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民主主義とは、語源が示すように、demos(民衆)によるcracy(支配)、つまり一つの統治形態であって、もとより万能のものでないのは、古代ギリシャ以来の歴史を見れば明らかである。選挙によって独裁政権が誕生したり、民主主義というお題目を唱えながら他国に攻め込んだり、民主主義とは多数決だと衆愚政治を誇る政治屋が、ぼうふらのように湧いてくるのも不思議でない。この手合いは、自分たちは選挙によって選ばれたのだから、何を言っても何をしても構わないと勘違いしているから始末に悪い。管見によれば、歴史の知恵とは、民主主義というお題目を唱えることでなく、権力の私物化を防ぐ仕組みと努力にある。換言すれば、政権交代を容易ならしめる制度と、その重要性を認識し、適宜政権交代を実現する国民を有することである。これをもってみれば、戦後ほぼ自民党が政権を独占してきたことは、非常に問題があるといえよう。もとよりかつての自民党が、幅広く国民の利害を調整し、野党の主張をとり入れて、国政の運営にあたってきた功績を否定するものではない。しかし今日のような偏狭で傲慢な議員を多数擁する政党に成り下がったのは、長く権力の座にあったことが権力の私物化をもたらしたためとしか考えられない。イラクの人質を「反日的分子」などと呼ぶチンピラ議員が厚顔無恥をさらしているのも、この政党の末期症状を示している。それが何より恐ろしいのは、それが同時にわが国の全体主義国家への移行に重なっているためである。今日の事態を招いたのは、政権交代の意義がわかっていない我々国民のせいでもあるが、権力にすり寄る御用マスメディアや御用学者の罪は何より重いと言えよう。