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(回答先: 義を言うな 投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 6 月 15 日 00:34:20)
http://now.ohah.net/pari/work/b-mirror.html
神道:日本人マインドの中核
どうして宗教というものが日本ではそのようなマイナーな世界になってしまったのか?それを考えるには日本文化の中での宗教の位置づけを、そして特に仏教伝来以前からの土俗宗教であった神道の特質を考えてみる必要があるかも知れない。
海外旅行で自分の宗教を書く必要があれば、多分大部分の日本人は仏教と書くだろう。中には無宗教と書く人もいるだろうが、神道と書く人は恐らく皆無に近いはずだ。そしてその何れの場合にも、自分が書いていることに対する驚くほどの無関心が共通していることだろう。だが日本人の思考の大枠を考えるには、やはり神道の本質に触れないわけには行かない。
神道そのものは、人間の力を超えたものを恐れ敬う素朴な信仰だったと思われる。だが、この日本古来の宗教の中核には、結論が先に見えてしまうような直感的早見えと、その直感を論理化することに対する拒否が一組になって秘められているように思う。そしてそのことの副産物、イデオロギーを持たないが故の抱擁性と、外来物を呑み込む強力なそしゃく力がよく言及される。
教義を持たない神道を象徴的に語り得る材料として、古来神道が三つの宝として大切にしてきた「三種の神器」を挙げるのが妥当だろう。神道の三種の神器、<鏡>と<曲玉>と<剣>は、古代の人たちの愛好する器物でもあったろうが、現代の私たちにしてみれば、これを「意識」、「魂」、「エネルギー」の、あるいは「直感」、「志」、「力」の象徴と考えてみる誘惑を避けられない。
<鏡>は全体を曇りなく映し出す知恵の象徴であり、これが曇ることは全体とのつながりが塞がれるという意味を持っていただろう。だがこの<鏡>の中には本来、潜在的に二つの原理が混在していたと考えられる。
一つは女性原理としての汚れなき「直感」であり、もう一つは全体を曇りなく見極める男性原理としての「理知」の目だ。ところが、神道では「直感」という女性原理だけが強調され、元々そこに含まれていたはずの「理知」の目という男性原理は、むしろ「直感」を弱める汚【けが】れとして忌み嫌われるようになった。
神道が最も忌むべきものとする汚れとは、直感の濁り、全体との通路の閉塞、許しの途絶であり、キリスト教ふうに言うなら罪そのものであっただろう。この汚れに対する忌避は、神道の中では論理に対する忌避、あるいは言語化に対する忌避に転化して行った。人間が人間の論理的努力で神の意図を推し量ることを恐れ多いものと考え、そのことを最大の傲慢、最大の汚れと考えたのだろう。その意味ではアダムとイヴの楽園追放に通ずるものがあるかも知れない。
神道:短絡した男性原理
確かに全体を「理知」の目で見極め、それを言葉によって定着することは流動的な世界を固定するような恐怖があっただろう。従って神道では、男性原理はもっぱら<曲玉>である「志」の清さと、<剣>としての「力」の表現に委ねられた。
ここに、元々政治原理として機能することの多かった神道を、「理知」という男性原理とは極めて無縁のものとしてみなす日本人の発想が定着したと思われる。
このことはまた、日本人の価値観の中に「純粋」という価値を非常に高める結果にもなった。そのような世界では、意図が純真であり、汚れがなく、一途であるなら、その意図そのもののバランス感覚とか、調和性など、換言すれば、その意図そのものの愚かさは許されたのである。
そのような世界の中では自らの意図を極めて論理的に理詰めで証明し、主張しようとすることは忌避の対象にしかならなかった。鹿児島弁に「義を言うな」という表現があると聞いたことがある。男子たる者、理屈を言ってはいけない、弁解してはいけない、それは男子たる者の美学に反する、という意味だと聞いた。
大なり小なり、このような美学が日本にはあった。それが理詰めの主張を忌避し、逆にその志しの純真さ、汚れのなさ、幼児的とも言い得る一途さが無批判に称揚される面があった。神道で大切にされる言霊(コトダマ)は、論理の言葉、理知の言葉であるよりは、志しの清らかさを強調した、むしろ呪文(マントラ)に似た言葉だった。
もともと宗教は女性的な、直感的一体感を根拠とするものではあったが、それを男性の論理が侵食して行った一神教の世界とは異なり、神道の世界では、直感が純粋に直感であり続けることが尊ばれ、それを論理化しようとする男性原理はどこまでも排除されることになった。「直感」という女性原理、右脳的世界とバランスを取るべき男性原理は、必ずしも左脳的働き、「理知」、論理のエネルギーと結びつかず、むしろ<剣>に象徴されるような物質次元での荒々しい勢い、純粋で盲目的なエネルギー表現として男性的側面を表現することになった。日本で最も神道の世界と深く結びついた社会的分野に、政治家、企業家の他に、「ヤクザ」の世界があるのはそのためだろう。
神道的世界には、非常に純度の高い直感が、非常に盲目的な暴力的エネルギー表現と短絡するような側面が最初からあったと考えられる。つまり、直感を論理的に、かつ組織的に形成して行くような理知的な男性原理を中に抱擁していなかったのだ。
このことが逆に、中国あるいは西洋からの外来文化を無差別的に取り入れることを可能にし、そのことで自らのバックボーンを変更する必要はなかったのだと考えられる。日本には西洋で言うところのバックボーンに当たるものがなかった、とも言える。
割れた「鏡」
和尚は、「反逆そのものが、日本ではまだ知られていない」と言う。日本人の意識は、無垢な純真さでまっしぐらに天空に向けて駆け昇ることを目指したろうが、全体をありありと映し出す冷静な「理知」の目と、その目を維持する勇気は育まなかった。
おそらく初陣に出かける息子を送り出す母親のような存在がそこにはあって、純粋でまっしぐらな志しが走り出す方向を、その母親が与えていたのかも知れない。その女性原理としての<母親>はあくまでも、現状が機能すること、現状が運転し続けることを至上の命題としただろう。かくて日本人の最も重要な価値観は、一見不動と見える世界の中での「現状維持」の価値観、「和」の価値観となったと思われる。
大和魂とは何だろうか?一言で言えば、それは私心のなさ、疑うことのない純真な心で共同体内で是認される方向に進むということだろう。言ってみれば、それは自動車がピュアーガソリンを燃やしているということだ。その自動車がどこを向いているかは問題にされていない。純粋とは何を意味するか? それは前もって理知的に考えられた合理性、損得勘定がないということだ。ではその動機の方向はどこで決まるか? いわば世間教とも言える日本人の価値観「和」の中で決まる動機、社会の諸機能を加速する方向での動機であることは間違いない。
大和魂の日本人は、大東亜戦争で負けて痛烈に物質文明の価値観を学んだ。それを超越すべきものとしてというより、むしろ獲得すべきものとして学んだと言える。
物質的富ということになれば、現代日本は一番手ではないまでもかなりの水準に達したことは間違いない。だがいったんその目標らしきものに間近まで来てみれば、物質的富の北極を目指してひたすら北進してきた方向感覚はどうしようもなく散乱する。この先何処へ向かって行けばいいのか、前進か、後退か?目前に近づいた目標は、ただただそれが仮の目標、取りあえずの架空の地点だったことを暴露するだけだ。
ここで初めて、これまで充分に機能してきた神道の根本的な価値観、「和」の価値観は失速する。ひたすら現状を上手く機能させることだけを目当てに維持促進されてきた「和」という価値観は、機能すること自体の方向性が問題になるとき、その方向を新たに創出する種子を中に持たないからだ。
いま日本が、いやあるいは地球が、死ぬほど求めているものは左脳原理と右脳原理が共振するようなビジョンだ。
生の規範、その原理の創造に参与することを拒否された日本人の左脳は、もっぱら物質文明への加速原理として機能してきた。日本人の優秀な頭脳はひたすら西洋文明を追いかける科学的マインドとして、あるいは日本を上手く動かす政治的マインドとして機能してきた。この分野は充分に広く、工業的マインドも、商業的マインドも、政治的マインドも吸収し続けた。しかも日本人は勤勉だ。
だがこのように優秀な日本人の左脳は、日本人の意識的な価値観の建設に参与していない。日本人が神道に関係を持つのは正月の初詣と、七五三と結婚式だけであり、日常の意識的価値観とはまったく無縁だった。当人自身、自分は宗教とは何の関係もないと思ってさえいるかも知れない。そして左脳的に優秀であればあるほど、そのマインドは日本人の右脳原理を意識化することはなく、あまりにも意識の表面から離れた裏側の大きなソフトとして機能することを許したと言わなければならない。
つまり左脳として優秀なマインドは、無論理な宗教の世界を、いわば弱者の世界であるかのように笑いながら、実際上は「和」の原理の中で最も効率よく機能することになった。それは物質文明に出会う前も、それに痛烈に出会って衝撃を受けた後も、本質的には何の変化もなかったと言える。
何のために誰がどこに向かっているのかの方向指示器は、日本人の場合は個々人の中に備え付けられているのではなく、集団社会を形成している根拠としての女性原理、組織が機能するという至上命題に沿った「和」の原理の中にはめ込まれており、その「和」の原理が指示する実際の方向は、その時々の「空気」によって決定された。
日本人はそれに大枠をはめて、イデオロギー化することを恐れたのだ。西洋世界は何らかの外在化された行動規範をバックボーンとして持っていたが、日本人の場合は自らの行動規範を自ら意識することを嫌った。