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(回答先: Re: 私見 投稿者 2000/12/31 日時 2004 年 4 月 29 日 13:23:27)
2000/12/31さんどうもです
前に返事を書いたのですが、書き込みを入れた場所を白亜さんのスレッドの中に入れていると白亜さんから注意をもらいましたが、わからないままに現在まで来てしまいました。
今日メールを整理していましたところ、私宛に来ていたということに気がつきました。申し訳ありませんでした。遅くなりましたが今から返事を書かせていただきます。
>私は無論者」であり、「神」という概念は「自己の価値基準や言動に
確固たる信念を持ち合わせない=つまり真に自立し得ない人間に必要な絶対的
存在」として作り出されたものと、自然の摂理の中に畏怖の念から生じた
「絶対的な力(自分にはとてもかなわないもの)」と考えられるものに大別され、
どちらも「超越的存在」を「脳の中で」拵えることにより、拠り所を求めたいという
人間の本質的な弱さが齎した「必要悪」であると考えております。
このようにいったら失礼かと思いますが若い時代でしたらこの部分にも反論ができるかと思いますが、今は、無神論の根拠を猪突猛進さんにもレスを昨日入れました、それをここにスレッドさせていただきます。
Re: 意識の前の「意志」について
http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/730.html
DP17 730 2004/5/05 14:24:16
投稿者: 鼻曲がり
猪突猛進さんレス読ませていただきました。
しばらくパソコンから離れこの連休はリフレッシュしてきました。
また時間が取れましたら有意義な勉強をさせていただきます。
読まさせていただいた限りでは私と同じ考えだと感じますが。
すべての先に「意志」があったのかということでは意志というかたちではなく私としましてはそこに「自然を置きます」
>ここで、それは「神さまですぅ!!」というのは一応無しと言うか禁止です。(^^;
という考え方にも同感です。
そして問題となるのが
>魂があるのかないのか?についてのご意見承りました。
まさに常識的で、その通りだと思いますが、そういうふうに簡単に片付けられない問題でも
ありますね、この魂(死後の意識、死後の存在)については後で・
そこが私の論点になりますが。私の死後「個別性」を持ったものとして残れるのかということになります。
「個別性」を持たなかったとしたら。何の意味もないということを理解してください。
人が、母親でもいいのですが「愛する者」を失ったとき、彼女は生前の我が子を頭の中に描き、仏壇の前に座る、もしくは愛する子が埋葬されているお墓にいき、悲嘆にくれながらも死後の世界で幸せになってくれることを祈りながら話しかけるのではないですか。つまり母親はそこに死んだわが子の「個別性」を意識しているからです。
私の「死後」または貴方の「死後」「個別性」があるという論理をどのように構築しますか?
これはすべての宗教者に問いかける問題です。
私がなぜこのように無神論にこだわるのかといいますと「人間とは何か」「人間はいかに生きるべきか」という中で。「政教分離」という政策が人間の生き方に重大な要素を持つからです。
過去の歴史を見たとき人間を支配する道具に宗教が利用されてきたのを随所に見るからです。
「政教分離」政治が宗教に介入してはならない。と同時に宗教が政治に介入してもならないという考え。これは今まで人間が犯した過去の過ちからの反省からきたものだからです。
今度は私からの問いです
1人間の死後「個別性)をもてるのかということ「個別性が)あるといったときの論理 の構築
2「政教分離」をどう考えるのかということです。
私は前に「人が人を使って利潤を得てもいいという権利、人はそれを誰に貰ったのか」という書き込みをしてきました。。
Re: マルクスの間違いは私有財産の否定だった U -間違いがありましたので訂正します http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/550.html
投稿者 鼻曲がり 日時 2004 年 2 月 20 日 13:49:08:reqgioM2ZVV6Y
そして私の出した回答は、旧石器時代(親族社会)から新石器時代(貢納社会)に移行する過程の中である一部の人間が「神」を利用して他者の労働の私有化をしだしたときから人間社会は不平等化が推し進められたと見るからです。そして現在に来てしまったと考えるからです。
猪突猛進さんは普遍的に物を考えられる方とお見受けいたしましのでこれからもお互い勉強していければと考えます。
大晦日さん、何か別のものになってしまいましたが、この問題での答えがもらえましたら私もいい勉強になりますので…若さと老い、考える視点がだいぶ違いますが現実を見る目は同じだと思います。