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(回答先: 小魚骨さん最初の出会いの続きがありましたので。 投稿者 縄文ビト 日時 2004 年 6 月 08 日 07:26:01)
あなたがご自身の内に「世界」を築きそれを他の人に説明する力を持っていることは確認できていますが、あなたは、他の人の言説を通じてその人の「世界」を理解しようとする誠実な態度は希薄だと思っています。
(ご自身の内に「世界」を築きそれを言語的に表現する力をお持ちなのですから、他の人の言説を真摯に理解しようとしたらできないはずはないと思っています)
あなたの対応ぶりを読んでいると、自我(内なる「世界」)を築き、それを矛として世界やひとの「世界」を裁断しようとする中学生の姿が頭に浮かびます。
(知識の量や言説の広がりではなく、あくまでも態度に関しての話です)
それまでの過程はともかく、「そろそろ終わりということで...」( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/162.html )で呈した疑義に何ら応えることなく、枠内とは言え、最初に戻る内容のスレッドを立てられたことにも疑念を持っています。
まともに対応していただけていれば、やり取りを継続するつもりでした。
【宮台発言録】
「人間とは誰か?ということ。これを先見的に答えることができない。事実性を超えることはできない。いつも誰が人間なのかは事実性でしかない。」
生物学や歴史そして諸科学を持ち出されて、「そこから人間とは誰だというかたちのものでは俎板上に載せてもすでに人間が特定されていることからこれらのメスを使って調べることはできないわけです。あくまでも人間を調べる形のものを俎板上に載せるとしたらそれは「人間とは何か」が奥が深く調べるには適切な言葉だということができます。」と説明され、「「人間とは誰だ」という言葉は、次に来るものが先見的に答えることができなといったときそこには哲学があるということですから。そして「人間とは誰だ」ということも深さを感じることはできないと考えます。そこから哲学的には「人間とは何か」しか言葉がないようですが。」と結論付けています。
ローティ氏や宮台氏が、あなたが言われているようなことを知らないまま「人間とは誰か?」という問題を提起しているとお考えですか?
私は、ローティ氏は未知なのでわかりませんが、少しは知っている宮台氏は、当然のようにそれらをわかった上で「人間とは誰か?」という問題を提起したと受け止めています。
少なくとも、私が「奇妙な要求はしないようにしましょう。」( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/124.html )で書いた程度のことは踏まえた上で発した問いだと推測しています。
「そこから哲学的には「人間とは何か」しか言葉がないようですが」と言われるのなら、「奇妙な要求はしないようにしましょう。」で哲学的意味もあると書いた私の内容くらいはきちんと批判してください。
「人間」という言葉そのものが、現実に存在するものを指すのか、ある存在者たちを抽象した概念なのか、ある存在属性をもつものの名なのかなどの問いを誘います。
言わば、「人間という言葉とは何を意味するのか」という問いから始めなければならない問題です。
さらに言えば、「人間」とは、個別的な人を指すのか、国家社会内存在としての人々を指すのかという問いもあります。
先験的に「人間とは何か」とは言えないし問えないのです。
このような意味でも、「人間とは誰か」という問いは、人間中心主義的世界観・価値観が広まっていながら“非人間主義”的現実が横行している自己矛盾的現在において哲学的意味があると思っています。
>また宮台信司・仲正昌樹トークセッション〜「共同体と自己決定」〜発言録で宮台氏
>が発言している部分ですが、はっきり言って反発を感じます。
「宮台
・リベラリズムというのははっきり言えばウソ思想。インチキ思想。
・なにゆえウソ思想かといえば、私が言うまでもなくローティが言っているが、バウンダリー(境界)問題。ローティは「誰が『人間』か問題」と言っている。
・「人間」とは誰か?ということ。これを先験的に答えることができない、事実性を超えることができない。いつも誰が人間なのかは事実性でしかない。
・しかし、だが「しかし」が重要。
・この社会が成り立つために制度が成り立つためにどんなウソが必要なのか考えるのが社会科学者の社会学者の本分・本義。
・アメリカの限界に対処するにアメリカの徹底をもってするほかなく、ウソの限界を突破するにウソの徹底をもってするしかない。」
>上記の文章は宮台氏が発言しているところです。非常に抽象的であり、独断的である
>としかいいようがありません。
引用された内容は、Q太郎さんの転載の文章のなかに【発言概要メモ】とあるようにある参加者がまとめたものでしかありません。
「おかしな決めつけをする前にご自身で内容を確認してみたら如何ですか?」( http://www.asyura2.com/0403/idletalk9/msg/815.html )で書いたように、まず、ローティがどういう脈絡で「誰が『人間』か問題」と言っているのか確認されたらどうですか?
>何が独断的かをここであげてみますと、
「・リベラリズムというのははっきり言えばウソ思想。インチキ思想。」
>リベラル(自由主義)という意味をご存知かと思いますが、広辞苑によると17世紀
>〜18世紀に封建制・専制政治に反対し表れた思想および運動。政治上は政府の交替
>を含む自由な議会制度を主張。個人の思想・言論の自由・信教の自由を擁護するもの
>である。
>このように出てきます。何ゆえにこれがウソ思想でありいんちき思想なのかは説明し
>ておりません。
「人間とは誰か?」という問いが有効だと考えている人なら、人権(人間の権利)思想を基礎にしたリベラリズムが「ウソ思想。インチキ思想。」という判断に結びつくのはそれほど困難ではない論理的結末です。
「人間とは誰か?」が曖昧なまま、人権なるものを根拠にリベラリズムを語るのは「ウソ思想。インチキ思想。」であるという論理構造です。
【宮台氏】
「この社会が成り立つために制度が成り立つためにどんなウソが必要なのか考えるのが社会科学者の社会学者の本分・本義。」
>小魚骨さんこんな文章もあるんですよ。社会科学者の本分・本業とはウソをつくこと
>だといっているのですよ。
誤読だと思いますよ。
「この社会が成り立つために制度が成り立つためにどんなウソが必要なのか考える」のが社会学者の本分だと言っているだけで、嘘を吐くことが本分だとは言っていませんよ。
あなたが言われる「人が人を使って利潤を得てもいいという権利」が、ある地域共同体(国家)の祭祀階級の嘘によって正当化された経緯があるのなら、“その社会が成り立つために制度が成り立つために必要なウソ”がそれだったということにつながる意味性が高い言説だと言えませんか?
【宮台氏】
「アメリカの限界に対処するにアメリカの徹底をもってするほかなく、ウソの限界を突破するにウソの徹底をもってするしかない。」
>これもウソを付くことがアメリカに勝てるという解釈なのですか。
名だたる宗教や思想が信仰の対象になったりすばらしいと絶賛される“高貴な嘘”だとすれば、宮台氏の言い分には理があるのではないですか?
(念のため、ウソだとばれるどころか、多数者からすばらしいと思われない“高貴な嘘”ではダメということは理解する必要があります)
【宮台氏】
「日本が成功した社会主義国であるがゆえに自律的相互扶助のインフラがどんどん簒奪されていくという」
>日本が成功した社会主義国。何でこんな考え方をするのか解りません。いつから日本
>が社会主義国、小泉首相ですらびっくりするのではないですか。
「社会主義」を、個人的自由主義を重視する考えではなく、国家構成員全体がそれなりの生活ができるようにすることを重視する考え方だとすれば、戦後日本は、「成功した社会主義国」と言えます。(より成功したのは西ドイツだと言えるかもしれません)
社会主義国家だと叫べば社会主義国家という見方は、自由主義を叫べば自由主義を尊重している政権、民主主義を賞賛すれば民主主義を尊重している政権と判断するのと同じ程度に皮相な見方でしかないと思っています。
それほど遡らなくとも、J・S・ミルやハイエクという自由主義者が戦後世界を評すれば、米英を含めて「社会主義に大きく侵食された国家」になるはずです。
宮台氏が「社会主義国」と「自律的相互扶助のインフラ」を対置的に語っているのは重要な視点の提起だと思っています。
>分析したらキリがありませんのでこのくらいにしておきますが、ここで言えることは
>抽象的な話し方は、受けての想像力をかき立て、一種の催眠状態に持っていけると、
>意図的に文章を組み立てているのではないかということです。だから若い人が引っか
>かってしまう(笑)
笑えるうちは幸せなのかもしれませんよ。
私はあなたのレスを読むたびに気がどんどん滅入っていますから...