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(回答先: パソコンに熱中するとキレやすい…脳科学者が指摘 読売 投稿者 たくげん 日時 2004 年 6 月 22 日 20:31:57)
今更ゲーム脳なんてねえ。売らんかなの森教授も事件を利用するとは。読売記事本文に「こうした見方を検証する基礎データすらない」って書いてあるが、データが無ければ「こうした見方」は科学ではなくて思い込みですがな。医学都市伝説からゲームと脳について2つ記事紹介
巷間騒がれているゲーム脳というものに知人が興味をもち、自分の脳波を見てみたいというがどうすればいいだろうかという内容のメールをいただいた。
こんな風に真面目に取ってしまう人もいるのだから、あれを主張している森教授という人も罪作りだ。そもそも脳波というのは一般にかなり誤解されているもので、なにか思考内容が電波にのって出てきているかのごとき理解をしている人も多い。昔、オウム真理教の信者が麻原の脳波パターンを自分に埋め込むとかいって、妙な電極帽子をつけていたりしたが、あれは彼ら独自の妄信などではなく、一般的誤解がああいうかたちで結実しただけのことだと思う。
脳波というのは要するに、脳内の約150億ほどの神経細胞の電気活動の総和である。たくさんの脳細胞が基本的にはランダムといっていいような形で短時間の電気的興奮をおこすが、その総和はある程度の周期性を持つように観測されるわけだ。大ホールで人々が口々にしゃべりあっているのが、「わぁわぁわぁわぁ」という周期的擬音語で表すのがちょうどいいように聞こえるのと同じこと。
活動している細胞の数が少ないと、全体的に同期する傾向になって周期が長くなる。活動数がおおくなるとその反対。あまりいい比喩でもないのだが、凪の日に海岸に出ると海面に吹き付ける風がすくないので、ゆっくりとした波が打ち寄せる。ちょっと三角波がたつような風が吹けば波の周期は早めになる。そして、もっと激しい風になれば、その作用は逆にもっと同期することになって、周期の長い大きな波になる。イメージ的にはこれがα波、β波、δ波の比喩。単純に波が早くなるだけではないところに注意が必要。(睡眠時のように神経細胞活動の減少で同期がまして、大きくゆっくりした波になるのを説明するのがこの比喩ではちょっときつい)
そのほかにも、沖を大きな船が通れば波の周期や大きさは変わるし、遠いところに台風があっても微妙に変化する。いうならば脳波診断というのは、波をみて天気の変化や沖の様子を知る漁師さんがつかう素朴なテクニックに一番近い。もちろんこういうものには、それなりの名人芸というものもあるのだが。少なくとも波自体がなにかを直接表しているわけではなく、海(脳)の状態の反映でしかない。
ゲームなどしていれば意識集中しているのでβになるはずが、ゲーム脳ではαになるからどうのこうのと例の大先生はいうが、どんな作業でも慣れれば集中とリラックス双方の態度でこなせるようになり、次第にα波になるのは当たり前のこと。熟練作業者なんかはみんなゲーム脳だということになってしまう。そもそも森教授と同じような(むろんもうすこし厳密だが)実験は、30年以上前にすでにやられている*。(Kasamatsu A, Hirai T.1966)
それは禅宗の坊さんを被検者にして行われたので有名で、禅を組ませて公案をあたえると、いわゆる三昧の境地でα波がでるというもの。そこではもちろんα波が出ているのをポジティブにとらえているわけで、「禅脳の恐怖!」などと主張されたわけではない。しかもその程度のこと誰でも予想が付くし、ちょっと大層すぎる言い方だったので(大体α波ぐらい、誰だって目閉じて安静にすればすぐ出るわけで)、発表されてもマスコミ以外は真っ白けで、相手が坊さんなら頭に電極つける手間がすくなくてよろしいですな、という反応ぐらいだったというのがおまけ。
最近のゲーム脳云々は、その価値判断を逆にして、しかも実験設定がやたらに妙なのに、本来の専門家は何もいわない。学界というところは明らかにレベルが下がっているといえる。それとも、ああいう大先生でも素人をだまして本を売らないと生活が大変なのだな、とみな遠慮しているだけなのかも。
というわけで、メールの返事は「そんなことしても意味はないが、どうしてもとりたければ病院にいって『てんかん発作を起こした』とウソついたらいい」という、はなはだ木で鼻をくくったようなものになった。気分を壊されないかが心配である。(2003/01/08)
"Nature"という有名科学雑誌が無料で概要を見せてくれるというので、タダにつられてさっそく登録してみたところ、いろいろと内容紹介メールが来るようになったのだが、そのなかで興味ある記事を見つけた。「ビデオゲームは視覚能力を高める」という記事である。
この記事は、本年5月に掲載された「ビデオゲームは視覚の選択的注意力を高める」という元論文をわかりやすく解説してくれたものだ。
題名の書き方が違うことでわかるように、解説記事のほうでは、もっぱら車の運転とか、飛行機の操縦などへの効能が中心に書かれているのだが、元論文はアブストラクトから類推する限りでは、注意欠陥障害を持つ人に対するリハビリ効果をうたっているようである。それも、いままで試みられてきたような知覚訓練より、よっぽど包括的ではっきりとした効果を持つと主張されている。
脳波への無知に居直って「ゲーム脳の恐怖」なんてインチキ本をかくセンセイも世の中にはいるのだけれど、こういう論文を丹念に読んで再検討したりすることはまずないでしょうな。あの人の場合、ちゃんとしたケース検討なんかしていないのだから、それ以前の問題なんだけど。
なお、この目的のためにはゲームならなんでもいいというわけではなく、例えばテトリスのようなゲームは役に立たず、もっとリアルな3Dアクションゲームがいいとのこと。ゾンビがわさわさと出てきて、次々に撃ち殺すようなゲームが一番いいらしい。(2003/09/04)
こんな「学術論文」の紹介をしていたところ、その目的には最適といえる「ゲーム」が紹介されているのをみつけた。
http://med-legend.com/mt/archives/images/JESUSF_l.jpg
こちらの掲示板で紹介されていたもので、。この世に再びつかわされたイエス・キリスト自身になって、聖ペテロがリストに上げた敵、ユダヤ人、イスラム教徒、異教徒、無神論者、反体制主義者、フェミニスト、ホモセクシャルたちを殺戮していく3Dシューティングゲームであるという。
題名は"Jesus Freakin"、「チャンスはない、命乞いは無用だ、終末はわが手にあり」というのが宣伝コピーの一部。 ゲーム主人公のイエス・キリストには、聖書原理主義者、テレビ伝道師、共和党員、キリスト自身がよみがえらせた歴代法王やヒットラーのゾンビたちが味方につく。
使える武器は伝統的な石にはじまり、スコップ、こん棒、剣、もちろん突撃銃、拳銃、グレネードランチャー、火炎瓶に爆弾までお好みのものが選べる。これらの武器を駆使して現代のソドムとゴモラをさまよい、2千年まえの恥辱をそそぎ、背徳の民どもに対価を払わせるのがミッションである。スクリーンショット(?)はこれ。
「発売元」のサイトでは、ゲームは現在発売準備中とされ、Tシャツやマグカップ、マウスパッドといった関連商品しか売り出されていないが、若干のゲームシナリオの修正が終われば、大々的に売りだされるという。 むこうには、保守的教会をおちょくるようなものとか、あえてタブーに挑戦するようなフエイクサイトがよくあり、例えばこんなところが有名だが、このゲーム会社サイトも多分同じ狙いで、そこそこのヒネリをきかせて作ったのだろう。
昔、マックのソフトで、神になって人間を絶滅させるさまざまな手段を下界におくるというゲームがあったが、そのあたりが発想元になっているのかも。本当に発売されたら、ちょっとやってみたくならないでもないゲームではあります。なにしろ、視覚注意力までよくなるのだから。(2003/09/26追加)