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スペインのレコンキスタやドイツのヘップヘップ運動やナチス、ロシアのポグロムなど、人種的な反ユダヤ思想では体制のガス抜きどころか、体制強化につながってしまう。何がユダヤなのか?誰がユダヤなのか、はっきりとした追求がないなら、完全な逆効果ではないかと思う。
ソ連共産党などもユダヤ人を迫害する事で、イスラエルにロシアのユダヤ人を送り込み続けたのだから、ユダヤの正確な定義をしなければ、とんでもない反動的な役割をする事になるだろう。
体制の意図というものを曖昧にした反ユダヤ思想は有害だと思う。これまでイルミナティは問題にしても、ババリア政府の何たるかはあまり問題にされてこなかった。しかし、まずそこから入っていかねばならないと思う。
私があっしらさんの「ユダヤ=非民族的宗教共同体」理論を高く評価している理由は体制側の意図、下部構造である経済的動機を追及するからだ。まかり間違っても、ヒトラーの「ユダヤ人種」などというようなファシストのための頓珍漢な定義などすべきではない。これまでの反ユダヤ本には、体制側の戦略や下部構造が問題にされなかったので、阿修羅に来るまでは陰謀論は胡散臭いだけのイメージが強かったのだ。しかし、ここには大衆支配のための教会の反ユダヤとは一線を画するものがある。太田竜の場合、教会の大衆支配のためのものから、今のアメリカの現状をリポートするもの、反共原理系まで「反ユダヤ」ならなんでも無批判に受け入れて賛美することで、陰謀論は胡散臭いと思わせる役割を無自覚に果たしている面がある。
体制側には当然、体制側の戦略がある。何のために「ユダヤ人」追放をやったのか、このスペイン政府の真の意図を探っていく必要があるのだ。迫害された者も迫害した者も単純に一緒くたに「ユダヤ」にして良いとは思えない。ユダヤ教徒が政官財のトップに直接いない東アジア分析を考えるならなおさらである。