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(回答先: Re:追記 投稿者 haru 日時 2004 年 5 月 27 日 20:18:25)
haruさんこんにちは。
ご返信して頂き、大変感謝しており、私も共感しております。
議論というものについて私の見解です。
私も正直言いまして議論という形式は好きではないのです。そこには勝ち負けという概念が存在してしまうというものがあるからです。周りの目もその様に感じていることでしょう。
しかし私は議論を重ねるうちに“気づき”ました。これは幻想なのだと、勝ち負けというのは幻想なのだと。つまり議論というのは勝敗にあるのではなく、自分が“気づき”を得る為、自分を知る為に存在するものだと気づきました。しかしそこには勝敗(優劣)という幻想が存在し、問題が生ずる場合は常にこの幻想に溺れていると感じます。
発言は嘘偽りのない自分の真実を発言する事が大切なことであり、ただし、それは相手の意志・選択を捻じ曲げてまで、自分の真実を押し付けることはエゴになると確信しております。エゴは勝敗(優劣)という幻想に溺れた結果だと考えます。
すべての発言は「自分の真実」であって、「他人の真実」ではありません。発言(行動)することは自分及び他人に“気づき”を与えるものであって決してそれを優れているとして相手に押し付けてはならないと私は思います。
雪の結晶がすべて違う様に、人間の指紋がすべて違う様に、人間の性格・価値観等はすべて無数に違うのです。そう設定してすべての物質は自分を知る為に存在しているものだと私は考えます。
つまり議論における全ての発言は、誰が優れた発言か、誰が劣っている発言かという問題ではなくて、すべての発言が正しいものであると。(つまり負けというものが存在しない。)それは“気づき”というものを得ることができたことであり、例え自分が“気づき”を得ることができなくても、他の人になんらかの“気づき”を与えることができたという、結果的には一緒の事だと私は考えます。
真実の押し付けがなく相手を気遣う心を持ち、勝敗は気にせず、そして相手の許すかぎり“自分の真実”を伝えていくことこそ、「優劣の幻想」に惑わされない、本当の議論であると私は考えます。