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日本人と中国人の見分け方 【株式日記と経済展望】
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投稿者 どさんこ 日時 2004 年 5 月 16 日 19:10:18:yhLXMcSQdrkJ2
 

日本人と中国人の見分け方
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu71.htm
2004年5月16日 日曜日

◆農耕民族と騎馬民族 〜 日中相互理解の難しさ 国際派日本人養成講座

■1.「一衣帯水」と「同文同種」■  

日本を飛び立って、3時間もしないうちに飛行機は中国の天 津国際空港に着いてしまった。水平飛行をしている時間は2時間ほどだから、客室乗務員は飛び立つとすぐに飲み物と昼食を 配り、食事が済んだらすぐに片づけに入る。ゆっくりビールを楽しんでいる暇もない。ヨーロッパやアメリカに行くのに10 時間以上も乗って、映画の2、3本も見られるのとは大違いだ。日中は「一衣帯水(一筋の帯のような狭い海峡をへだてて近接 している)」とよく言われるが、まさにその通りだと実感する。 

中国との間では「同文同種」という言葉もある。文字も人種 も同じだと言うのである。確かに日系企業の事務所に行くと、 誰が中国人で誰が日本人なのか、まったく分からない。日中両 国語を巧みに話す人に出会うと、日本語のうまい中国人なのか、 中国語のうまい日本人なのか、名刺を交換して姓を確認してみ ないと分からない。  

しかし、その一方では中国への旅行者や駐在員が激増し、国 内でも中国人留学生と接する機会が増えて、どうも中国人とは、我々とはだいぶ違う人間だ、という事が多くの日本人に体験的 に分かってきた。中国人に親切にしてやったのに、裏切られた、という話もよく聞く。無遠慮な中国人留学生に手を焼いている 大学教員も少なくない。どうも「一衣帯水」や「同文同種」という言葉は、日中関係のごく表面を現しているに過ぎないので はないか。

■2.隣の店に転職した中国人青年■  

孔子の第75代直系子孫で、現在は日中文化交流に尽力して いる孔健さんは、日本で中華レストランを経営している日本人経営者から、こんな話を聞いた。  うちで中国人の青年が半年前から働いていたんです。日本に来たばかりで、経済的に困っているというので、働い てもらうことにしました。日本語がぜんぜん駄目なので、手取り足取りウェイターの仕事を覚えさせたんです。それ がようやく慣れたと思ったら、なんと最近、隣の店に突然、転職しちゃったんです。

 この青年は隣の店の時給が100円高いと知ると、すぐに面 接に行き、さっさと転職を決めたという。  それが、すまないの一言もないんです。転職した次の日、 顔を合わせたら、「先生、今日は」とケロッとした顔であ いさつするんです。  慣れない日本で面倒を見てやったのだから恩義があるはずだ し、少しは済まないと思ってもいいんじゃないか、とこの経営 者は怒る。相手が自分の「常識」通り行動しないと怒るのは、 人間の当然の心理である。しかし、そもそもこの「常識」が文 化によって全く違うことから、異文化間での摩擦が生ずる。

■3.騎馬民族と農耕民族■  

孔健さんは、中国人を理解するためのキーワードの一つとし て「騎馬民族」を挙げる。騎馬民族は毎日移動して、獲物を求める。一カ所にいてそこでの獲物を取り尽くしたら、飢え死に するだけだ。だから、獲物の豊富にいる所に常に移動するのは騎馬民族にとって当たり前のことである。  孔健さんの義弟は、ベテランのコックだが、会うたびに店を変わっている。なんでそんなに変わるのか、と聞くと、「開店 料理長」を次々とやらされている、と言う。

レストランが新規 開店をする時に、腕のいいコックを呼び、「あの店はうまい」という評判を3ヶ月でたてる。それが済むと、別の店のオープ ンに呼ばれる。こうして義弟は数ヶ月単位で店から店へと移動しつつ、キャリアを磨いていく。  これに比べれば、日本では店も料理人も農耕民族的である。一カ所で長期間、店を続けて、贔屓客、なじみ客を作る。料理 人も一カ所で長年努めて腕を磨いていく。創業何十年、いや何百年というのが店の看板であり、そうした老舗で何十年も勤め 上げることが、料理人の腕の証しである。

■4.農耕民族の「常識」■  

こうした農耕民族の世界では、新入りにその働き以上の給料 を出し、長年かけて 一流の料理人に育てていく、という「年 季奉公」のシステムをとる。一人前になるまでは店の持ち出し であり、一人前になってから「お礼奉公」をしてもらう。それ が済んだら「暖簾分け」をして、助け合いの関係に入る。数年、 数十年をかけた長期的なギブ・アンド・テイクの仕組みになっ ているのである。  

上述の日本人経営者は、こうした年季奉公システムを意識し ないまま、それを「常識」だと思いこんでいる。そしてその「常識」を踏みにじった「非常識」な中国人青年に怒りをぶつ けているのである。 一方、騎馬民族ではギブ・アンド・テイクは交易の瞬間瞬間 に成立しなければならない。次にいつ出会うか分からないからだ。したがって中国人青年から見れば、自分が受け取っている 給料は、自分の皿洗いなどの現在の労働に見合ったものであるはずだし、100円でも時給の高い所に移るのは騎馬民族とし て当然の「常識」なのである。

だから、日本人経営者に会って も、何の引け目を感ずることなく、挨拶ができる。  日本人経営者も中国人青年も、それぞれの「常識」に従って いるだけだ。ただ農耕民族の常識と騎馬民族の常識が違うので、 そこに摩擦が生ずるのである。こうした摩擦を避けるためには、 相手の常識がいかに自分の常識と違っているかを、知らなけれ ばならない。

■5.中国商法も騎馬民族的■  

中国人はユダヤ人、インド人と並んで、世界三大商人と言わ れるほど商売の天才であるが、その商法も実に騎馬民族的である。孔健さん自身こんな経験をしている。  孔健さんが福建省のある用品店に入った時のことである。ひやかし半分に香港製のしゃれたスーツを見ていると、店主が 「いらっしゃいませ」とニコニコ顔で迎えた。何年も日本に住んでいる孔健さんは、つい日本流が出て、商品を触りながら物 色した。

気に入ったものがないので、店を出ようとすると、店 主が血相を変えて、「お客さん、買わないんですか?」「ああ、 気に入ったものがないんでね」と答えると、ニコニコ顔だった 店主が急に怖い顔に変わって、「それ、困る。触ったから、汚 れて売れない。触り代をもらいます。」  騎馬民族は常に移動し獲物を求める。移動して、会うの は新しい獲物であり、新しいお客である。移動するがゆえ に、今日のお客が明日のお客であることはほとんどない。 一見のお客である。だからこそ、今、このお客に買っても らわねばならない。そうしなければ、自分が飢えてしまう。  

中国商人は、愛想のいい顔と、脅迫をしてでも売り込む ふたつの顔を持って、必死で売り込みをはかる。・・・場合によっては、だましてでも売りつける。[1,p63]  中国には固定客という考え方が基本的にない。極端にいえば、お客はそのたびに違い、品物はよかろうが悪かろう が、売れればよい。お客のほうも、店の信用で買うのではなく、品物をしつこく吟味して買う。

傷でもあれば徹底的 に値切って買う。店を信用していないのである。[1,p65]  こうして騙したり騙されたりの修羅場をくぐり抜けて、中国 人は商売の天才になったのである。しかし、この騙したり、脅 したりという商法を日本でやったらどうだろう。そんな悪評は あっという間に村中に広がり、翌日からは誰も客が来なくなる。  農耕民族の中では、商売も信頼と誠実を旨として、お客との 長い付き合いの中で利益をあげていかなければならないのであ る。[a]

■6.日本人と中国人の見分け方■  

騎馬民族としての習性は、普段の物腰にも現れる。だから孔 健さんは90%以上の確率で、日本人と中国人を区別できるそうだ。ある日、孔健さんは新宿の雑踏の中を、日本人の友人と 歩いていた。30メートルほど離れた所に立っている東洋人の女性を見て、「あそこに立っている、赤い服を着た女性。あの 人、中国人ですよ。」と言った。「えーっ、日本人じゃないかと思うけど」と友人は疑わしそうな様子。

孔健氏は、その女性 に近づいて「現在、凡点了(いま、何時ですか)?」と聞くと、 「三点了(3時です)」と中国語の返事が返ってきた。  中国人は騎馬民族の習性で、目がよく働き、常に周囲を 警戒している。いつ敵が襲ってくるかわからない。だから 目をキョロキョロさせて警戒を怠らない。なにか獲物はい ないか、なにか落ちていないかと、ものを探す目である。 こうしなければ、明日も生きられない習性が身についてい る。  

日本人は農耕民族で、出会う人間も同じ村の人間ばかりだし、 急に敵が襲ってくることもないから、警戒心がない。獲物を見つける必要もないから、あたりをキョロキョロさせる事もない。 日本人の観察力は、農耕民族として作物の状態をこまやかに見たり、また季節の変わり目を敏感に捉えるという習性が中心で ある。  こうした物腰からしていかにも警戒心のない日本人が海外でスリや強盗の恰好の獲物とされるのも当然だろう。

■7.「熱烈歓迎」の罠■  

騎馬民族は、毎日、新しい人間に出会うが、それは敵か、騙 してでも物を売りつけるカモか、それともごく希に出会う本当 の味方か、分からない。だから敵にしても、味方にしても、カ モにしても、愛想良くしておけば間違いはない。初対面の愛想 の良さは警戒心の表れなのである。  日本のビジネスマンが中国企業と提携しようと、初めて中国 を訪れると、「よくいらっしゃいました。熱烈歓迎です」と、 抱きついたり、握手したりと、オーバーに迎えてくれる。

その 晩から、連日連夜、盛大な歓迎祝宴である。席上でも偉い人が 料理を大皿からとってくれたり、入れ替わり立ち替わり、いろいろな人が近寄ってきては、「乾杯(カンペイ)、乾杯」と、 杯を干す一気飲みを求められる。そして自分たちがいかに日本企業のために役に立つ存在であるかを滔々と話す。  こうなると初めて中国に来て、不安を抱いている日本人の方は、たちまち警戒心を解いて、相手を無条件に信用してしまう。

農耕民族である日本人は、新しく出会った「よそ者」に警戒心 を抱くので、どうしても初対面の人には、ぎこちない。そこの所を騎馬民族流の「熱烈歓迎」で突破されてしまう。  しかし、そのあとは中国の騎馬民族的ビジネスのペースにはめられて、「中国人が愛想のよいのは最初だけ。すぐに冷たく なる」という不満を持つ日本人ビジネスマンは多い。日中国交正常化交渉でも、中国を訪問した田中首相一行がこの「熱烈歓 迎」戦法でとりこにされ、その後、ずっと巨額のODAをむしり取られるはめに陥ったのである。[b]

■8.日中相互理解の難しさ■  

中国大陸は数千年もの間、北方の騎馬民族に何度も侵略され、 征服された。漢民族どうしでも抗争や内乱が続いた。一つの王 朝が天下をとっては、次の王朝に打倒されるという歴史が繰り 返された。世界に騎馬民族は多いが、これほど激烈な戦いの中 で鍛え上げられた民族はいないであろう。  

一方、日本人は、自然の恵み豊かな日本列島で、数千年の間、 平和な日々を送ってきた。国内を最初に統一した王朝がたまた ま民を宝と考えるという、古代世界には珍しい哲学を持ってお り、その王朝のもとで国全体が一つの村のように平和に豊かに 暮らす、という希な幸福に長い間恵まれてきた。時には戦争も あったが、それは中国大陸の戦乱に比べれば、「内輪もめ」に 過ぎない。世界に農耕民族は多いと言えども、日本人こそその 典型であると言える。  

こうして「同文同種」で見た目はそっくりながら、騎馬民族 と農耕民族の典型どうしが「一衣帯水」の隣合わせに住むとい う奇遇が生まれた。世界広しと言えども、これほど外見はそっ くりながら、性格の違う隣人関係も珍しいだろう。  同時に中国人の方は、自分が文化的に世界の中心であるとい う「中華思想」を持ち、他民族の文化を理解し、尊重しようと いう姿勢を持たない。日本人の方も、狭い日本列島から出た経 験が少なく、よそ者との付き合い方が下手である。この点が両 者の相互理解を一層、難しくしている。

■9.グローバル化の流れの中で■  

こうした違いを踏まえた上で、日本人は中国人とどのように 付き合ったら良いのか、考えてみよう。その前提として、やはり急速に進展しつつあるグローバル化の流れを考えなくてはな らない。交通と通信の発達により、世界は狭くなっていく。その行き着く先では、地球全体が一つの狭い村のようになってし まうだろう。  

そこではトヨタ、IBM、セブン=イレブン、マクドナルド と言った良質な商品やサービスを地球の隅々まで提供する企業 が、グローバル・ブランドとして市場を支配する。ブランドと は顧客の信用であり、顧客との長期的な信頼関係を重視する農 耕民族的な経営姿勢こそがグローバル企業として成功するのに 不可欠な条件である。  

逆に騎馬民族的に「一見客を騙しても」という商法は市場の ごく片隅でおこぼれに預かるだけだろう。中国企業がグローバルな成功を収めようとしたら、農耕民族的なビジネスを身につ けて、信頼とサービスを売るようにしなければならない。 したがって日本企業としては、誠実に顧客の信用を追求する 日本企業らしさを磨いていくことが、グローバルな勝ち残りへの近道である。

とは言え、そこに至るまでには、未熟な中国市 場のように騎馬民族的企業がうようよしている中でも、やって いかねばならない。また我々の日常生活でも、騎馬民族的な人 びとと付き合っていかねばならない。  誠実と勤勉を旨とする日本人らしさ、日本企業らしさを磨き つつも、騎馬民族に騙されないだけの知恵と用心を持ってグロ ーバル社会を生きていく−−それが国際派日本人、国際派日本 企業のあり方であろう。 (文責:伊勢雅臣)


(私のコメント)
最近の東京は中国人であふれかえっています。中国人を受け入れている学校もアルバイト先も東京に集中しているからですが、横断歩道で耳にする話し言葉を聞いてみると半分ぐらいが中国語だ。顔を見ただけではわからず、着ている服が日本製でないことぐらいしか判断の目安がない。それくらい中国は留学生を日本に送り出している。

中国にとって日本は隣国でもあり人種的にも文化的にも結びつきが深いから、中国でも豊かな家庭は子供を留学生として送り出す。豊かでなくても留学から帰って中国に進出した日本企業に就職できれば、留学費用は返せるから無理をしてでも留学させる家庭が多いようだ。日本側の大学も少子化によって学生数の減少を留学生によって埋めているところも多くなっている。

このような留学生を対象にしたビジネスも盛んになっている。さらに留学生は日中の架け橋としての役割を果たしてくれることだろう。しかしながら留学しても学資が切れたり、落ちこぼれたりして故国に帰るに帰れない留学生も増えてきて、不法就労や犯罪を犯す留学生崩れも当然増えてくる。

それに対して法務省などは資格審査を厳格化させて対応しようとしていますが、そうすると資格に合格できる留学生が極端に減ってしまったりします。中国や日本政府がそれらの留学生に費用の面倒を見れればいいのでしょうが、数万人単位となるとそうも行かないし、奨学金などの制度も政府では面倒は当然見切れない。

日本と中国との交流は留学に留まらず、観光客としての交流もあるし、ビジネスにおける交流もある。これからは観光やビジネスが交流の主体になってゆくのでしょうが、同時に留学生受け入れで生じた問題も観光やビジネスでも生じてくるだろう。つまり不法滞在や不法就労の温床として、これらのトラブルからは逃れられない。

日本は島国として外国人との交流には慣れていない。ところがグローバル化の時代の波は日本にも押し寄せてきて、日本の外国人は増える一方だろう。特に中国人はこれから経済が発展すれば観光やビジネスなどでの交流は一般の日本人でも接する機会は多くなる。その際に無用な摩擦を避けるためには中国人の国民性を理解してゆくことが必要ですが、顔がよく似ていることから考えることも似ていると錯覚しがちだ。

同じ外国人でもアメリカ人や欧米人なら見た目も違うから考え方も違うと理解しやすい。ところが中国人は人種も文化もよく似ているから、つい日本人と同じと思ってしまうから無用な摩擦を生じているように思う。根本的に言うと中国人は騎馬民族的であり、日本人のような農耕民族とは民族的性格が根本的に異なることを理解すべきだ。

同じように日本人が中国へ行った際に生ずる摩擦もそこから生じている。中国は歴史を見ても戦乱の歴史であり、王朝が変わるたびに大虐殺や大混乱が引き起こされてきた。最近でも文化大革命は二千万人もの虐殺が起きて国土は荒れた。だから中国人の性格も強烈であり日本人には理解できない面を持っている。その事を理解して接しないととんでもないトラブルが起きる。

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