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(回答先: 阿修羅の限界 投稿者 長壁満子 日時 2004 年 5 月 14 日 09:59:02)
はじめて、レス申し上げます。
ハンガリー革命への評価や
チャウシェスク政権とのつながりに関する後始末を
申し上げるまでもなく、
長壁さんが心情的に理想をいだきかかわり続けている組織には、
パルタイとはそんなものだということもありますが
自由に
根本的に
思考を
深化するとか
転換するとか
拡大するとか
あるいは
多様多層な形で展開する
とか
そういう
レベルでの
展開の可能性が、
欠如しています。
そして基本的に長壁さんの投稿に感じるのは
<孤立>への脆弱な恐れ、
ですね。
「ユデカエル」
も、その反動でしょう。
<反国家権力>の立場をとったとき、
襲われるし、
陥るのは、
<孤立>への恐れと
その反動としての<国家>的権威へのすりよりですよね。
是非、太平洋戦争中
の日本共産党員や
特に共産党系の文学者の転向が
どのように行われたのか
丁寧に調べてみたらいいのではないですか。
蛇足ながら
「左」の「右」への転向
と同時に
「右」の「左」への転向(戦後)
が頻繁に
何の節操も無くあった日本で
左だ右だなどというレッテル貼りが殆ど
何も意味しない
生み出さないことはあきらかです。
ネット上
「右翼」と「左翼」
が対立しているかのような構図自体が無意味です。
昨日の左が今日は右
昨日の右が今日は左
これが日本の思想状況の根本にありますから。
ちなみに、小林多喜二も含め、
獄中非転向は、
現在の、日本の文学思想界の常識では
重要な転向の一形態として対象にはいっています。
しかも、
戦時中の転向は
一度目は「いやいやなかせら」
二度目は「好き好んで」
という二段階の転向で戦争推進体制に加担している
という転向概念が必要であることは、私が言うまでもないでしょう。
ところで、このように書くと、
長壁さん的には、
私のような存在は、
「ネットウヨ」
とか、逆に
「トロッキスト」
とか、
適当にレッテルを貼られるのだろうなと
思います。
たとえば、
マルクスの
資本主義に対する原理論・本質論的な分析と考察は
ポスト構造主義が
蔓延る現在においても
価値形態論
物象化・物神論のレベルで
いまだに超えられるものではいないと思います。
共産主義の運動レベルで
いまだに
レーニンの理論や思想が妥当するとおもっている方たちが
思想哲学的にはすでに棺桶に入っている
という状況がありますが、少なくとも
広松渉
の業績を知らないで
マルクスやエンゲルス、レーニン
を持ち出す
などというのは
「もう少しまめに勉強してくださいよ」
という嘲笑の対象でしかないでしょう。
長壁さんは、
広松渉
の著作を読んだことがありますか。
ま
ないならないで結構ですが。
日本の民衆の現状を
いまだに
「ユデガエル」
的な認識でしか捉えられない
長壁さん的なレベルというのは
いずれ、過去の運動の誤りが遺留した形跡のひとつとして
完璧に
<アウフヘーベン>
される必要があるでしょう。
長壁さんの今後の再生がありうるとすれば、
「前衛党が民衆をリードする」などという
糞理論から早々と脱却し
文字どおり自前で考え抜く姿勢を
構築できるか
でしょう。
頑張れ。長壁。
ですね。