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【御坊市の堅田遺跡で「弥生前期中ごろ」と判定された溶炉跡(御坊市教委提供)】
http://www.agara.co.jp/DAILY/20040421/20040421_007.html
【2004年4月21日付掲載記事】
弥生時代前期末という日本最古の青銅器の鋳型が出土した御坊市の堅田遺跡で、一緒に見つかった青銅の溶炉跡が「弥生前期中ごろ」と判定され、このほど刊行の発掘報告書で公表された。
これまで青銅器の国産化は、佐賀県・吉野ケ里遺跡の鋳型片などで、前期末〜中期初めとされてきたが、かなり早まることになり、大きな反響を呼びそうだ。
溶炉跡は粘土を張った底部(直径約60センチ)がくぼみ状に残っており、焼けて赤褐色に変化していた。炉壁片も多数出土。送風用の筒をはめた跡のある炉壁片も見つかった。
妙見山麓遺跡調査会(兵庫県)などが科学分析し、最高1100度の高熱と判明。炉壁片からは銅とスズ、鉛の青銅の元素も確認された。
炉跡の中央部はあまり焼けていないことから、炉は直径70〜80センチのドーム形で、中央に土の台を設け、るつぼを支えたと推定された。
同遺跡では古代朝鮮特有の形式の住居跡も見つかっており、渡来工人が青銅生産にかかわったとみられる。炉跡のそばにも高熱を受けた個所があり、鋳型を据えた場所らしいという。
年代は土器や地層で判定。前期中ごろの実年代は、定説だと紀元前3世紀ごろ、放射性炭素年代測定法による新説だと前6世紀ごろとされる。