポンドしかもたないであろう。それゆえに、彼の労働雇用のための資力は、一万三〇〇〇ポンド対五五〇〇ポンドの割合で引き下げられるであろう。その結果として、以前に七五〇〇ポンドでもって雇用されていたすべての労働は過剰となるであろう。」(P.210)


(リカードは大胆にも、想定した10%の利潤を確実にするため、資本家が自分のところで使う機械の価値に二〇〇〇ポンドを上乗せしている。ということは、資本家は彼の快楽および満足を充足できないことを意味する。一つ前の段落と合わせて考えれば、6500ポンドが社外に流出し、その代わりに機械が手に入ったと考えたほうがすっきりする。「以前に七五〇〇ポンドでもって雇用されていたすべての労働」の7500ポンドは、普通に考えれば6500ポンドであろう)


「 この資本家が雇用しうる削減された労働量は、なるほど、機械の助けによって、そしてその修繕費をさし引いた後に、七五〇〇ポンドに等しい価値を生産しなければならない。すなわち、それは全資本にたいする二〇〇〇ポンドの利潤を加えて流動資本を回収しなければならない。しかし、もしもこのことが実現されるならば、すなわち、もしも純所得が減少しないならば、総所得が三〇〇〇ポンドの価値をもとうと、一万ポンドの価値をもとうと、あるいは一万五〇〇〇ポンドの価値をもとうと、それはこの資本家にとってどんな重要性があろうか?」(P.210)


(投下総資本の10%である2000ポンドの利潤を上げれるなら、その方法を問うことは意味がないだろうという話である)


「 そうしてみると、この場合に、純生産物の価値は減少せず、その商品購買力は大いに増加しうるにもかかわらず、純生産物は一万五〇〇〇ポンドの価値から七五〇〇ポンドの価値に下落したであろう。そして人口を維持し、労働を雇用する力は、つねに一国民の総生産物に依存するのであって、その純生産物に依存するのではないから、必然的に労働にたいする需要の減少が起こり、人口は過剰となり、そして労働階級の境遇は困窮と貧困とのそれになるであろう。」(P.211)


(純生産物は利潤と考え、総生産物は売上と考えるとわかりやすい。要は、生産性が上昇したのなら、それまでの労働者と同じ数を雇用できる程度の販売量増加を実現しなければ、不要となった労働者は困窮と貧困に見舞われるという説明である)


「 しかしながら、資本を増加させるために収入から貯蓄する力は、純収入が資本家の欲望を満たす効率に依存するにちがいないから、機械採用の結果である商品の価格低落のために、同一の欲望をもつかぎり、彼の貯蓄資力は増大する―すなわち、収入を資本に転化させる便宜が増大する、という結果がかならず起こるであろう。しかも、資本が増大するたびごとに、彼はより多くの労働者を雇用するであろう。」(P.211)


(生活&遊興費が安くなるので同じ利潤であっても貯蓄ができるので、投下資本の追加が行われ、雇用される労働者も増えるという説明である。しかし、それは、販売量の増加を実現できるならば、になるはずである)


「 私が証明したいと思うことのすべては、機械の発明および使用は総生産物の減少を伴うことがあるであろう、ということである。そしてこれが事実である場合はいつでも、それは労働階級にとって有害であろう。というのは、彼らのうち何人かが解雇され、そして人口がそれを雇用すべき基金(fund)に比較して過剰になるだろうからである。・・・」(P.212)

(後から雇用は回復するとしても、生産性が上昇した直後は解雇が行われるから有害という認識である)

「 私が試みた論述が、機械は奨励されてはならない、との推論に導かないであろうことを、私は希望する。原理を解明するために、私は、改良された機械が突然に発明され、そして広範に使用されるものと、仮定してきた。しかし、実を言えば、これらの発明が漸次的であり、そして資本をその現用途から帆かに転用するという結果を生じるよりも、むしろ、貯蓄され蓄積された資本の用途を決定するという結果を生じるのである。」(P.212)


(最後は必死のエクスキューズである(笑)。いろいろ言い訳を書いているが、それまでの“一時的”にあると考えている労働者の困窮化は払拭されていない。何より問題にしたい点は、「貯蓄され蓄積された資本の用途を決定する」のは、新しい機械ができたからではなく、そうしても利潤が得られると判断したときであるということである。新しい機械を導入することで利潤が減少するのなら、「貯蓄され蓄積された資本」はそのまま退蔵される)


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