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(回答先: 地球の富は地球人全体の富です 投稿者 縄文ビト 日時 2004 年 6 月 11 日 09:57:34)
縄文ビトさん論戦でお忙しい最中、私の主張へのご返信頂き非常にありがたく思っております。
概ねその主張を理解することができたものと思い、おっしゃる通りと私も思っております。
すべては一般的ではなく独創的なもので、その論理に至った縄文ビトさんの発想に素直に感服し、素晴らしいものと受け止めております。
一般的に非現実的な空想的な話ということで、私の考えもお聞き下さい。(補足的・同調的なものだと思っております)
私の考える理想的な社会とは、所有つまり私有化という概念を無くした世界だと思っております。(これは俗に言う共産国的なものではありません。)
これは、労働に限ったものではなく、土地、家、通貨、情報、資源、地球、人間関係等、ありとあらゆる、つまり地球にある全てのものから「所有」という概念を取り払った社会です。
そして所有ではなく、すべては維持管理している状態が理想的だと考えます。
そして維持管理をする者、つまり多くのものへ尽くす(労働する)もの程、エリートであることが望まれると思います。
現実的な言い方をすると、今の末端で働く者や、ボランティアのような労働をしている者等、多くのものへ直接貢献されている方々が通貨をより多く得るのが一番理想的な社会と思っております。つまり多くの者に尽くさない、多くの者の自由を奪い拘束するもの程、通貨を得ることは難しいといった社会です。
そして自由な選択の許される社会です。
それらの維持管理をしないのも自由であり、何もしないのも自由である社会。でも充分に生活できるように資源なり食料なり生活する(生きていく)最低限の権利が守られる社会であると思います。
世界は実は、多くの人が何もしなくても充分なほどに、生活できるものは、行き渡るようにあると思っております。
いま「足りない」のは、ごく一部の者が足りない足りないと際限なく独り占めしているからではないでしょうか。
どこまでいっても必要だと、切りが無く財をかき集める社会が、現在の我々の社会ではないでしょうか。
これを言うと返ってくる言葉が分かります。「それでは文明は進化しないのでは」と。
これについての私の考えはありますが、とりあえずは省略致します。
また労働と言う意味においては、人間関係の所有もやめるべきでしょう。
それは労働と呼ばれるものに限らず家族や夫婦関係に至るまで、所有という概念をやめるべきだと思います。
所有というものではなく、夫婦で言えば結婚という制度にこだわらずパートナーであり、家族であれば維持管理者・パートナーであると。
あたり前の様に思われるかもしれませんが、現実にはあたり前ではなく、殆どが所有という概念で縛られております。
親が子を殺すのも、実は所有的概念です。すべての殺人は所有的概念です。
「自分の思い通りにしたい」→「自分の思い通りになるはず」→「物」→「所有」。
これら述べてきた以外にも私の信じる理想的な社会の在り方というものはありますが、私有化という概念においての理想的な社会とは、とりあえずこのような感じです。
>他者の労働を私有化する行為を善とみなす論理を構築できますか?
については、私有化をやめる方が理想的であると言っておりますので、否定することはできても同調するという論理を構築することはできません。
ただし別の問題になるのかもしれませんが、それを善悪と定義することへの問題を論理することはできるかもしれません。
ありがとうございました。