現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ35 > 444.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
「557」 1年半前にもらっていた理科系の半導体術者からのメールを載せます。ようやく私から本気で返事が出来るような気がしてきました。答えは、1969年の人類の月面着陸は有ったのか無かったのかを判定することにかかっています。日本の理科系人間たちが、アメリカが押し付けた科学信仰の洗脳から解放されるか否かです。 2004.5.4
(略)
副島隆彦です。 今日は、2004年5月4日です。
まず、新設しました「読者からのメールの転載」欄に、先ほど10本メールを載せましたのでお読みください。
今日、以下に載せる文章は、今から一年半前に、いただいたメールです。理科系の優れた半導体技術者から寄せられて文章です。この意見表明に、私は正面から答えれないままに、一年半が経っていました。今でも答えられません。一年半ぶりに読み返してみても、大枠では、いただいた当初の返事しか出来ないのです。
問題は、日本の文科系と理科系(技術者)との間の、理解の溝(みぞ、ギャップ)をどうやって埋めるか、ということです。
私、副島隆彦の戦後日本観は、端的には、次のものです。
アメリカは、1945年に日本を連合諸国(連合軍)の力(ちから)で、叩きのめしたあとに、1950年代からは、アメリカは、日本を急速に経済復興させて、「東アジアの反共の防波堤」として育てあげて、アメリカにとっての都合のいい国にしようと、いうものでした。その際に、3つの要素(必要条件)がありました。
それは、@ 勤勉な労働力、 A エネルギー(石炭から石油へ)、 B 先端技術の導入 の3つでした。つまり、政治が主導して、日本のその後の高度成長経済を計画的に、作ったのだ。
この三要素のうちの、@ は日本に十分にあった。日本人は文字どおり勤勉のかたまりにょうな国民であった。敗戦後の貧しさのさなかにあったが国民は明るかった。
Aは、アメリカは、中東の石油を日本に安定的に売却させる道筋を作った。それがアメリカの対日戦略の中心だった。だから、サウジアラビアのファイサル国王が、1972年に来日して、富士山を望む御殿場に隠居していた岸信介の邸宅を訪問した時に、これが完成していた。サウジアラビア(サウド家)と反目しあっているアブダビなどの湾岸諸国とも、別個に原油の輸入契約や鉱区の採掘権を日本は得た。
そして、Bの 技術導入 であった。田中角栄が、小室直樹先生との対談に応じた時に、次のように語ったと、私、副島隆彦は、小室先生から聞いた。「1972年(このとき、田中角栄が首相であった)までは、アメリカは、技術をただでくれたんだ。そのあとは、もうただではなかった」とのことだった。
ここからは、以下の技術者のK氏からの意見メールを読んでもらいます。そして、理科系の人たちは、この問題を考えて欲しい。そして意見を 重掲 に投稿してください。
私、副島隆彦は、K氏の主張の何が分かっていないのかを、私に分かるように説明、翻訳、解釈してみてください。
私は、実は、今は、『人類の月面着陸(1969−71)は無かったろう論』を書いている最中です。さる大手の出版社から急いで仕上げて出版しなければならなくなりました。ですから、ぼやき にも書けなくなっているのです。この本が書きあがったら、すぐにぼやきに戻ってきます。
私が、『人類の月面着陸は無かったろう論』に執着するのは、それは、日本の500万人の理科系の技術者たちに対して訴えかけたいからです。私は、あなたたち日本の宝であり、日本の豊かさを本当に作った人々である人たちに向かって、「アメリカによる技術洗脳、アメリカのサイエンス教の信仰の押し付け、戦後のアメリカ支配からの解放(脱魔術化 、disenchantment ディスエンチャントメント)」を求めて、この闘いをするのです。私は、この本の読者の標準を、ぴたりと理科系の技術者たちひとり、ひとりに当てています。
問題は、ただ、一点。1969年7月に、アメリカ合衆国のアポロ11号は、本当に有人飛行をして、月に二人の飛行士を着陸させたのか、否か。その事実そのものにかかっています。人類月面着陸は有ったか、無かったか、この一点にすべてがかかっている。これは、事実(ファクト)の有無に関わることであって、それ以外ではない。それ以外の瑣末なことは、どうでもいい。私は、ここで言論人としての勝負をかけます。
人類の月面着陸は有ったのか、それとも無かったのか。アメリカはあの時、大嘘をついたのか、それとも、この日本で「人類月面着陸はなかっただろう」などど言い張る副島隆彦という、文科系の物書きは、陰謀論者の、頭のおかしな人間なのか。
もし、私、副島隆彦の主張が、5年後、10年後に、はっきりした時に、副島隆彦の意見が(主張)が正しかったら、それまでに、さんざん、副島隆彦のことをののしった人々は、自分こそは、陰謀論者で、頭のおかしな人間だったのだ、ということを受け入れなければならなくなるのです。これは勝負です。
有ったか、無かったか、私には確信が持てない、というような文科系の気弱な人々は、傍観者としてほっておきます。しかし、理科系の人間たちは、傍観者にするわけにはゆきません。諸君らは、厳しく自然現象を対象にして、そこに法則性を見つけたり、実験と観測をおこなったり、数式でその現象を記述したりという訓練を積んだ人たちなのだから、傍観者として放置するわけにはゆきません。おそらく、5年以内に、このことの決着は付くはずです。
私、いまのうちから、私に悪罵を投げかけた連中が、逃げをうって、まるで自分は始めから真実を知っていたとか、「そういうことは、どうでもいいじゃないか。もう済んだことだ」とか、「果たして、副島隆彦の業績でしょうか。同じような疑問を提出していた人は、昔からたくさんいました」などと、後になって、口をぬぐって、言い出す馬鹿どもを、あらかじめ戦略的に補足(ほそく)しておこうと思います。その為の仕組みと、仕掛けを今のうちにどんどん作っている最中です。
まあ、いいでしょう。私の方は、全く困っていません。困っているのは、そろそろ自分の脳に、ひび(疑念)が生じて、頭がおかしくなり始めている理科系を自認する者たちでしょう。問題は、1969年の人類月面着陸は有ったか、無かったか、の一点にかかっています。この問題点を他にずらして逃げ回ることも絶対に許さない。決着は5年内につきます。
副島隆彦拝
(以下、略)
http://snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi