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(回答先: 日本の神道は、来るべき帝国の世界宗教たりうる。 投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 6 月 06 日 02:53:15)
たけ(tk)さん こんにちは
ご意見拝見させていただきました。
ご趣旨は理解できます。
しかしながら、現実的にはあり得ないと申し上げざるを得ません。
最大の理由、それは当の日本人が「神道」という概念すら認識できていないからです。
古き良き過去を持ち出したからといって、それが現在に言えることなのでしょうか?
前にも私は書きましたが、日本人の神社参拝に深い意味などありません。
「節操がない」の一言に尽きます。「神社スタイル」と「キリスト教スタイル」の
両方で結婚式を挙げちゃう人達ですよ。基本的に信じる対象など最初からないのです。
無論日本人にも4大宗教信者及び新興宗教に入り込む人達もいます。
それは、何らかのトリガーで内発的もしくは強制的に入信する場合と、生活基盤が
揺らぐ程の大事に見舞われ、藁をも縋る想いで救いを求める場合の2つに大別されます。
が、共通して言えることは、宗教が生まれたときから普遍的にすぐ近くに存在していたのでは
ないということです。物心ついた時には当たり前のように何かを信じていたわけでは
ないのです。これが「現代の」日本人の本質です。理解していない当の日本人が、
神道を「自分のものにする」動機づけをどうお考えですか?また、理解しようにも
できないのが「現代」だと思われませんか?「感謝と畏怖」の念の対象となる「自然」を
顧みなくなったのも当の日本人ではないですか?「神道」の衰退は時代の趨勢であり、
ましてや神道を、「グローバル」の名の下に資源搾取・自然崩壊やりたい放題の輩に
広めようとは自己矛盾も甚だしいと思われます。少なくとも、脱米・脱工業化社会を
成し遂げてからの話ではないですか?
何だかんだ今のアメリカの暴走を批判したって、これまで彼らの搾取のお零れに与って
今の日本があることは否定しようがない事実です。
こういう「節操のなさ」が日本人の本質だと思います。逆に言えば「日本のよさ」は
「コテコテに凝り固まった価値観がない」ということであり、「天秤の中心」たり得る
と言えます。「最も客観的に」各国の主義・主張を見極めることが可能であることから
世界情勢のキャスティングボードを合理的に握ることを模索すべきだと考えています。