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●種子島伝来の前に、すでに日本には鉄砲があったそうです。
また、鉄砲を最初に大量に使用したのは信長ではないそうです。
教養人の日本史(3) 脇田修著 社会思想社
P.26
(種子島と呼ばれる鉄砲は)1543年に伝来して、一、二年の間に鉄砲は畿内に伝わり、
製造が行われていたのであり、この急速な伝播は、日本における工業技術水準の高さを
示しているものであろう。
だが、鉄砲はこれ以前にあったことも、この伝播を助けることにならないであろうか。
明の太祖が創業のはじめ、「火竜槍」という小銅銃が使用された。
この鉄砲が、日本に早く伝えられることは容易に想像しうることであった。
少なくとも1510年(永正7)には唐国から伝わったという記録が見出され、天文年間には
武田勢でこれを用いたという記録も残っているのである。
この小銅銃は、しかし、それほどの戦力にはならないうちに、種子島が伝わったのである。
これは引金のついた火縄銃であり、その精度の高さによって、鳥銃の名があった。
かくして戦術は一変した。関東、甲信地方で現れる小銅銃に対し、この最新兵器を
もっとも有効に戦力としたものが信長であった。
かくして、明の統一に対すると同様、近世的統一における武力の役割を、この鉄砲が
になったのである。
P.63
鉄砲は各地で使用されたが、この大量かつ効果的な使用は、信長がはじめてではない。
石山本願寺が信長に敵対したとき、雑賀門徒はニ〜三〇〇〇挺の鉄砲を擁して
猛烈な狙撃を行っている。この経験が信長に大きな影響を与えたのであろう。
鉄砲隊の組織は、甲騎兵とは異質のものであり、足軽による団体訓練を要する軍事力で
あったが、畿内近国は領主制がゆるいために、かえって、この種の武力が成立しやすい条件を
もっていた。信長の成功は日本における最大の鉄砲産地である、堺、近江国友などを
支配下にもっていたことと共に、こうした条件を巧みに生かして、軍事力に組織したところに
あったといいうる。