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(回答先: Re: 政府とゲームするにはこちらも元締めにならないと難しいかも 投稿者 architect 日時 2004 年 5 月 13 日 01:56:36)
architectさん、レスをありがとうございます。
一庶民の立場としてどんな抵抗ができるか、あるいは民権の拡張を含めての対抗策を準備できるかということに尽きると思います。ただし、庶民大衆の義憤・公憤といったものが体制側の策謀に絡め取られてしまう傾向は如何ともし難く、これには十分警戒して掛からなければならぬでしょう。
ところで、「日本像」を描くということですが、宮本氏も指摘されていますように、現世界の在り様もしくは期待される「世界像」の考察を抜きにしてはリアルなものにはならないでしょう。そして、取り分け「世界像」の構築は、ここ阿修羅でも盛んに取りだたされている「世界経済支配層」・「ユダヤ金融資本」・「アングロサクソン・アメリカン」の世界戦略の動向を考慮に入れない限り、現実性を帯びた話には到達しないと考えます。さらに、それを踏まえての「日本像」の下絵作成ということになるかと思いますので、完成までには容易な道程ではあまりせん。もちろん、彌縫策的な素描も必要かも知れませんが、最早それでは追いつかないところまで来ているとはarchitectさんの認識にも近いものを私も持っています。
如何に現実味のある「世界像」や「日本像」を描いても、それを実現していくための当事者能力を我々自身が掌握しなければ、何時になっても現前することはないでしょう。そんな我々の手詰まりの状態をせせら嗤うかのように、為政者やそれに群がる輩は彼等とは無縁の悲惨な現実を我々に押しつけて、ひたすら自らの存続の優位性を追求していきます。
こうした時代進行によっていつ桎梏の情況が訪れるのか、またそれがどんな状態になるのか私には想像がつきません。全滅戦争という阿鼻叫喚の事態が待ち受けているのか、あるいは恰も眠るように人類の大多数が人間家畜牧場に誘導されていく時代解消的な経過を辿っていくのか、果たしてどうなのでしょうか。
最終的には、阿修羅でも検討されている“彼ら”が描く「世界像」と我々が描く「世界像」や「日本像」との擦り合せになると想いますし、その覇権をめぐって互いに肉弾相打つ実戦で切り結ぶことなどはないように切望しています。
また、会いましょう。