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「利息取得や土地私有の廃絶は「金利取得者」や「地代取得者」の道を素直に悪だと判断する人が多数派にならない限り実現できない」
とのことなので、なぜそのような判断が多数派にならないのか?を考えてみたい。
ひとつは、自分も頑張れば、そのような立場になれると思っているからでしょう。
実際に世の中では、そのような「サクセスストーリー」が数多く、語られております。
「宝くじで3億円当たった」「会社を設立して、大成功し、株式公開で億万長者になった」などなどです。
ゆえに、自分も「現状のシステムに疑義を呈し、その変更を求める」ような非現実的で空想的な活動に身を投じるよりは、
「現状のシステムで、成功者になるべく努力する」方が健全な考え方であると思い、かつ、まだ実現可能性が高いので
その方向で頑張って生きて行こうとしているのでしょう。
もうひとつは、現状のシステムに疑義を持つことなど、考えたことすらないというものです。
「金利」が有るのは当たり前。「地代」が有るのは当たり前。そのことに何か問題点なんかあるの?
というものです。(わたしが、阿修羅で、あっしらさんの投稿を読むまでは、そうだったので、
このような人間が居ることだけは、間違いない)(笑)
そして、わたしは、このような人間が多数派だと思っています。
それは、「学校教育」や「マスコミ報道」が、前段のサクセスストーリーを目指す考え方ばかりを
取り上げ・啓蒙して、「金利」「地代」が持つ問題点など、触れることすらしないのですから、
仕方がないことだと思っています。
わたしは、サクセスストーリーを目指す生き方自体は、それはそれで素晴らしいものであり尊重もしますが、
それが、それ以外の考え方や情報を与えられた上で、なおかつ、そういう生き方を選択する者が多数なのであれば、
自分の価値観の方が「特殊なんだな」「少数派だったんだな」と納得も出来るのですが、
平等な判断材料が与えられていない現状では、本当は、「現状のシステム変更を求める」方が健全であり
多数派の考え方になるんじゃないの?と思ってしまいます。
「一部の成功者が総取りするシステム」と「多くの人間が少しずつでも楽に生きていける方向に進むシステム」の
どちらが良いのか?を、平等な判断材料が多く提示された上で、全体に問える段階が、早く訪れることを
願っております。
その時、わたしは、もちろん、「多くの人間が少しずつでも楽に生きていける方向に進むシステム」の方が
多数派になり、利息取得や土地私有の廃絶が、当然の論理として選択されるものと信じています。