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政治思想家ハンナ・アレント女史は、革命の成功例としてアメリカ独立革命を取り上げ、失敗例としてフランス革命を糾弾しております。以下、その論点を自分なりに整理してみたいと思います。
○真の革命とは伝統との断絶ではない(『革命について』ちくま学芸文庫より)
【以前確立されたある地点に回転しながら戻る運動、つまり、予定された秩序に回転しながら立ち戻る運動】
もともとrevolutionとは、天体の運動に使われた言葉であったといいます。そして、その言葉が人間の世界に最初に応用されたのは、フランス革命ではなくイギリスの名誉革命であったとのことです。つまり、本来の革命の意味は、フランス革命によって典型的に示された社会改革(社会問題を政治が解決する)ではなかったということです。それは、明らかに「本来あるべき姿」から外れてしまったものを、“元に戻す”ことに他なりません。
○革命の目的は「自由な政体」を樹立することにある。(同上)
【ほとんどのいわゆる革命が自由の構成(constitutio libertatis)を達成するどころか、市民的権利と市民的自由の憲法上の保障や「制限された政府」の恩恵さえ生み出すことができないでいるというのは、まったく真実であり、実際、悲しむべき事実である。むろん議論の余地のないことだが、他国民とその政府を扱うばあい、暴政と制限された立憲的政府との距離は、制限された政府と自由との距離と同じか、おそらくそれ以上に大きいということを念頭に置かなければならない】
アレントは、統治形態として、@「自由の構成(constitutio libertatis)」を達成した政府、A市民的権利を保障することをその目的とする立憲的政府、市民的権利さえも保障できない暴政府を挙げ、アメリカ独立革命は@を達成したが、フランス革命・ロシア革命に代表される近代の諸革命はBに属するとしています。@は、構成員自らが政治的自由をもっている状態(統治参加者)であり、Aはいわゆる「立憲主義」でありましょう。
○「制限君主」→アメリカ合衆国、「絶対君主」→革命フランス(同上)
【歴史的にいえば、アメリカ革命とフランス革命のもっとも明白で、最も決定的な相違は、アメリカ革命の受け継いだ歴史的遺産が「制限君主制」であったのにたいして、フランス革命のそれは、明らかに、われわれの時代の最初の数世紀とローマ帝国の最後の数世紀にまで遠くさかのぼる絶対主義だったということである。実際、革命は、それが打倒する統治形態によって前もって決定されるということくらい当然なことはないように見える。したがって、新しい絶対者たる絶対革命を、それに先行する絶対君主政によって説明し、旧支配者が絶対的であればあるほど、それによって代わる革命も絶対的となるという結論を下すことくらい真実らしく思われることはない。十八世紀のフランス革命と、それをモデルにした二十世紀のロシア革命は、この真実らしさの一連の表現であると考えられることは容易であろう】
絶対君主を打倒した民衆が、その打倒した君主と同じように絶対的権力を振るうとしたら、はたして打倒した側に正義があるのでしょうか?歴史は「君主制」から「共和制」に向かって進歩していると考えるならば、絶対君主よりは絶対民衆のほうがまだ“まし”なのかもしれません。だが、アメリカ革命においては旧秩序を破壊することなく「民主的」な「政治体」を樹立した。明らかに、「旧弊を改善する」という目的と、フランス革命自体の過程とは、矛盾するもののように思われます。
○保守主義と自由主義とは、アメリカ独立革命においては共存していた(同上)
【安定性に対する関心と新しいものの精神というこの二つの要素は、政治思想の用語法の分野で、ひとつは保守主義とされ、他は進歩的リベラリズムの占有物だと称されているように、互いに対立するようになった。この事実そのものが、われわれの損失の兆候のひとつであると認めなければならないだろう。結局、このようなイデオロギー上の分類は、すべての革命の航路とその余波のなかで生まれたイデオロギーの踏みならされた道によって馴化された自動的な思想的反応であるが、今日、これ以上に由々しく、政治的問題の理解とその有意味な論争をさまたげているものはないのである。〔中略〕革命的語彙の主たる特徴は、思いつくままに少しあげても、右翼と左翼、反動的と進歩的、保守主義と自由主義というように、いつも一組の対立物として語られている点にあるように思われる。〔中略〕革命以前には、民主主義者対貴族主義者という観念は存在しなかったのである。これらの対立が、全体として革命的経験の中にその起源をもち、最終的には、革命的経験のなかにその正当な理由をもっていることは確かであろう。しかし、問題の核心は、創設の行為のなかでは、それは相互に排他的な対立物ではなく、同じ事柄の二つの側面であったということである】
世襲的な君主が政治を執る王朝であれ、国民が間接的に統治に参加する国民国家であれ、その「政治体」を存続させようと欲するならば、「保守的」な面と「進歩的」な面とは、双方とも持ち合わせていなくてはならないということは、まったく常識的な主張であると思われます。政治学の根本問題のひとつは、「権力」と「権威」との関係であります。権力は政治に不可欠であるが、権力だけでは政治は安定しません。いかに進歩的な政府であっても、最終的な権威を必要とします。あるときは権威は権力を助け、またあるときには権力を制約します。
こうした「権力」と「権威」との関係は、ローマにおける格言に集約されている。「権力は人民にあり、されど権威は元老院にあり」ということばに感化を受けたのか、アメリカ建国の父たちは、上院に「Senate」=元老院という名を与えたのです。フランス革命においては、そうした政治学の知識に基づいた「政治体」の議論はなされなかったようです。