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「個人尊厳行きすぎて、生徒が殺し合い」 平沼前経産相 【asahi.com記事】
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/949.html
投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 6 月 15 日 00:26:03:WmYnAkBebEg4M
>個人の尊厳が行き過ぎて教室破壊が起こり、生徒同士が殺し合いをする荒廃した状況になってきている
この発言の思考回路を理解するためには、「個人の尊厳という《義》を言挙げしたので、そのたたりで教室破壊が起こった」という原始的な政治感覚を理解する必要があるでしょう。
何で《義:正しいこと》を言挙げすると世の中が乱れるかというと、《義》の言霊が人を思考停止にするからです。
その《義》に不満な政治家や官僚たちは、単に《義》に対する欲求不満で行動する・サボタージュようになる。その結果、世の中が乱れる、という按配です。
また、その《義》に共感する人々は、《義》を錦の御旗(団結軸)として集団的な団結のシンボルにしてしまいます。
それで、棒倒しのような政治状況になるわけです。《義の棒》を守ろうとする人々は固く縮こまって動かなくなる。それを《義の棒》を倒そうとする人々が攻撃する、という状況です。
そういう状況になったのは、《義:正しいこと》を言挙げしたからだ、という発想です。
いわば「『義を言うな』原理主義」の発想です。
ほかの解釈が可能でしょうか?