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浮世ひびわれの記
http://homepage1.nifty.com/kikugawa_koubo/hibi.htm
《 美意識の劣化が生んだか、日の丸と軍事思想への固執 》
歴史を振り返るということは後世から前世を見るということだが、時々逆に見たならどうなるだろうか、などという誘惑にかられる。たとえば、太平洋戦争を平安時代の人が見たならなんと言うだろうか。褒めてくれるだろうか。嘆くだろうかなどと。
しかし、その時代の人々の戦争観や平和観などを示す資料に出会わないので、いつも想像の入口で挫折してしまう。そんな中で江戸時代の人々の平和観を示す資料に出会ったことがある。
江戸時代後期(1811)に国後島で幕吏に捕らわれたロシア海軍艦長ゴローニンが、抑留されている間に見聞きしたことを記録に残してくれたものがそれである(日本幽囚記)。
この中で当時のヨーロッパ諸国が何故あれほど戦争に明け暮れるのか、日本人(下級武士か足軽・小者と呼ばれる身分のかなり低い者と想われる)から尋ねられて、答えているくだりがある。ゴローニンは縷々と二時間ばかり説明をする。
それを聞き終えた日本人は「・・日本としてはヨーロッパと交際するより、国民の不幸を少なくするためには古来の立場を守った方がよいというのが我われの意見です」と。これにはゴローニンも反論する言葉を失って仕舞う。
これだけの答えが出来る江戸時代の人であるから、(想像の世界だが)現代の我われが持つ価値観についても答えてくれそうな気がする。戦争の話はさておくとして、「日の丸」が日本国を表徴する旗である、と言ったら江戸の人はなんと答えてくれるだろうか。
あの時代にも「日の丸」は幕府の御用船(物資輸送船)の旗印としてあった。だが、今残る浮世絵などに「日の丸」が描かれているのを見たことのない自分としては、江戸の人が「・・ああ、美しい、日本の旗は〜」などと歌う、現代人の美意識を嘆きそうな気がする。
日本ではいつ頃からか「家紋」というものを持つようになった。その数が三桁なのか、四桁になるのか知らないが、かなりな数に上る。あの素晴らしいデザイン能力を持っていた日本人が、なぜ「日の丸」という子供にでも描けるようなデザインの旗に満足しているのか不思議で堪らない。
「日の丸」に執着している現代人は美意識を劣化させてしまった、と言われても仕方がないだろう。「家紋」が誇らしげに持っている美意識が「国旗」に現われない原因を探ると、江戸の人が持っていた平和観を捨てて、欧米諸国がふり撒いた軍事思想に染まったままでいる現代人の意識を解くヒントが得られそうな気がする。