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(回答先: 秀吉の朝鮮出兵の動機はス ペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であった。繰り返す朝鮮出兵の歴史 投稿者 TORA 日時 2004 年 6 月 01 日 18:14:41)
宣教師の言ってることを真に受けてはいけないと思うんですが。
>コエリョは次の策として、2,3百人のスペイン兵の派兵が あれば、
>要塞を築いて、秀吉の武力から教界を守れるとフィリ ピンに要請したが、
>その能力がないと断られた。
2,3百人のスペイン兵で秀吉から要塞を守れると考えてるコエリョは痛すぎです。
また、その程度の人数を送る能力すらないスペイン軍が日本を征服できると考えるなど笑止千万です。
秀吉はマニラ総督宛てに自分に屈服するよう手紙を出してますよね。
秀吉が最初に朝鮮と明を征服しようとして国力を消耗したおかげで、
フィリピンのスペインは助かっただけです。
>日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでも しも国王陛下が決意されるなら、
>わが軍は大挙してこの国 を襲うことが出来よう。
ペドロ・デ・ラ・クルスという宣教師もコエリョと同様、痛すぎます。
わが軍が大挙して襲うとありますが、何万人の軍を送れたというのでしょうか。
それを運ぶだけの船や、また銃や弾薬があったのでしょうか?
1626年に日本の商人の船が台湾にあるオランダ東インド会社の港に寄港した際に、
課税を要求され、拒否すると貿易品を奪われました。
これを知った徳川幕府は翌年、この台湾のオランダ人拠点を攻撃し、賠償金を払わせました。
また、幕府は1639年にポルトガル船の来航を禁止し、翌年来航したポルトガル船を焼き討ちに
しましたが、ポルトガルは仕返しなどできませんでした。
こういうのが当時の日本とヨーロッパの力関係です。
また、明が弱いというのもどうなんでしょうか。
明はヨーロッパにさきがけて世界一周していたそうですが、(『1421』)このときの明の艦隊は
ヨーロッパより数世紀進んでいて、武器も大砲などをすでに積んでいて、文句なしの世界最強の
海軍だったらしいですよ。