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<ロスチャイルド一族> 一両替商人が西ヨーロッパを席巻する大銀行になった話(ロスチャイルド王国 フレデリック・モートン著 新潮選書)は興味深かったのでその一部を紹介する。1764年フランクフルトのユダヤ人街の一角にマイヤー・アムシェルという男が住み着いた。彼はユダヤ民族一般と同じく姓をもたなかったが、彼の先祖が嘗て近くの赤い楯(ドイツ語でロートシルト)の付いた家に住んでいたので、旧友たちは“ロートシルト”と呼んでくれた。彼は古物商から始め、古銭の売買をして要領よくヴィルヘルム公のハナウ宮廷に仕えるハノーヴァーのフォン・エストルフ将軍の気に入られ、両替商を開店した。
1769年彼は“シチュー鍋”の目印の家に、ヘッセン・ハナウ家の紋章が付き、「M.A.Rothschild(ロートシルト) ハナウ公ヴィルヘルム殿下宮廷御用商人に任ず」と記された看板を打ちつけた。このように世間的な名誉を得て彼はグテーレと結婚する。彼は公の財務官カルル・ビュデルスの気に入られて国家の金融業務にも割り込むことになって、“緑の楯”の付いた広い家に居を移し、12人(内10人が成長した)の子を育てた。夜になるとマイヤーとグテーレはユダヤ教の一節をヘブライ語でそらんじ、家族はみんなじっと座ってそれに耳を傾けた。中庭の向こうには小さな会計事務所があり、秘密の地下室もあってマイヤーは足しげくそこへ通った。ヘッセン・カッセル伯ヴィルヘルム公関係の秘密書類も収納されていた。この一家が殿下の存命中に殿下の莫大な富以上に蓄財しようとは誰も想像だにしなかった。
マイヤーには5人の男の子がいた。彼らは皆働き者で、性格は異なるものの腰の低い謙譲さと物音一つ立てぬ静かな行動を父から引き継いだ。長男アムシェルはドイツの金庫係りになった。次男サロモンはオーストリア帝国の首都ウイーンで高い身分を確立し、3男ネイサンは英国で無比の力の所有者となった。4男カールはイタリア半島を手中にし、5男ヤコブは共和制、帝制を通じてフランスに君臨した。ロスチャイルド家では才能は個人のものだが、業績はみんなのものであり、兄弟は骨の髄から成功を望んでムズムズしていたが、マイヤーは兄弟に欠けている優美さを補った。息子たちの強引な計画に父親が知恵を貸した。
この“緑の楯”の一隊はあらゆる方向に向かって扇形にひろがっていった。どの馬車にも貪欲な目つきの丸顔の若い兄弟が鞄を抱えて席を占めていた。一族のエネルギとドイツ語のおかしなアクセント、それにいつでも同時にどこにでもいるという特性が決定的だった。親父と5人の息子は距離としきたりと制約と国境を問題とせぬ超自然の力となった。一族は国際的なネットワークを築いた。
まず一家の前に立ちはだかったのはナポレオンであった。彼の軍隊は一家の築きかけた基盤を一掃するかに見えた。しかしロスチャイルド家専用の馬車が暗号で書かれた手紙を運び、ヨーロッパ中をかけめぐる兄弟たちの所在は突き止められず、ヴィルヘルム伯の債権を奪取せんとするナポレオンの動きは空振りに終わった。ロンドンに移った3男ネイサンはナポレオンの手の及ばぬ英国公債で大儲けをした。また5男ジェイムスをはじめ兄弟は国際的な手形の大交換所を設立し、兄弟は連携して金の大密輸を成功させ、ナポレオンに抵抗する連合軍の戦費の英国からの送金を可能にした。最後にワーテルローの戦いでの敗戦のニュースを一族専用の情報網で逸早く手に入れたネイサンはロンドンの証券取引所で英国のコンソル公債をそ知らぬ顔で投売りし、相場が十分に下落し一瞬後れれば遅きに失するその瞬間に二束三文で大量買いした。大ニュースが一般に漏れるや、コンソル公債は一転大暴騰を演じた。
死を迎えた老マイヤーはユダヤ教会で祈りと断食の一日を過ごした後に次の趣旨の遺言を残した。「わが娘たち、婿たちはM.A.ロスチャイルド父子商会に参加したり調査する一切の権限はない。息子たちの事業への妨害は決して許さない。ここにロスチャイルドの名を他家の者に継がせない、ロスチャイルドの事務所は外部の参加を認めないという伝統が生まれた。
ナポレオンが去った後のヨーロッパ再建のために公債が新たに発行されることになり、その最終的な配分のためにアーヘン会議が開かれた。会場は上流社会と新興ロスチャイルドとの対決の場となったが、会議に出た慣れぬサロモンとカルマン兄弟は見向きもされなかった。ところが突然フランス政府債をはじめとして他の公債も一斉に下落した。会議の優雅な音楽は止んだ。ロスチャイルド商会が莫大な資産をもって予め買い進めていたものをここで冷酷無残に大量の売りに出たのだ。会議を支配していた旧世界の勢力はロスチャイルドの威力を思い知らされた。予定していた公債発行は中止された。サロモンとカルマンは丁重に迎え入れられ、ヨーロッパ財界にロスチャイルド家の地位が確立された。
会議後オーストリア帝国の実力者メッテルニヒ公はロスチャイルド家から90万グルデンの融資をあおぎ、5人兄弟およびその子孫は男女を問わず男爵の爵位に叙せられた。既に申請されたものの一時は系譜紋章院によって大部分が遠慮なく切り捨てられていたロスチャイルド家の豪華な紋章のデザインが復活・公認された。黒鷲とヒョウと獅子と5本の矢をもつ腕である。
5人の兄弟はいずれも少なからぬ逸話を残したが詳細は省略する。サロモンが複雑な取引を通じてオーストリアの巨大な水銀鉱山の借用権を獲得するとロンドンのネイサンはスペイン政府と交渉して残るスペインの鉱床を買い取り、水銀の世界的独占を手に入れ、その価額を自由に操作することになった。鉄道はネイサンの英国で生まれたが、オーストリアのサロモンとフランスのジェイムスが導入に尽力した。ネイサンの長男ライオネルはネイサンの死後英国政府に資金を提供してスエズ運河を買収した。ライオネルはユダヤ教徒として上院議員になるための法改正を11回提出し、遂に英国会にそれを認めさせた。英国女王はライオネルの息子ナサニエルの代になって爵位を授けた。
ナッテイ(ナサニエル)は世界中のユダヤ人の面倒を見てきた。ユダヤ人迫害・虐殺があるとロスチャイルドの事務所から圧制者に対して激しい攻撃が加えられ、犠牲者への援助が行なわれた。彼に限らず財務に抜け目がない一族だが、ユダヤ人が迫害を受けたとなると損得抜きで介入し、冷静さをかなぐりすてる民族的な熱情を見せる。一族の政策にははっきりとした特徴があった。戦争嫌いで平和の維持に熱心だった。また列強の間には植民地拡張をめぐる競いがあったが、植民地から足を洗え、しかもそれは早ければ早いほどよいと主張した。
五つのロスチャイルド家の内二つは既に姿を消している。長男アムシェルには子供がなく、ドイツ・フランクフルトのロスチャイルド家はナポリのヴィルヘルムとマイヤーが管理したが、両人とも娘しかいなかった(ヴィルヘルムは3人、マイヤーが7人!)のでその死とともに整理・清算した。イタリアのロスチャイルド家もカールの長男アドルフに子がなく、弟たちも上記の状態だったので閉鎖せざるを得なかった。この結果一族は英国、オーストリア、フランスに残り、それぞれの母国に忠誠を誓う集団となった。
第一次大戦が勃発し、一族は各地で大きな資産と若者を軍への協力のために召し上げられた。戦後も税金攻勢とそれに対する無抵抗で一族の大邸宅の多くは無に帰した。その後特にオーストリアの事務所は国もろともヒットラーの率いるドイツ政府に徹底的に迫害された。しかし1945年以降ロスチャイルド家は再び活力を取り戻しつつある。先祖たちの猛烈な活動ぶりは見られないが、厖大な資産をたくみに運用して隠然たる勢力を保持しその支配力は依然として強大である。一族の影響の及ぶところは宗教をはじめ経済・政治・美術・音楽・建築・園芸等々奥深く容易に全容を覗き得ない。
元来私は独善的なユダヤ教が嫌いである。ここでは興味をそそる逸話などの紹介で好意的とも誤解されるような“ロスチャイルド神話”の一端に触れたが、この一族の過去の業績また今後の影響力は我々日本人とその文明に対して決してためにならない筈だ。今調査中だが、米国を始めとして世界を牛じようとしている“300人委員会”というあまり世に知られていない組織があるらしく、ロスチャイルド家はこの組織の代理人として密かに自ら莫大な利益をあげながら、謀略に満ちた当委員会の目的達成に今後とも尽くそうとしているようだ。 “ヴェニスの商人”でシェイクスピアが糾弾しようとしたユダヤ商人の悪辣さ・狡猾さを存分に発揮してだ。今後とも注意をそらすわけにはいかない。
<ハリガネムシ> 毎年夏に文芸春秋に発表される芥川賞受賞作をこの数年読んだことがなかったが、いつも今年も見るべき作品がなかったと切り捨てている石原慎太郎が今年は珍しいことに“選評”で「自暴自棄の底にあるもの」という小題で当選作を激賞こそしていないが肯定的に評しているので、読んでみる気になった。作者吉村萬壱は40を越した教師で、主人公は同様な独身の高校教師だが一度相手にしたソープの女につきまとわれて、避けるわけでもなく止めどもなく堕落していく話である。
しまいには二人して暴力団まがいの若者たちにからまれて、半死半生の体たらくになって昼も夜も分からぬ数日を過ごしたりする。やがて久々に出勤して国連についての授業中に突然感情が高ぶり、「国連なんかに虐殺行為を根絶する意思はないんや!」と叫び、生徒たちが皆唇を舐め始めたので堪らなく怖くなり、「あとは自習」と言い置いて逃げ出す。
自暴自棄のような気分になって再び学校を休む。どうせ仕事もだめになる。親にも弟にも見捨てられるだろう。何より私は自分の欲望に飽きていた。体の中のハリガネムシが暴れるたびに死にたくなる。こんな生はいらなかった・・・。
こういう心情というのは誰にも一生に一度ぐらいはあるのだろう。程度の差があり、大抵はここまで行かないが。同じ文春9月号の前の方に同じく数年前に芥川賞を受賞した玄侑宗久氏が「12歳の殺人者・A少年に五百年の暗闇を」で次のように書いている。−どんな事件でも、一歩間違えば自分もしていたかもしれない。そう思うことが出発点だろう。同じような遺伝子をもって生まれたという意味で、すべての人間は平等である。−また書いている。―残虐であるのは大人も小人も変わらない。昔からそうだ。親鸞聖人は弟子唯円に「千人殺せ」と言われたらお前は殺せるか。唯円は「できません」と答えるが、お前ができないのは単にそういう“縁”がないからに過ぎないと、悲痛に親鸞は説くのだ。−
近頃よく夢を見る。夢の中では思うように事態が進行せず、かといって人任せにできず自分が何とかしなければ解決しない課題が残る。ウーム困ったぞと思う。だが夢から醒め、問題が夢の中の課題であることを悟った瞬間に、あさましくもほっとして課題を放棄する。先の小説を読み終えた感想もそれに似ている。これが夢ならいいのだが。
考えてみれば多くの人は長い人生の中で一度ぐらいは罪を犯すかどうか際どいところまで行き、あるいは堕落の瀬戸際まで行くが、何とかそこで踏みとどまる。そこで働くのは“縁”かもしれない。だがハリガネムシかもしれない。万一そこで踏み外してしまったら、大人でも子供でもそれはそれなりに覚悟を決めなければいけない。許される限度というのは厳然とあるのだ。少年法などという悪法は掃いて捨ててしまえ。昔のご先祖が考え出した“地獄”という世界をバカにしてはいけない。
<地震> 1月ほど前に東北地方はかなり大きな地震に襲われた。余震が1週間以上にわたってシツコク続いた。過疎地に近い田舎が震源地域だったから被害は震度の割にはそれほど大きくなかったが、これが都会だったら大騒ぎになったに違いない。あの地方でさえ停電・断水の不都合が長時間に及んだ。公民館などに長く避難してノイローゼ気味になった人も少なくないと伝えられた。
9月1日の防災の日には南関東直下型地震が起きたことを想定して首相以下内閣に訓練のための緊急対策室が設けられたほか、東海地震対策本部でも予知対策連絡会が招集されるなど全国で135万人が訓練に参加した。関東大震災は80年前に起こっていて、そろそろ次が起こる頃だと言われるとあまりいい気はしない。
今住んでいる家を建てたのが35年ほど前で、木造総2階建てで当時は建築基準法が現在より緩かったから南側は開放的で筋交いも十分ではない。この頃耐震診断をするように勧めてくる業者がいくつもあるが、もし診断を頼めばまず補強改築をすべきだと言われるに違いないと思う。しかしいつどれほどの地震が来るか分からぬだけに、新築ではなく既に長年住んでいる家を強度付与のために改築するのはどうにも気が進まない。
人生設計などというが、今月で自分は70歳を迎える。年月を加えるにつれて次第に足腰も不自由にはなるが、かといってもうすぐ寿命を迎えるという実感もない。もう暫くはもちそうだ。かといって他には必要もないのに大掛かりな改築をして、来るかも知れぬ地震に備えるというのも些か実効的に思われない。いい加減と言われればその通りだが、万事なるようになると思っている。大地震に見舞われて家の下敷きになればそれはそれで寿命と観念する。
<300人委員会その2> 今月冒頭のロスチャイルド家の説明で紹介したが、世には重要な割にあまり知られていない方面の話というのがいくつかあるようだ。表題の本(KKベストセラーズ発行)もその一つで、その著者は元英国情報将校ジョン・F・コールマン博士。ノンフィクションというジャンルの本ではあるが、最初に読んだ時は内容の深刻さと非常識とでどこまで真実なのか疑いたくなったというのが正直なところで、一旦脇に置いた。だが“国際テロ”でも取り上げている世界で連発する諸事件に思い当たる点が次第に増えてきたので敢えて紹介することにする。
なお本書とは別筋で、インターネットで"http://sinobu10.hp.infoseek.co.jp/Devil_Kingrom1.html"には「悪魔王国の建設」と題してかなり詳細に“300人委員会”の構想が紹介されているので、興味のある方は参考にしてください。
信じるかどうかを別にしてまず“300人委員会”が掲げる綱領21ヶ条を以下に記してみる。別名“悪魔の地球支配綱領”(世界人間牧場計画)である。
1)委員会指揮のもと、ワンワールド政府=新世界秩序を確立する。
2)すべての国民国家のアイデンテイテイ・民族性と民族的な誇りを完全に粉砕する。
3)世界の大宗教、特にキリスト教の壊滅を計画し、実行する。
4)マインドコントロールによって人間を管理・コントロールする手段を確立する。
5)脱工業化ゼロ成長政策に基づき、すべての工業化と核エネルギによる電力供給を廃止する。ただしコンピュータとサービス産業は免除する。
6)ドラッグの使用を奨励、最終的には合法化する。ポルノを芸術として公認・日常化する。
7)ポルポト政権(カンボジア)の実験を応用し、都市の人口を激減させる。
8)科学の発達は委員会が必要と認めるものを除き、一切抑制する。特に標的とするのは核エネルギの平和利用で、委員会手先の新聞(ニューヨークタイムス、ワシントン・ポスト、タイムスなど)は核融合技術を忌避する。
9)先進国には局地戦争を起こし、第3国には飢饉と疫病を広めて2050年までに30億人の“無駄飯くい”の人々を殺す。
10)ローマクラブが採用した脱工業化零成長政策により仕事が縮小した結果、厖大な失業者を発生させ道徳心を低下させ、労働者の生産意欲を失わせる。家族という共同体を根底から揺るがし破壊する。
11)意図的に危機的状況を次々に起こしそれを操作・管理して、委員会を除く全人類が自らの運命に対して無力感しかもち得ないようにする。
12)新たな“破壊的カルト”を増産し続け、すでに役目を果たしている連中(ビートルズやローリングストーンズなどの邪悪なロック・グループなど)を支援する。
13)キリスト教助成の宗教的義務と偽り、キリスト教根本主義の信仰を後押しして“ユダヤ選民思想”の神話を当然のこととして人々に受け入れさせ、シオニズム国家イスラエルに貢献する。
14)ムスリム同胞団、イスラム原理主義、シーク教などの宗教的・破壊的カルトグループを圧迫し、マインド・コントロールの実験をする。
15)信教の自由という思想を世界中に輸出し、既存の真摯な宗教、とりわけキリスト教の根底を揺るがす。
16)世界経済の全面的崩壊の原因を作り、政治の全面的な混乱を引き起こす。
17)米国の内外政策をコントロールする。
18)国連(UN)、国際通貨基金(IMF)、国際決済銀行(BIS)、国際司法裁判所のような超国家制度を強化する。
19)すべての政府中枢に侵入し、政府が代表する国家主権を内奥から破壊する。
20)世界的テロリスト・グループを組織し、テロ活動が起きた際テロリストと当事者の交渉に介入する。
21)米国および世界各国の教育をコントロールし、破壊する。これは“結果本位教育”という政策によって具現化される。
バビロンの捕囚の中に“パリサイ派”という秘密結社ができたが、このタルムード派ユダヤ教の中からルシファー悪魔大王を崇拝する“カバラ学派”が出現し、トーラーとエホバを信仰する伝統的なユダヤ教を捨てた。この勢力はヴェネチア、オランダ経由で17,8世紀に大英帝国をそっくりまるごと取り込んだ。無神論的な思想を根底にもち、先に紹介したロスチャイルド家はこの一派である。18世紀に英国東インド会社の300人評議会を母胎にして全世界的に発展させた“300人委員会”が設立された。このあたりの事情は意図的な撹乱工作もあって、歴史的に縁遠かった日本人には特に理解しがたいものらしい (この委員会は無宗教と称しているが、私には終局的にユダヤ教を奉じているように見える)。
300人委員会はその大部分が英王室、現在ならば女王エリザベス2世の支配下にある。メンバーには各国王室、サミュエル・ハンチントン教授、ジョン・メイナード・ケインズ、ジョージ・ブッシュ(現米大統領の父)、ヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツ、エリー・ド・ロスチャイルド、サー・バートランド・ラッセル、H.G.ウエルズ、大来佐武郎 等の名が見える。300人委員会のメンバーが死亡した時空席はその子孫が埋めるのが通例である。300人委員会は150年の歴史をもち、最高のすぐれた知性(?)が結集して完璧な全体主義で絶対的に管理された社会を形成しようとしている。
300人委員会を代表する世界規模の研究機関・団体として著名なものはローマクラブ、スタンフォード・リサーチ・センター(SRC)、王立国際問題研究所(RIIA)、CIA、連邦緊急管理庁(FEMA}、外交問題評議会(CFR)、タヴィストック人間関係研究所、ランド・コーポレイション、イスラエルの安全を目指すアメリカ人の会など。また企業としてブリテイッシュ・ペトロリアム(BP)、ロイヤル・ダッチ・シェル、ヴィッカーズ、アーサー・D・リトル社など、また多数の銀行。多くの組織はその名を知られていなかったりあるいは組織名と異なるその真の存在理由が巧妙に隠されている。そのほか300人委員会の名を伏せて活動する多数の下部組織、秘密結社がある。
トーマス・ロバート・マルサスは天然資源には限りがあり、放置しておくと人口は幾何級数的に増えて資源を消耗し尽くすから、強制的にでも人口を抑制しなければならないと説いた。もう一人フリードリッヒ・アウグスト・フォン・ハイエクは米国経済の土台は都市黒人市場、小さな香港型労働搾取産業、旅行産業、ドラッグ売買が盛んな自由な事業域、すべての工業活動の終焉、すべての原子力プラントの閉鎖に基づかねばならないとする。300人委員会のすべての戦略はここから出発しているという。
ブレジンスキーは常に大衆をコントロールする必要性を説き、その標的としての米国は古くからの秩序を破壊され、ワン・ワールド政府=新世界秩序へと導かれていく政策を次々と導入される国家にするという。サー・ピーター・ヴィッカース・ホールは米国には19世紀の重工業に立脚した社会と脱工業化社会という二つの側面があり、後者が前者を淘汰し破壊すると説き、工業大国アメリカは衰退すると予言した。
20世紀初頭から300人委員会のシンクタンクは時に応じて世論形成工作を行なった。第2次大戦前にドイツと日本は叩き潰すべき危険極まりない敵だと見なすように米国民はコントロールされた。同様にタヴィストック研究所の“イラクは脅威であり、サダム・フセインはアメリカに挑む凶暴な敵である”との洗脳プロセスに民衆ははめられた。湾岸戦争直前の2週間に米国はおろか世界中にイラクとフセインに対する敵意が形成された。
300人委員会の実体はメンバーしか知り得ないが、過去にその意思が具現化されたとするいくつかの粛清事件がある。第1次大戦時にドイツ政府閣僚でロスチャイルド財務官だったヴァルター・ラテナウは300人委員会の存在を公言した後で暗殺された。委員会の意向に逆らったジョン・F・ケネデイ大統領の暗殺、ウオーターゲート事件によるニクソン大統領の失脚、イタリア首相モロの暗殺、パキスタン大統領ウル・ハクの航空機事故死、朝鮮戦争中にトルーマン大統領によって突如解任されたダグラス・マッカーサー元帥はいずれも政局に大きな影響を与えた。
FEMAは自作自演でスリーマイル島原発事故を起こし、マスコミを騒がせて人々が避難する集団ヒステリーを招くことで反核勢力を強めることに成功した。実は危険は何もなかったという。タヴィストック研究所はビートルズのロック音楽を介して若者たちのLSDなどのドラッグ需要を急増させた。ミャンマーではイギリス東インド会社(BEIC)の後を継いだ国家法秩序回復評議会(SLORC)によってアヘンーヘロイン貿易の権益が独占されている。
綱領はいずれも許し難い内容を具えているが、特に2)はひどい。人間の楽しみ、生きがいを奪ってしまう。毎日米大リーグの野球中継を流す視聴者白痴化は4)かと勘ぐりたくなる。世界的な原発の廃止は5)と8)によると思い当たる。フリーターの増加は10)に関係する。先月米国で発生した大規模な停電、東京で飛込み自殺による電車の運行停止の頻発なども11)と関係があるのか。そして世界的なテロの頻発はまさに20)であって、綱領は決して夢まぼろしではないと思い知ったときに慄然とする。
本書には直接触れられていないが米国大統領が現在も委員会の意向に逆らえないのは明白で、米英両国がイラク開戦に踏み切ったのについては委員会の影がある。こうしてみると紳士面をしている英国は嘗てアヘンを売りつけて中国を手ひどくいためつけ、インドを徹底的に搾取した昔から、ズル賢く裏に回っている現在まで極悪の国であり、虫も殺さない顔をしている英女王はその悪の代表、張本人に他ならない。グローバリゼーションなどという風潮はまさしく委員会の政策そのものであるし、教育の混乱も彼らの差し金かもしれない。日本もよほどしっかりしないと悪魔の手にからめとられてしまう。
コールマン博士は説く。たまたま結びついたに過ぎず一見したところ何ら関係なさそうなできごとが裏では密接につながっている。それが大衆の目には用心深く覆い隠されているだけなのだ。陰謀者の正体を暴露せよ。それには一度失われたら二度と再生することのない我々のかけがいのない伝統や文化、これを守る戦略を立てられる経験に長けた人材を必要とする。陰謀者の方法論を学び、必要な対抗手段を取る必要がある。急を要するが、こうした対抗策だけが国家を蝕む腐敗を食い止める手段なのだ。地球規模の陰謀を認めたがらぬ人がいる。結果的にこれは彼らの協力者になる。敵の姿を知ること。これは何より必要だ。見えない敵と戦って勝つことなど不可能ではないか。我々の敵の実体を研究し、すべての名前を暗記するのだ。プロファイリングの技術を身につけよと。
<プロジェクト開発記録> N.H.K.の“プロジェクトX”は私の気に入っている番組の一つだが、まだこの番組が取り上げていない特大のプロジェクト記録として、最近読んだ「新幹線開発物語」(角本良平・中公文庫)を紹介する。プロジェクトは既に40年前に完成され、その成果は日本人なら誰一人知らぬものはないのだが、仔細に読んでみると前例のない高速複線鉄道を新技術を開発しながらほぼ5年でまとめあげるという難事業をやってのけた日本人先輩たちの能力と執念に改めて感心しまた敬意を表する。但し著者が成功した事業として挙げるのはあくまで“東海道新幹線”であって、後に建設された山陽・東北・上越・長野・山形・秋田については主に採算性の視点から疑問視している。
著者は書いている。今から考えれば当然とも思われる新幹線だが、開通までにはいくつもの山を越えなければならなかった。決して順風の中の成功物語ではない。19世紀に汽車・汽船が発達したのを第1次交通革命と呼ぶのなら20世紀半ばの第2次交通革命は自動車と航空機によっていて、鉄道は消滅はしないものの次第に縮小すると考えられていた。このような世界の趨勢の中でも東海道だけは例外であって、四面に反対を受けたスタートだったが事業の進展とともに鉄道需要の増大が明らかになっていった。
1)鉄道の方式:新線建設方針決定の後も狭軌、広軌、あるいはモノレールの選定は議論が沸騰した。幹線調査会での検討によってモノレールは高速化の実績の無さと分岐器で捨てられ、輸送力増大・高速化のために広軌別線が選ばれた。広軌の“こ”の字でも言えば馘にすると威圧した狭軌論者の鉄道次官がいたというが、初代鉄道院総裁後藤新平の意思を継いだ十河信二国鉄総裁が強く広軌を主張した。昨年8月の<鉄道旅行>でインドでは鉄道の軌間が4種になっていて運営に困っているという話を載せたが、そういうことも当然議論されただろう。だがここで狭軌を選んでいたら画期的な発展は望めない分岐路であり大きな決断だった。
2)時速200キロ:当時の最速は電気機関車牽引の特急“つばめ”・“はと”で最高95キロ、平均74キロ、東京―大阪間7時間半だった。東京―大阪間日帰りのために片道3時間、時速200キロが基本目標として設定され、この実現のために空気抵抗を考慮して車体を張殻構造とし、トンネル内すれ違い実験も行なわれ、車両の機密対策が採られた。時速250キロを前提として本線の最小曲率2500メートル、軌道傾斜14/1000、レール高低差20センチが定められた。脱線を招く蛇行動防止のための軌道の狂い限度を調査し、保守基準を定めた。在来より縦剛性を30%増したレール断面形状とPCまくら木、両者を締結する円形バネ付きボルトを定めた。レールの締め付けによって伸縮を抑えた1.5kmのロング・レールと絶縁継ぎ目つき伸縮継目器を開発・採用した。空気ばね付台車とこれをテストする台車試験機を開発した。これらの総合的な成果として横浜近郊―鴨宮のモデル線で37年10月目標速度が実現した。野次馬根性の強い私もこの直後に機械学会主催の試乗会でこれを実体験した。その後モデル線での最高時速は256キロに達した。
3)動力の伝達:高速運転に必要な大電力供給のために従来の1.5 kV直流饋電に代えて25 kV単相交流饋電とし、パンタグラフで車内に取り込んでから変圧器で2400V以下に降圧し、主幹制御器の切換装置で2400Vから350Vまで変化させて直流直巻電動機を駆動する。架線懸架は離線防止のためにパンタグラフを押し下げる力が各点で均一になるような合成コンパウンド架線方式を新たに開発・採用した。パンタグラフの風洞試験を行い、速度に対する押し上げ力の小さい形状を選んだ。車輪からレールを介して変電所へ戻る電流によって沿線に誘導障害を招くのを防ぐために、架線に平行して負の饋電線を設け大地を流れる電流を1.5kmごとに吸上げ変圧器で吸上げることにした。日本列島は富士川を境にして50HZと60HZに分かれているが、統一のために東は小田原、横浜2ヶ所の変電所で60HZに変換・給電することにした。
4)安全対策:踏切事故を避けるために踏切を全廃した。ブレーキは電気ブレーキ(発電ブレーキ)と空気ブレーキ(デイスク・ブレーキ)の併用とし、高速時は電気ブレーキが有効である。運転保安方式としては地上信号を廃し、列車の速度を所定の範囲に自動的に抑制するA.T.C.(自動列車制御装置)を採用した。速度指令は0,30,70,110,160,210,260の6段階で与えられ、数字は上限値である。従来の人間主体・機械補助の思想に替えて機械主体で運用する。中間駅の待避線への分岐器を中央指令室で一括して扱うC.T.C.(列車集中制御装置)が併せて採用された。列車妨害対策としては置石などを防ぐために厳重な防護柵を設け、車両の前頭には強力な排障器を取り付けた。その他新規開発要素全般に新しい保守方法を考案した。特に軌道全体の整備・小さな狂いの発見は重要であり、時速200キロの高速軌道検測車でこれを実現した。
5)ルートの決定と買収:戦前の弾丸列車計画や戦後の経緯でルートの18%が買収済みだったのは有利だった。新丹那トンネル・日本坂トンネルは確保済みだった。高速化のために在来線より直線的なルートを選ばねばならず、用地買収のために東海道に分布する高密度の集落を避けるように努めたが、停車駅のためには市街地を通過しなければならず、大都市周辺のルート選定は苦労した。最後が東京と大阪ターミナルで決定までに紆余曲折を経た。次は用地の買収で、各地で説明会を開いたが、市街地は難航を極めた。用地交渉の相手方は5万人に上り、昭和34年から5年を要した。沿線104の市町村の大部分に委員会が設置され集団交渉方式が取られた。用地関係者は人間の善意を信じて忍耐強く努力を続けた。彼らの苦労話をまとめれば厚い一冊の本になるだろう。最後は土地収用法の特別措置法が成立したのでそれによらざるを得なかったとされている。
6)工事技術:新丹那など長大なトンネル工事は新たに開発された“底設導坑先進式半断面工法”によった。橋梁には複線ワーレントラス橋を標準設計として用いた。新幹線全長515キロの内、トンネル68キロ、高架橋115キロその他橋梁計240キロを除くと残りの275キロが盛り土もしくは切取りである。詳細は省くが地盤沈下対策には相当の意を注ぎ、周到な築堤工事を行なった。沈下が大きいと予測される箇所は高架橋として岩盤に届く長さの基礎杭を必要数打ち込んだ。
7)資金調達:昭和34年から39年までの6年間に4000億円の巨費が投入されたが、その資金調達を国鉄財政で賄うのは全く無理で当初からの大問題であった。財政融資と鉄道債券案があったが、金額が大きすぎた。外国資金として世銀が候補に上ったが、欧米では鉄道は斜陽産業と見られていて、工事発足時点では望み薄と見られていた。粘り強い説得の結果、東海道線が世界一人口密度の高い地域を走っていて如何に輸送の需給がアンバランスであるか、高速道路ができてもなお鉄道が必要なことが認められ、昭和35年世銀から正式の調査団が来日した。ここで日本の鉄道技術の優秀さが国際的に高く評価されることとなり、借入が了解され36年正式調印された。金額8000万ドル、年利率5.75%、3年半据置、20年償還の条件だった。国鉄の希望は2億ドルだったが、先例がなく蹴られた。その後当初予算1725億円は大幅に超過することになった。用地費の高騰ならびに賃金・資材の上昇のためである。運輸大臣は国鉄監査委員会に監査を命じた。世間の非難もあったが、昭和37,38年に巨額の政府予算が立てられて何とか収支の目途がついた。
8)その後:東京―大阪間4時間で開業(1964)、その後3時間10分が続き、現在は2時間半になった。輸送量は当初の年間100億人キロが1975年350億人キロまで増え、一旦300億人キロに減ったが最近は400億人キロを前後している。1990年台に“のぞみ”が登場し最高時速は当初計画250キロを上回って270キロ、その後に建設された山陽新幹線は曲線半径を4000メートルとしたので時速300キロを実現した。新幹線には貨物輸送も検討されたけれど、実現しなかった。鉄道貨物輸送量は最盛時1970年の1/3に落ちていて、新幹線が貨物を運ぶ可能性はなくなった。現在新たにかなりの年月をかけ、東京―大阪間1時間を目標とする磁気浮上・リニアモータ推進の中央新幹線開発が検討されているが、著者は需要・採算性・安全面の三点から疑問を呈している。
9)私の感想:東海道新幹線に関するかぎり需要の急増とそれに応える新技術の開発がうまく噛み合って世界に誇ることができる安全・確実な成果となって結実した。だがその後陸続として後追いした各地の新幹線建設は2番煎じに過ぎないし、本四架橋などに代表される道路建設も含めて採算面で後世に負担を残した意味でプロジェクトとして決して成功とは言えない。大型プロジェクトが成功する要件は厳しいし、こういうものに安易に賛成する大衆は否応なくそのツケを負う責任が生ずる。事後に総合的に成功したプロジェクトと評されるのは10に1しかないように思う。東海道新幹線はその典型と誇ってよい。一方で台湾・中国に新幹線技術導入の動きがあり、この項で概観したようなノーハウは貴重な文化遺産として利用できる。日本は外国に尊敬される好材料を育てた。
<阪神タイガース> 18年ぶり4度目の優勝となれば人々が喜ぶのも尤もだ。優勝を目前にして名古屋・広島で5連敗したのは地元甲子園のファンの前で星野監督胴上げをするための企みではなかったかと勘ぐりたくなった。9月15日は月曜日だったが休日で大阪へ戻っての第1戦は2時に開始のところ、大勢の観衆が朝早くから押しかけたので甲子園球場は異例の8時開門となった。試合はまた伊良部が打ち込まれて広島に先制されたが、大声援に後押しされて逆転、サヨナラ勝ちとなった。
これでマジックは1。2位のヤクルトはナイターで結果が出るのに3時間かかったが、球場の観衆は帰らない。やがて首尾よく横浜がヤクルトを負かした報せが伝わると、改めて風船が乱舞し、監督胴上げが始まった。一方、御堂筋は6車線の道路が人波で埋まり、道頓堀川は事前にマスコミがしつこいぐらいに川の水の汚れがひどいからと禁止を呼びかけていたが、そんなことはお構いなしで鈴なりの橋から200人以上が飛び込んだ(当日のテレビ朝日・ニュースセンター報道による)。河端には梯子が下ろされ、念のために救命艇が待機していた。ー真面目なN.H.K.のニュースはこの飛び込みの報道を避けたが、後日の調査によれば飛び込んだ人数は5300人に及んだ。17日には酔っ払い溺死のおまけがついたー 球場も街も勝利に酔う人々の笑顔に溢れ、何と暇のある人が多いことかと些か感心した。しかし見ていて決して悪い気はしない。
今年の阪神の強さに弾き飛ばされた感じの巨人はこのところ8連敗、現在貯金0の5位に落ちてしまった。今年の阪神は特に中盤以後ロードには弱くハラハラさせられたが、地元甲子園に帰ると神がかり的な強さを発揮した。ひとえにたまりにたまった阪神ファンのフラストレーションが熱狂的な応援になって後押しし、相手チームを威圧した。その迫力はテレビ放映でも十分に伝わってきた。今、優勝決定翌日の甲子園中継を見ている。あの優勝祝いの乱痴気騒ぎの後だけにアッサリ負けると思いきや、井川投手の快投で2時間10分の対広島最短時間勝利だ。観衆は相変わらず帰らずに六甲おろしを熱唱している。まだ日本シリーズには少し日時がある。勝負の帰趨はやはり相手チーム(多分ダイエーだろう)のホーム球場でどこまで頑張れるかにかかるだろうが、結局あの応援の強さで阪神が勝つだろう。
<政策の継続性> 自民党総裁選が実施され、以前に取沙汰されていた自民党内のいわゆる“抵抗勢力”の結集による小泉おろしは実現せず、亀井静香、藤井孝男、高村正彦の3候補を抑え、構造改革の持続を唱えて第1回投票で過半数を獲得した小泉純一郎首相が新たに3年任期の自民党総裁に選ばれた。最大派閥の橋本派は参議院を率いる青木氏の造反で分裂、堀内総務会長は小泉支持にまわった。近く行なわれるだろう総選挙と衰えない国民の小泉人気を意識せざるを得なかった結果だろう。野中前幹事長は孤立に追い込まれ、抵抗声明の中で自分の引退を予告せざるを得なくなった。
選挙後の人事で応援してくれた青木・森両幹部の強い意向を容れて山崎幹事長を副総裁に移し、当選三回と若い安倍晋三氏を新幹事長に起用した。内閣副官房長官から副幹事長への配転がささやかれていたが、小泉新総裁の大胆な人事で与党内の口うるさい向きも意表を突かれ、岸元首相から三代続く毛並みのよさと北朝鮮の拉致問題への対応で得た国民的人気もあって表立った反対論は出ず好評だった。実は小泉内閣になってからは後述の如く各派閥の意向をふまえて大臣などの選任を調整する幹事長の役割は消滅している。残る党三役として額賀政調会長の新任、堀内総務会長の留任を決め、可能な範囲で自民党内既成勢力との調和を図った。
新内閣では福田官房長官、川口外相、竹中金融経済財政相、坂口厚相、亀井農林相、石破防衛長官を留任、石原氏を国土交通相、谷垣氏を財務相に横すべりさせた。今回居残った人、退任した人を見渡すとそこには明確な小泉首相の評価と意思が感じられる。断固として構造改革を押し進めると言い続けた竹中氏については政治を知らぬ学者風情がと退陣を求める声が優勢だったにも関らず押し切った。坂口厚相は医薬品販売の自由化では抵抗もしたが、彼(専門家)なりに言い分に筋が通っていたと小泉元厚相も認めたのだろう。既得権限のない行政改革担当相として予言どおりサンドバッグのように叩かれる目にあった石原氏は藤井道路公団総裁をかばい続けた扇千景国土交通相の後を継いだ。文春10月号の小泉首相と道路公団民営化推進委員会の猪瀬直樹氏との対談を読めば、今後の進展は誰にでも推測がつく。
組閣本部への呼び込みの後で各新大臣が順次記者会見の席に現れたが、総じて皆さん神妙で大半の人が総理に個別に指示された事項を報告し、それを守っていく方針を表明していた。在来は党内の派閥の長に大臣候補の人選を依頼し、ポストについてもそういうボスとの相談づくで決めていたから、任命された大臣に対して総理の方から特段の指示・要求はなくて、それぞれ所轄の事務局のご進講を受けて来いというのが実態だったのではないか。それでは首相の政治をリードする腕など発揮できるはずがなく、誰がやっても同じになってしまう。今回小泉首相は自民党を変えると宣言した通り人事に派閥の意向・年功序列の幣を除くことに成功した。大臣たちは以前と異なり実質的に首相に選ばれたのだから、その指示に従わないわけにはいかない。
政策というものは状況を把握して立案し、多くの関係者に周知徹底して実施するのに相当の日時が必要になる。半年や1年で首相が代わってしまっては独自の政策など実行できるわけがない。最近の歴代の内閣の寿命を眺めれば軒並み短命なことが分かる。その上同じ首相でもほどほどの時期に内閣改造を求められる。派閥に選ばれた新大臣に前任者の意思を継ぐ気はない。クルクル変わる大臣に関係なく官僚たちが自分らに好都合な政策を立案・実行してきた。この面でも小泉首相は自民党総裁に再選されたことでようやく政治を変えつつあると感じた。事実彼は新内閣の発足にあたって「今まで育ててきた構造改革の芽がようやく出てきた。これを大樹に育てていかなければならない。今まで国民は困難な状況によく耐えてくれた。ようやく明るいキザシも見えてきた。今までの方針を堅持していきたい。」と述べている。
小泉首相が逆境の中で構造改革の実施という明確な政策を掲げたこと、それを実現するために自民党を変える:変わらなければ自民党を潰すとまで言ってそれを達成したこと、及び政策の実現のために微動だにしないという一貫した姿勢を保持できる環境を創りあげた事は歴代の総理にもできなかった政治的な力量と評価したい。新内閣への評価はまちまちのようだ。江藤・亀井派からは3人入閣しあれだけ悪態をついていた江藤隆美氏はニコニコ顔に、新幹事長人事をほめちぎった森前首相は憮然たる顔に変わった。皆ウスウス気が付いているのは自民党の派閥中心の運営は変わったということだ。どういうつもりで亀井氏を応援したのか知らないが、石原慎太郎はご満悦のようだった。
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