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(回答先: Ananovaの記事です 投稿者 エンセン 日時 2004 年 6 月 23 日 20:28:38)
おれはすけべですから、
これは現代美術と現代思想の丸裸「いま」であると感じました。
しかし、おれは馬鹿ですから
現代思想と現代美術の「いま」がわかりません。
わからないのに投稿するのは、酔っ払っておるからです。
デジタルはすべてを「すけべ」に「丸裸」にする習性があります。
つまり「ケツの穴の毛」まで見せなくてはデジタルではありません。
つまり近代以後(資本主義以後の世界)におきましては
寺山修司近隣のぞき見趣味が一点突破から全面展開する
「最終原始の裸像と消費」に爆発します。
これがデジタルにおける動物的機械的本能鉄則です。
「神の見えざる手」とは「ケツの穴の毛」であった証明こそデジタル哲学です。
まさに現代思想であり現代美術!
この写真は
ロンドンで開催されました
「第1世界インターナショナル」共産党宣言の模倣でもあると思いました。
丸裸の「空想から科学へ」、とにかくデパートは科学商品の総量があります。
マルクスは「憎悪の哲学」を担う階級として労働者階級を発明いたしました。
すけべな丸裸の階級です。そして消費天国と地獄(アコムの笑顔じどう)
その時代、労働者階級の娯楽とはセックスにはげむしかありませんでした。
アジア人女性を登場させました因果関係は
ロンドン300人委員会が
いよいよ
東アジアで丸裸動乱を仕込んだというデジタルさであると思いました。
まさに「原始の裸像」です。裸体の帝国によって、起動された、最低プロレタリアート、
これから、
「第1インターナショナル」革命的マスターベーションにいどみます。
今夜は「エレザベス女王」でいこうかと思います。
とほほ・・・
エンセンさん。ごめん。