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《 たにしのつぶやき、「少子化は人類の英知」(2003/02/04) 》
http://homepage1.nifty.com/kikugawa_koubo/tanishi.htm
少子化対策の声が姦しく響いている。一方で地球の人口爆発に危機感を持ちながら、もう一方で自国の人口減少を危惧するのには疑念が湧く。少子化で自国の(経済的)既得権が失われると想い込んでいるようだ。
人類社会の為なら、12700万もある人口の目減りに目くじらをたてることはあるまいと想うが。江戸時代末は3000万といい、明治末には4500万、昭和の戦争当時は7000万と言う。それからみても、今のわが国の人口は肥大化し過ぎた。これが緩やかな減少をたどっても人間社会の条理に反することにはならない。
中国の経済成長はめざましいといい。インドもそれを追い駆けているという。両国の人口を合わせれば、20億を超える人口となる。これだけでも多消費社会を作り上げれば大変な地球資源を消費することになる。両国だけにとどまらず、多消費社会を発展途上国が追うことは間違いない。とすれば、資源獲得競争は激化する。それは戦乱を呼ぶ元となる危険性がある。そして、行く着く先は戦争による人口調節となるの可能性も考えられる。このようなストーリーを人類がたどるとするなら、人類の英知も粗末なものだと言わざるをえない。
右肩上がりの経済信仰から、脱却すれば少子化を問題にすることはなかろうと想う。コンピュータは人力を省くことに偉大過ぎる功績を上げた。わが国のような高度文明社会を築いた国では、人力を多量に使う時代はもう来ないのではないだろうか。
人が人を看ることに人力を大量に要するかといえばそれなりのことであって、期待するほどの人手を要することはあるまい。(労働)人口が微減の道をたどる中で、人の生涯をそれなりの満足を持って過ごせるような社会を構築すべき時代が訪れたのだと想う。
少子化は数十年後に予想される、資源争奪時代に理性を発揮できる精神的基盤作りに役立つと考えるゆえに、少子化対策の声高さに辟易としてる。少子化は人類の英知だと心得るべき時代ではなかろうか。
捕捉:「人間の生涯をそれなりの満足」とは「文明の利器で、すべてを満足させようとする心理から脱却し、生きるのに必要不可欠のものを満足させれば、その他のものへの欲望を膨らませないで満足する」ことを言う。