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(回答先: Re: ビルダーバーグ二世よ、己の判断力の無惨を自ら公言しているようなものだぞ! 投稿者 私は現実を認識する能力は全くありません(笑) 日時 2004 年 4 月 23 日 11:07:53)
双方の意見は、自分と照らし合わせば、なおの事よく解ります。
HNに何かを惑わされると感じる人も、HNより投稿記事の中身だと考え、気にしない人もまず聴いて下さい。人だからどうしても客観的に相手が見え、そうすると相手に伝えたくなる部分がでてきます。感情がそのまま文章として出て来る場合もあります。言えばスッキリします。が、ちょっとお待ち下さい。私はそうした事を言いたいのではありません。
まずひとつ話をします。
より気持ちの通じ合う、分かりあえる関係のとしてその中でももっとも絆の強いとして「家族」がそうだといいますね。もちろん、人によっては兄弟、友人でも良いです。
そうした結びつきの強い間柄にあっても、場合によっては他人として相手を見なきゃならない機会が嫌でも訪れます。(意識していつもそう見る事が大事なのですが。)
たまさか相手の行動が気に入らないところが目につく事がある。
普段から気の疲れない相手としてそういう関係として意識している為に、または自分がどんな意見を言っても許容してくれる筈という意識が無意識に働いている為、つい軽い口を叩いてしまい相手を傷つけてしまったりする。
またこうした覚えは誰でも有るでしょう。
家族が自分の意見と違ったところで勝手に振る舞う為に自分迄もが同類のように扱われてしまう。注意しようと話したつもりが、次第に食い下がらないのでついに感情を爆発させてしまう。また自分の考えが正論であるあまり、相手が見えなくなって怒鳴りつつ喋ってしまう時がある。あくまで例えとしてだが、上司の立場(同僚でも良いが)なら一言助言のヒントを与えて、相手自ら正しい考えを導かせるべき所をついつい感情が入るとなおさら100%の力で相手を説得しようとしてしまう。横からみればそれが、逆に反発する感情を刺激してしまうようにも見える。片方の人間がねじ伏せられるように捕らえるように見えてしまう。そこで同様な意見を周りから噴出させてしまう原因ともなっているのではないだろうか。
それもしかし相手を思うあまりの事。
正しい事を伝えようとする気持ちの強さはどうしても言葉と行動に比例してしまう。
それにひとつ言える事は、なんでも腹八分、ほどほどに、と言う事なのだろうが。特にこうした肉体の無い場においての議論はそういう傾向に陥りやすい。文章にその感情のレベルが正しく乗らないからだ。だから茶化す表現も多用される。
私はその考えが正論であればあるほどその力は強いと思う。よって同時に信頼性をも感じている。
それとこういう人が居る。まず、自分は間違っていない事をしている、だから正しい事をやっていれば、他人がどう言おうとそれで良いんだ、相手がいくらこちらの言分を誤解しようと、もともとそう捕らえる者がいても仕方ない、だからもう下らないことをごちゃごちゃ、何も言わないよ、と。
これは残念ながら気づく前の私そのもので、志し半ばにして人の付き合いを放棄してしまっている人とも言える。もしくは、正しい事のようでも有るが、これは仏教者に見られるような独特の美学ともとれる。
しかし、相手に自分の気持ちを伝えないまま、どっかへ消えてしまう、というような事は、ひとつ屋根のしたの家族であればあり得ない。(もちろん家族間では、当然ここで交わされるような会話内容はないが)
家族であれば、対立する期間はあれど、いずれ鞘に納まる。
意見の食い違いはそのままにしてもなんら解決するものではなく、どちらかが歩み寄りを見せて、理解を求めなくてはならない。いや情が深ければ深められる筈だ。
いつか相手も分かってくれるだろう、とするのは単なるひとつのその場凌ぎ的、甘えの裏返し。その淡い期待は消えずにいつまでも残りつづける。
それも相手を必要としているからこそ残る思いで、こうした思いは、相手に伝わったと感じるまで連続して現れ、なかなか消えないものではないでしょうか。
今それをやろうとしても無理な状況迄追い詰められてしまっているのはそういう人です。きっと。
これを読まれている方で、思い当たる節があるなら、また、賢い方なら、もうそういう感情は捨てた方が良いと思う。また、HNが定まっていない事を良い事に、他人の振りをして、煽る人間もいる筈だから注意して欲しい。そういった人達はそういった感情に取り付かれている限り、自分に他人を語る資格も無いし、社会でも自分の未来に光を見い出す事は出来ない。
ネットはそういう人間が沢山居る場所だから、しょうがない、とここも同様だとし、簡単にすませて仕舞える事では無い。今こうして機会が与えられているのだから、それについて自分の意見を出して、こういった場所ほど現実のマナーと常に絡む場所である事ではないかと、考えを深めようとするのが人間では無いのだろうか。
そういった事から、今後に注意を促す意味で、ネット上であっても、
「親しき仲にも礼儀有り」という言葉の真意を用いてかんがえてみます。
この言葉が伝える真意は、相手が親であれ誰であれ、人ならば常に敬意を持って他人と接しよ、という意味であるのでしょうが、それに続いてもうひとつ真意がくみとられます。
「人とは当然、老若男女限らず、相手が赤んぼうであっても、当然身分の差等関係無く、人が目の前に居たら一歩下がって敬意を払え」、つまりネットでも人を目の前に立てよと、そうして発言せよ、と言う事です。
どのような場所でも人の意見が交わる場所では最低限胸にとどめて置きたいマナーです。というよりは人付き合いの「極意」というものは必ずあるだろう事を思えば、どうすべきかひとりひとりが自ずと分かる事でしょう。
人の関係というものは、歴史に観ても、自分の半生を振り返ってみても、時と場合によって家族より優先すべき関係は幾らでも有る事が分かる。国であったり、師弟関係であったり、思いを共有してきた仲間であったり。共にする時間の長さはその関係に比例するのでは無いでしょうか。しかしとどの詰まりやはり、血の繋がりというものに戻って来ますが。
話がそれましたが、ここにもそうした関係が生まれてもなんらおかしな事ではないし、それがここでの掲示板の目的、運営にあたって、良い付き合いであれば、互いに人の本質として大事な部分を成長させる事は多分にあって害無し、と出来るのです。
その関係を築きやすい反面、関係の絆が脆い部分もある事も否めない。長くつきあいたいと願えばこうした匿名性を熟慮して、相手の立場を踏まえた付き合いを望むべき。そして相手を信頼し続ける事だろう。
信じる事、信念からしか一歩は踏み出せない。
そうしたことから感心するのはやはり私は、あっしらさん。私は彼のやる事全てとは言わないが、信頼を持ってみている。きちんと誤解を消そうと、自分の思いを相手に伝えようとレスするという事は、「人の付き合い」を断絶せず、継続している行為であるし、実は大変だろうと思うが、利に叶った行為であり、彼の誠実さ、真面目さを伺い知れる。これは素直な感想だ。今ではスレ違いの多勢に無勢とも見えるレスの応酬からぴりぴりして感情も激情的にとれるレスも目立つが、初めからそうだった訳では無いのだ。
問題の根本的解決には、なかなか繋がらないが私はせめてこれを読んで、そうした事を考える人間が増えて欲しいと思う。
なお悪い事とは言わない迄も、只、横から(いつもと違ったHNで)茶々を入れる(煽る発言)はどうなのだろうか。あまり良い事のようには映らない。まるで人の不幸を楽しんでいるかのようだ。
ついでに、他者のHNをくっつけて同一人物だと考えるのが楽しい者もいる事だろう。居ても別に構わない。けれど、こうした場所でそれをいくら信ぴょう性を持たせて発表する事に、何がどう世間に影響を及ぼすというのだろうか。影響というよりも複数の人間がここで迷惑する事であり、行われている罪に対してそうした被害は必ず出ているのであります。これはこの掲示板全体に悪影響を及ぼす事になりそれは運営する人間にとっても、私のような、掲示板で記事を楽しみにしている人間にとっても、害悪であります。いくら同一人物説を発表したところで、いつかその答えは出てくるものとして個々で発表しているのだろうか。
実は言ってしまうが、私も過去に、あっしらさんのもうひとつのHNだと間違われた人物のひとりなので、あっしらさんが"シロ"だと言う事は十分に理解する立場にある。
しかし、それを言う事すら不毛に思い、あまりにも進歩が無いように思ったので、こうしたすれ違いを起こす人間関係の希薄さ、甘い認識自体が責められるべきものとして今回書く事にしたのです。
またそうした話題になるとHNを変えた常連の方々のレスが沢山くっつきます。
人格を非難する発言はまさにうんざりする思いで観てます。
あえて私も前使用していたHNで書かず、ここでそうした意見をするものです。
結局、彼等は愉快犯であり、アラシ行為と等しくあり、また確証ないまま人を責め続けられる人間性を不覚にも自分自身に曝け出してしまっています。そうした自分に満足しているのでしょうか。
いくらこうした発言をしてもそうした行為に歯止めをかけられない自分を、けして同類では無いと自覚するものの、しかし同じ感情を有する人間同士であるのを知りながら、こうして非難しており、反省します。
問題は不幸な偶然によるタイミングのすれ違いで起きているものだとして考えて欲しいのですが、こうして生まれた問題をなんら人任せなままにして、己の無力さを歯痒く感じながら終わりたいと思います。
とにかく、誰であっても、こうした場所ではなにか後ろめたいような意識は誰であっても持って然るべきです。匿名で何でも語れる代わりに、そうした発言の責任意識もしっかり持つべきです。
多数のHNで何を語ろうとも、自分が前へ一歩出れば内容も変わります。そうすれば後ろめたい意識からは解放されます。HNで他者を批難しつづける人は、罪の意識から逃げられずに、なんというか、可哀想だな、と一言言っておきます。
最低限人との付き合いに必要な事とは何か、を考えてみて、相手との関係を壊さない為にはどうすればいいのかを、こうした事が起こる度、ひとりひとり考えて欲しいですね。
無論これは全て自戒を込めたものです。