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水牛通信1980年6月16日号外(有事法制の到達点−−−−1980年光州暴動の教訓)
http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/954.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 5 月 18 日 23:11:39:0iYhrg5rK5QpI
 

有事7法が議論されていますが、阿修羅ではあまり見ません。すでに20年以上も前のできごとですが、隣国韓国のできごとからまず見てゆきたいと思います。「号外」をコピペしておきます。

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水牛通信1980年6月16日号外
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mie_y/suigyu/tushin/1980_ex.html#%88%F8%82%AB%97%F4%82%A9%82%EA%82%BD%8A%F8


人はたがやす 水牛はたがやす 稲は音もなく育つ

1980年6月16日号外
       入力 吉新隆

 光州からの二つのレポートを送ります。
「海外のみなさんへ」は外国人記者に託された英文のレポート。
「引き裂かれた旗」は韓国語で一万五千字をこえる長文の抄訳です。

海外のみなさんへ
引き裂かれた旗


海外のみなさんへ  1980年5月23日午後6時


私は現在の光州における危機的な状況について、私のつたないレポートを読まれることをみなさんに切にお願いします。私は外国人の報道者が私たちの市の悲劇の重要な光景を充分に伝えていないのではないかと恐れています。あなたたち(外国人報道者)はエルサルバドルやウガンダの状況と同様に、詳細かつ生々しく報道されているでしょうか。

私は、光州市の女性市民です。私は戒厳司令当局によって逮捕されることもいとわない決心でいますが、どうか私の安全も考慮して下さるようお願いします。

まずはじめに強調したことは、私の家族はだれも朴政権および継承者に危害を加えられていないということです。したがって、私の言葉は客観的であり真実であることを信じてください。私はここに物的証拠を示すことはできませんが、もし皆さんにテレパシーという人間の心をつなげるものがあるとしたら、皆さんが私を信ぜずにはいられないと確信しています。どうかこの手紙を信じてください。五月十八日、十九日、二十日の空挺部隊の残酷な行為はとても信じられないほどの残虐さでありました。

十九日の朝、私の父は(空挺部隊の兵士が)二階建の屋根から負傷した人々を投げ殺しているのを目撃しています。同じ頃、銀行の近くで私の母が、若いデモ参加者が棍棒で頭を叩きつぶされ、脳ずいが露出してしまった場面を目撃しています。しかしこれらはまだ残酷な行為の中でも比較的ましな方です。私は、このような死臭のただよう雰囲気のなかで、残酷な場面を写真に取られる勇気をもつ人が果たしているのだろうかと疑うくらいです。彼ら(空挺部隊)の行為があまりにも残虐で非人間的なゆえに彼らの行為は長い期間かけて洗脳され、二〜三日飢餓状態におかれ、アルコールと覚醒剤だけを飲まされたことによってなされた行為としか理解できません。

私は、幾人かの執事(教会の役員)がこのような残虐な行為は、一九五〇年の韓国動乱(朝鮮戦争)のときもなかったと発言したことが、市民感情を奮起させたと想像しています。私たちは吸血鬼集団ともいえる空挺部隊が、殺した数多くの市民の死体を焼いてかくしたと信じています。

現在の光州が学生と市民勢力によって占拠されるようになった決定的なできごとは、学生のデモ隊を運んだという理由で4人の同僚を殺された職業運転手の一団の怒りから発し、彼らの車による抵抗によって端を発しています。

私は、二十日の夜からなされた道庁前での抵抗運動を目撃しています。二十一日の午後一時ごろ、無差別の銃撃がはじまりました。十歳位の子供が撃ち殺されました。(警察署の路地で目撃)。また、クンナムホテルのコックは、働いているところを殺されました。

私は道庁舎前の広場での市民集会、示威運動に二十二日の午後七時十分まで参加しました。私は学生指導者の純粋さにショックを受けました。私は自由と民主主義がこの集会に具現化されていたことに誇りに思います。学生の指導者たちは、自分たちを北から来たスパイであるというように疑ってはならないと、私たち市民にむかって力説しました。そして、日本やアメリカの放送を聞かないこと、そして、聞いたりしたということではなく、自分自身が目撃したしたことのみを話すようにと注意していました。学生たちは「われわれは金大中という特定の個人のために闘うのではない」と言っています(彼らの当局に対する要求項目の中に、金大中という文字は一字も含まれていませんでした)。

抵抗運動の主要勢力は、全く秩序のとれた行動をとっています。たとえば、市の中央警察署は、すくなくとも三度にわたって戦車が市民を制圧するためにやって来るという極度の興奮状態のなかでさえ攻撃されませんでした。MBC放送(文化放送)局が、原因不明の火事におそわれた時に、学生たちは消火に努めていたことを、私の妹が目撃しています。

今、私たち光州市民は誇りに思っています。しかし同時に私たちは恐ろしい孤立感を味わっています。正義の学生たちは、夜がしのび寄ると寂しさをかくすことができないでいます。これは、主にマスコミの海外報道が、私たちの期待以上に弱く、皮相的なものでしかないからです。ソウルからの放送は虚偽と不誠実さに満ちているので、私たちを驚愕させました。もし報道がいまわしい検閲によるものでなかったならば、私たちの闘いはすでに成功を収めていたでありましょう。私たちは一九六〇年の4・19革命とは比較にならない悪状況のもとにさらされています。私は、いまだかつて市民の生存と自由のための抵抗がこのように不当なあつかいを受けたということを知りません。私たちはこのような危機的瞬間にもかかわらず、北韓からのスパイたちが仲間の中に浸透するのを極度に警戒しています。私たちは少数であり孤立させられています。

全斗煥将軍は、先の朴大統領とは大きく違っています。多くの国民は朴正煕の度重なる失政にもかかわらず、彼の死にあっては涙を流しました。しかし、全斗煥が打倒されるならば、ウガンダの国民がアミンから解放された時のような解放感を私たちは味わうことができるでしょう。彼(全斗煥)は吸血鬼か、さもなくば、少なくても異常な性格の持ち主だとしか思えません。もしそうでないとするならば、あのような吸血鬼集団(空挺部隊)をどうしてあやつることができるのでしょうか。私たちは全斗煥のこの先の生きる道は、海外逃亡か、さもなければ弾圧政策を強化して光州市一帯の市民の大虐殺を行うほかないであろうということを知っています。

私たちは在韓米軍の司令官がこの国における軍事行動の窮極的な命令権を持っているという理由から、米韓連合司令部が結果的に私たちの悲劇に責任があると分析しているのですが、理由のないことでしょうか。もし、全斗煥によって危害と非秩序がこの地域に再びもたらされるならば、全ての光州市民は、死者への哀悼の気持から激怒をもって武装するでありましょう。そしてアメリカの最友好国である大韓民国は崩壊の道をたどるかもしれません。そのような見通しを持つことはほんとうに恐ろしいことです。

特に私は、タイムとニューズウィークが可能なかぎりのページをさいて、光州の事態を報道してくれることを望みます。なぜならこのふたつの雑誌には多くの韓国人読者がおり、人々は検閲によってしか知らされていない事実の空白部分の大きさから、私たちの悲劇の大きさを知ることができるからです。私たちは、私たちの悲劇と現在の危機をどうしても知らさなければならない必要性を痛感しています。

私たちは、私たちの自由が私たちの手によって勝ちとらなければならないことを知っています。しかし、SOSを私たちの若き闘士たちのために千度でも訴え、祈らなければなりません。

伝えられるところによりますと、ソウルおよび他の地域から多くの学生たちが、光州地域を包囲している軍隊の戦線を幾度も継続して突破しようとして撃ち殺されたということです。

私たちはまた、死亡した兵士も私たちの同胞(はらから)であることを忘れてはいません。少数の反逆者によって、なんと大きな悲劇がもたらされてしまったのでしょう。

このことを報道してくれる人に感謝をささげると同時に幸運をお祈りいたします。

引き裂かれた旗

〈五月十九・二十日〉
ここかしこできこえてくる叫び声、悲鳴、臨終を告げる絹をさくような声、声、声……

大地は口をあけて若い魂がしぼり出した血を吸って酔いはじめている。

天はこだまする喊声で乱れ裂けている。

デモをする学生たち、街頭に立ちならんでいた市民たちは逃げる間もなく空挺特戦隊に包囲され、死力をつくして逃げまどっていた。

まさか、なにもしない良民を殺すことはないだろう。単純でおろかな信頼心を抱きながら、とにかく逃げた。あるビルにとび込んだ。私は避難者にまじって、鉄格子のシャッターの穴を通してみる外の光景から眼をそらすことはできなかった。私の胸は恐怖におののいていた。

鼓膜を破る銃声、鋭利な帯剣、鉄棒をふりまわす音、だれかの命が断ち切られる悲鳴は阿鼻叫喚を正確に説明してくれる。

逃げおくれた七十歳のおじいさんの後頭部に、空挺兵の鉄槌がくだった。老人は悲鳴をあげるひまもなく倒れた。口と頭からまっかな鮮血が噴水のように噴出した。

私はどうすればいいかを知らない。わけのわからない戦慄がはしった。身ぶるいがとまらない。となりにいた婦人が足をばたばたしていたが、そのまま棒のように倒れてしまった。

弱き者の憤怒。頼るところも訴えるところもないその弱きもののいきどおり。

二人の空挺隊員に、首に縄をかけられ犬のようにひっぱられてきた女の人は臨月に近い妊婦であった。「このあまめ、袋に何がはいっている」その女は何を言っているかさっぱりわからない様子だった。手には何も持ってなかったから。

「このあま、知らないのか? 男か、女か」となりの連れがどなりちらすのをきいて私ははじめて悟った。女の人は蚊のなくような、ことばにならないような声で「知らない」といっている様子であった。もちろん知らないだろう。

「それじゃ、わからせてやろう」彼女が抵抗する間もなく、ワンピースがひき裂かれ、肉体があらわになった。空挺兵は帯剣で彼女の大きいおなかをグサッとさした。内蔵がとび出した。彼らは再び彼女の下腹を帯剣でさして胎児をひっぱり出し、まだ動いている胎児を彼女に投げつけた。

とうてい信じられないこと、あるはずのないことが私の目の前で展開されている。いっしょに見ていた人たちは、みな身ぶるいし、歯ぎしりし、こぶしをにぎりしめて憤怒を耐えかねていた。

私は無意識のうちに神を呼んだ。「神よ、これをなんとすればよいのでしょう。この善良な血が受けとる報償は何なのでしょう。この者たちはまことにこの国の国土防衛という栄えある事業に共に参加している大韓民国の軍人なのでしょうか」抵抗することのできない自分の卑屈さをみて汚い人間の姿が確認されたとき、どれだけ自分に対して幻滅をおぼえたかしれない。

戒厳軍が過ぎ去ったあとは、鮮血と破片と汚物と憤怒が乱舞していた。

「主よ、どこに行きますか」
「私は再び十字架に釘づけされるためにローマに行く」

ローマ軍に無差別虐殺される初代キリスト教徒の死を見て逃げていく使徒ペテロにむかってイエスは語った。

神を信ずるという理由のために権力に踏みにじられ、飢えと寒さにふるえながら権力と武力の前で殺されていく彼らの命は一銭の価値もないかもしれない。ペテロをはじめ多くの使徒たちは、ローマにむかってまず彼らが十字架に釘づけられるべきだと判断を下し、逃げる足をローマにむけた。その歴史的大転換。

光州市民の民主主義と統一に対する熱望が、民衆の無差別大虐殺をほしいままにする全斗煥一派にむけて闘いの大転換をした。

歴史がうまれて以来、どの虐殺現場でも決してこころみられなかったであろう惨劇をまた見せられた。女子大生らしい三人の娘が空挺隊によって徐々に服を脱がされていた。ブラジャーとパンティまですべて引き裂かれた。兵隊の一人が軍靴の足で一人の娘のお尻をけった。「早くたちされ。このあま、今がどんな時だと思ってる。デモが何だ」怒り狂うおおかみのように吼えたてた。娘たちは動かなかった。逃げるのではなく、みな胸をだいて座りこんだ。私は彼女らが早く逃げることをどんなに祈ったかしれない。しかし彼女らは凍えついたように地面に座り込んで離れない。兵隊一人が叫んだ。「あまたち、生きたくないらしい。それじゃしようがない」瞬間、娘たちの背中には帯剣が深く刺された。鮮血の噴水がほとばしり出した。前かがみに倒れた娘たちの胸をX字に無数にさし、生死の確認もしないまま清掃車に投げこんだ。

このときであった。逃げていた市民たちの逆襲が始まったのは。市民の興奮した絶叫は転地を震撼させた。「市民よ、立ちあがれ。われわれの息子たちが殺されています。ハンマーであれ、くわ、かま、角木であれなんでも持って闘いましょう」ウワーと叫ぶ喚声とともに市民の隊列がふくれあがってきた。闘う姿勢にかわった民衆の気勢は、興奮した獅子そのものであった。

私は逃げた。一晩中銃声がひびいた。


〈五月二十一日〉
高校三年生のおいが、一晩中火炎ビンの闘いのすきをねらって帰ってきたが、すぐまたでかけようとするのを、私は無意識にとめようとした。「友達が死に、兄弟たちがみな死んでいこうとするときに、私だけが生きるためにかくれていろというのですか」おおきな声でどなりかえされたとき、自分の恥を感じ、なすすべを知らなかった。出かけるおいの後ろ姿にたのもしさを感じながら、神に無事を祈った。

血をみた学生たちと市民の心は憤怒と怨みで興奮の極に達したのであり、市内の運転手という運転手がそれぞれ車に乗ってきて、デモの群衆を乗せてカーパレードをくり広げはじめる。街路にはどこに行っても切れ目なく市民が出てデモの群衆に拍手と歓呼で激励を送り、若人はわれ先に車に乗った。高速バス、市内バス、軍用トラック、装甲車、ブルドーザー、霊柩車、将軍専用防弾車、絵でも見られないさまざまな車両数百台が動員されたのであり、アジア自動車工場の整備員数百人が飛び出して故障した車両を整備しふたたび動かした。列をつくるデモの車両にガソリンを供給するのを惜しまなかった。車両ごとに血で書かれたプラカードと、乾いていない鮮血が流れおちる車体のスローガンが市民の心を揺り動かした。「殺人鬼、全斗煥をたたき殺せ」「崔圭夏と申鉉カク(石+高)を追放せよ」「金大中氏を釈放せよ」「戒厳令を撤廃せよ」という鮮血で書いたプラカードとともにわれわれの旗は、彼らの手で彼らの車で燐らんとはためいていた。

アスファルトの上にねばりついているあの幼き者の血、道ばたに裸のまま放置された幼い少年たちの遺体を見てただ黙って見物していられようか。恐怖と戦慄の都市、破壊と殺人が乱舞する街、火の柱がいたるところで天を覆い一切の放送は中断され、ニュースが遮断された暗黒の孤島。しかし、市民たちの胸は熱かった。

民主守護のため身を捧げると起ち上がった若人の憤怒にふきあがる涙、血に染まった胸。彼らは頭に血書をしたためた鉢巻きをまき、のどが裂けんばかりに叫ぶ。愛はわれらの隣人、貧しく素朴で汚れなき子どもたち。早くも車両は女学生やおばさんたちも合流していた。叫び、叫びつづけ、のどがかれてきこえもしない声で民衆に向かって涙の訴えをする幼き子どもたちの絶叫に、私はついに泣いてしまった。車に乗れなかった市民は、われ先に握り飯をつくり、飲料水を持ってきた。食べ物、飲み物を与えるのに惜しいものは何もなかった。ある店の七十歳位の老婆は陳列してあった食物を全部そのままかき集めた。卵、パン、コーラ、牛乳、ジュースなど、あるもの全部をあげたいようだった。その箱を老婆は持ち上げられなかった。私はそれを持ち上げ、走っている車を止め、車の中に押し入れた。子どもたちの顔には、たたかって死のうという覚悟がみなぎっていた。食べ物を準備できなかった婦人たちは一様に水桶を持ってきて彼らの顔をふいてやり、水を口にそそいでやっている。一心不乱に疾走する車の間際で、危険もかえりみず、みなともに生命を捧げる血と愛の闘争であった。背中をこすりながら激励する人、薬とドリンク剤を持ってきた薬剤師たち、全身の魂をこめて拍手と激励をおくる人波、人波。


〈五月二十二日〉
催涙弾の刺激的な毒気があたり一面に充満し、目をあけては歩くことのできない熱気を帯び、廃墟と化した都市は、そのまま修羅場としかいいようがない。デモの群衆のたたかいが激烈になると、ふたたび戒厳軍の無差別発砲が加えられてきた。あちこちで悲鳴をあげて倒れていく若者たちの数をだれが数えられようか。市民は火山地帯を連想させる錦南大路通りに集まり始めた。三十万人以上と推定される巨大な人波が大通りを埋めつくし、長蛇の列をなした。話にだけにはきいていたペッパー・フォグ(こしょう弾)の威力がどんなものかをはじめて知った私は、続けざまに出るくしゃみと流れる鼻水や涙をぬぐいながら、群衆の間に割りこんで行った。

戒厳軍の銃口からはふたたび火が吹きはじめた。装甲車の上でスローガンを叫んでいた中学三年ぐらいの少年が、額と腹部から赤い血を吐きながら倒れた。群衆に向かって降りそそぐ実弾は、雨あられのように降りしきった。私の前で指導していた青年が「アイグ!」というひと声を残して倒れた。担架を用意できなかったデモ群衆は、背中に背負ったり、角材で担架をつくって患者や屍を運んだ。

銃弾を避けようと退却する群衆に押され、ある路地を曲がったところ、、そこにはもうひとつの大きな不幸が民衆を待っていた。広さ三メートルの狭い路地へ数千人が押し寄せたため、押されて踏まれ倒れた人、その上にまた覆いかぶさって踏みつけられ、五十数人の死傷者をだしてしまった。私もこれで終わりだと覚悟して目をつむったが、奇跡的に生きていた。

「市民のみなさん! 血をください。血がなくて患者が死んでいきます」学生たちはマイクを通して声をかぎりに献血を訴えてきた。あちこちで献血しようという男女が進みでた。「献血車」と血で書かれた救急車に乗せられて赤十字病院に到着した。病院に入ると、血なまぐさい臭気に吐き気をもよおした。病院の廊下や病室は患者でいっぱいで、すわって採血する空間がなかった。どうしようもなくふたたび車に乗り、他の病院に向かった。揚林洞の橋であった。集まった群衆のなかのある青年が制止したひとりの戒厳軍に石を投げた。彼はなよなよとぶっ倒れた。学生風の青年ふたりがその鉄かぶとをぬがせ、その場で頭をめった打ちにした。民衆は拍手をした。はじめての復讐をしたという彼らの顔には勝利のよろこびが波打っていた。私の胸にも彼らと同じように、戒厳軍ひとりやっつけたというそう快な興奮がこみあがってきた。


〈五月二十三日〉
光州市内のすべての戒厳軍は、外郭地に退却。道庁は市民が占拠した。デモ群衆は三十一(予備)師団、和順、松汀里(先山郡)、羅州、咸平などで武器を略奪してきた。銃が四千余丁、実弾が約五万発、手榴弾、ダイナマイトなど、十分に戒厳軍とたたかえるだけの武器を確保したということだ。重武装した軍人たちと対抗しなければ、犬死にする者の数ばかりふやす無謀さをさとり、彼らは作戦を変えたのである。

いまや彼らの手には角材と工具、シャベルと鶴はしのかわりにカービン銃、LMG小銃、手榴弾がにぎられた。

中学生の手に手榴弾がにぎられ、小学生がカービン銃をとった。

家に帰っていた子どもたちは午後にはまたもどってきた。明け方の鉄道に並んでいた死体の山を見てびっくりしてもどってきたというのだ。市外へ抜け出ようとした群衆たちが戒厳軍の銃弾に撃たれて倒れてしまったのである。

新任総理が光州に来るという報道をきいた。市民は大きな期待をかけ、道庁前に集まってきた。数十万の群衆は、熱い陽ざしの中で五時間も待った。

市民は道庁の地下室から死体をとりだして広場に並べた。忍耐と自制をもって発砲を抑制していて多くの軍警の犠牲を出したという政府の報道が、どれだけ嘘であるかを立証するために、火炎放射器によって識別もできないほどまっ黒こげになった死体を総理の前に見せてやろうというつもりだった。並べられた死体は四七五体であった。これを見た市民はまた興奮した。

総理は、市民と会って対話しようという約束を無惨に反故にし、光州には足も踏み入れないまま、ふたたびソウルに飛んでいってしまったのである。戒厳軍とだけ面談して行ってしまったのだった。「治安不在、無法の都市」「暴徒の牛耳る都市」という名を残して。

死体はふたたび地下室に戻した。

怒りにたえられず、腹から内臓が飛びだしているにもかかわらず、ある青年は血で「自由という木は血を吸って育つ」と書いていた。

〈五月二十四日〉
高空飛行してバラまくビラは、形は「呼訴文」だが、内容は欺瞞と術策でかためられた脅迫だった。

放送内容もかえって市民の感情を激化させるだけで鎮めさせることはできなかった。

「政府は忍耐と自制で発砲できず、数多くの軍警が犠牲となりました。市民のみなさんは固定間諜や暴徒らに幻惑されています。一日も早く理性をとりもどし、家に帰ってください。暴徒らと分離してください。何人かの負傷者はよく治療しています」などと図式化され硬直した嘘で市民をなだめすかそうとする「呼訴文」を握った市民たちは、憤慨せざるをえなかった。

恐怖の都市から逃避しようという戒厳軍の目をさけ、山を越え、川を渡り、市外へ抜け出ようという彼らの後姿は、戦いが吹きあれていったある敗戦国の避難民と異なるところがなかった。

現役将校たちも怒りをおさえきれず、身ぶるいしてるこのむごたらしい事態がもたらした人命被害は、デモ群衆の車両を指揮していた某大学生が伝えるところによると、射殺された人は千二百人、交通事故・銃剣などにより死んだ人は八百余人、あわせて二千余人をこえるというが、死体を確認してみない以上何ともいえない。病院をうめている負傷者が血と医薬品が足りず死んでいくという。その数字はさらにふえていくものと予測さており、ある宗教団体では、死傷者数を二十数万人と推算しているという。


 目をとじれば
 鮮かにあがる
 引き裂かれた旗
 頬には熱い涙が
 流れても流れてもあふれおつ

はじめにもどる / 水牛通信電子化計画にもどる

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